念願


 それから数日後の休み時間、俺は跡部さんに呼ばれて生徒会室に来ていた。別に生徒会役員ではないが、部活の事で質問がある時に何度か来たことがある。
 もうじき卒業だと言うのに、跡部さんは生徒会室にさも当然と言わんばかりに存在していた。確かに卒業までは彼が中等部のトップで、今この人がこうしていることに違和感などないのだが。
「日吉、初崎に会うか」
 跡部さんは何の前置きも無しに言った。俺の脳裏にはこの間のぐったりとした初崎先輩が浮かぶ。あれを見て会いたくないなど、誰が言えるだろう。
 はいと頷けば、跡部さんは部活までには帰してやると言いながら、携帯電話を取り出して電話をかけはじめた。授業が、などという反論はきっと却下されるだろうと、俺は無駄に行動力に溢れた跡部さんを眺めながらため息をついた。



 跡部さんが呼んだ車に乗せられてやって来たのは神奈川県だった。立海の病院の中を歩く俺と跡部さん、二人して制服だからか他の人は不躾な視線を送ってきた。けれど俺はそんなものより、初崎先輩が元気でいるのかということを延々考えて。入院しているのだから、元気ではないかもしれないなど、この時は欠片も頭にはなかった。

 つい先日病室を移ったと教えられ、一般病棟の個室に案内される。どうも相部屋が空くまでの措置のようで、また数日で病室を移るかもしれないらしい。ノックの後に返事も聞かず、当然のように病室に入ろうとする跡部さんを止める間もなく、病室の扉は開かれてしまった。
 幸い着替えや検診はなかったようだ。
「先輩、お久しぶりです」
「日吉少年」
「跡部さんに、連れてきて頂きました」
 初崎先輩は相変わらず目を隠すような長い前髪のままで、ただ病院のものだろう寝間着はあまり似合わないと思った。似合う事が良いことかなど俺には分からないが。
 跡部さんは気を利かせたのか病室を後にした。この個室には二人だけ。
「具合はどうですか?」
「まあまあ」
「そうですか」
 何も持たずにすみませんと謝ったが、気にしていないらしい。確かに跡部さんが急に言い出した事だし、見舞品など買う余裕さえなかったので、ありがたいと思った。
「先輩は、前髪邪魔じゃないですか?」
「慣れた」
「目を、見せたくないんですか」
 見たいかと言いながら、先輩は自身の前髪をかきあげた。
 灰色がかった目は澄んでいて、銀色に輝いているようにも見える。その、曇りのない冷たさの中に、俺は確かに優しさを見た。
「前髪、上げた方が良いですよ」
 綺麗な色を隠すなんて、勿体無い。彼女は優しささえもひた隠しにしているように思えて、思ったままを言ってみたが、ふと何を言ったのだと我に返った。
「視力、落ちますから」
「そうだな」
 先輩は笑った。ぐいと唇を歪ませて。そして、俺は先輩が初めて見せた笑顔がしばらく頭から離れないだろうと思った。何の理由もないのに。
 それから連絡先を交換して、検査の時間が近いという初崎先輩の病室を後にした。去り際に、跡部少年によろしくと言われ、その呼び方に笑いたくなったのは秘密だ。




「立海受けるんですか?」
「友達、がいる」
 俺が三年になり、部活も引退した頃に、初崎先輩は一年遅れで高校受験をすると教えてくれた。先輩のリハビリや療養、そして俺の部活で、メールでしか連絡を取り合えなかったので、直接会うのは随分と久しぶりだった。
 少し騒がしい喫茶店で、俺と初崎先輩は雑談に興じている。お互いウィンドウショッピングをするタイプではないし、まだ残暑が厳しい中を悪戯に初崎先輩を連れ回すのも悪いと思った結果だ。
 先輩は長かった前髪を、俺と同じくらいまで切っていた。
「前髪切ったんですね」
「そう」
「似合ってますよ」
 きらり、光の反射で先輩の瞳は綺麗に磨かれたプラチナのようだった。初崎先輩は笑ってみせて(相変わらず少しぎこちないが)ありがとうと言った。

 前髪を切ったのは、俺のおかげだと自惚れても構わないだろうか。


fin.



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