仮面の下の表情

 何かと忙しい大学生活に慣れてきた頃、突然、跡部から見せたい物があると別荘に招待された。

 一体何を見せるのかと不思議に思いながら指定された場所に向かうと、かつての仲間達だけが集まっていた。忍足、岳人、ジロー、滝、それに長太郎と若までも。
 別荘までの道のりは、跡部家のリムジンに乗せられた。そこでの話も、やはり跡部の見せたい物が何なのかという一点だった。馬鹿高い宝石を自慢したいのかとか、実は結婚するんじゃないかとか、跡部がいないことを良いことに言いたい放題だったけれど。



 別荘に着いて、そこで出迎えてくれた使用人に案内されたのは、屋内テニスコートが見えるラウンジだった。テニスコートとはガラスで仕切られているそこから見えたのは、テニスコートに立つ跡部と、何故か吾妻がいた。防音仕様で、コート内には声が聞こえないようになっています、と使用人に言われたものの、目の前の不思議な組み合わせに何か釈然としない思いが残る。
 跡部はともかく、彼の従兄弟で俺と同じ大学に通っている吾妻からは、テニスの話題など一切聞かなかったし、俺達と会うまでは跡部がテニス部の部長だということも知らなかったはずだ。それなのにテニスウエアを身に付け、ラケットを持った吾妻は、初心者には到底思えないくらいに堂々としている。
「フィッチ?」
「ラフ」
 トスをする態度も慣れているようだ。結局サーブ権は跡部が貰い、ゲームは始まった。

 そうして、ようやく跡部の見せたい物が何なのかを理解した。

 跡部がサーブを放つ瞬間から、コートの雰囲気が一変した。それまでは多少なりとも穏やかさがあったのだが、今はそれさえ削ぎ落とされて、ただ攻撃的に張り詰めた雰囲気がコートを支配している。
 重苦しい沈黙に似た異様なまでの静けさに、ボールの弾む音だけが微かに聞こえてくる。彼らは何も喋らずにいるのだろうか。
「晶、テニスできるんやな」
 忍足の呟きを皮切りにして、小声ではあるが俺達は口々に感想を言いながら、ジッと試合の行く末を見守っている。
「晶、なんかいつもと違うC」
「跡部と互角にやり合ってるよな」
 吾妻は、跡部の動きとボールの軌道にだけ目を向けていて、俺達には目もくれない。その目にはいつものかたの穏やかさなど微塵もない。冷たさと鋭さだけが浮き彫りとなっていて、それは跡部にも似た目をしていた。そしてそれが、決して攻撃型ではない吾妻のプレイスタイルを、まるで攻撃型かのように演出しているのだ。
「破滅への輪舞曲か?」
「いや、返した」
 目の前のハイレベルな試合は、タイブレークに突入するのではないかという程に拮抗していた。それでもコート内の攻撃的な雰囲気は全く薄れない。むしろ強くなっているような気がして、もう誰も口を開かなくなった。

「あ、チャンスボール」

 跡部がロブを上げた。少し高さがあるが、吾妻の身長ならば届くだろう。わざとか偶然か分からないが、今のところ吾妻がリードしている。これでポイントを取って引き離せば吾妻が有利となる、絶好のチャンスだ。

 次の瞬間、誰もが息を呑んだ。

 吾妻の目が一層攻撃的な色を浮かべ、そして、手にしているラケットを勢い良く振りかぶった。ただ、それはラインギリギリを狙ったものではない。むしろボールをネット際に打ち落とすようで。
 ボールは吾妻のラケットのフレームに当たり、勢いを増したように跡部側のコート、それもネット際へ突き刺さる。
 ほぼ真上にバウンドしたボールは、屋内コートの天井に届かんばかり、と思いきや、やはりそのチャンスを逃さない跡部がボールを打ち返した。

 吾妻がそれを見て、にいと口角を上げる。

 それはまるで、獲物を見つけた肉食獣のようで、俺は吾妻に恐怖さえ感じ、身震いした。
 跡部が打ち返したボールを、吾妻は至近距離から綺麗に弧を描くボレーでさらに返す。青学にいた大石のムーンボレーのような正確さと、それでいて失わない速さにより、ボールは跡部のコート、ラインギリギリに落ちた。

 吾妻のポイント。

 その後跡部も巻き返し、吾妻も引き下がろうとしない、緊張感溢れる試合。未だ続くだろうと思われたそれは、意外な要因で終わりを迎えた。

 ラウンジに入る時、俺達は使用人から、絶対にフラッシュ撮影はしないようにと念を押されていたが、どうやらジローはそれを忘れていたらしい。相変わらず半分以上寝ていたからだろうか。滅多に見られないであろう、テニスをする吾妻を写真に収めたかったらしく、携帯を取り出して構えたのだ。
 それに気付いた俺が、止めようと手を伸ばすより先に、ジローはシャッターを押した。シャッター音と共に眩いフラッシュが光る。

「あ」

 それが誰の声か分からなかったが、それに釣られてコートを見ると、吾妻が俺達の方をちらりと見てからコートを出て、試合放棄したのだ。跡部はこちらを睨み付けてから、吾妻と同じようにコートから出ていった。

 数分後、ラウンジにやって来た怒り心頭の跡部に俺達は怒鳴られた。不可抗力だという反論も意味をなさない。当のジローはと言えば、早々と寝てしまっている。何とも理不尽だ。
「ケーゴ、その辺にときしなよ」
「チッ、仕方ねえな」
 吾妻が跡部の説教を止めたのはそれからさらに数分後。その時には、テニスウエアこそそのままだが、あの攻撃的な雰囲気はもう影も形もない、いつもの穏やかな吾妻だった。
「着替えてくる。話なら後で聞くからさ」
 首から下げたタオルで汗を拭いながら、吾妻はラウンジを後にした。


 その後俺達は応接室に案内され、跡部と吾妻が来るまであれこれと感想を言い合った。
「あんな吾妻さん、初めて見ました」
「そうだな、あんな目もするんだな」
 長太郎は吾妻の変わりように驚いていた。それは俺も同じだ。普段吾妻に付きまとうジローにさえ、あんな剣呑な眼差しを向けたことはないだろう。
 他の皆もあの落差には驚いていた。吾妻との付き合いが跡部に次いで長い忍足までもが。



「お待たせ」
 応接室にやってきた吾妻は、ダークレッドのTシャツに黒いシャツを羽織り、黒っぽいジーンズを履いたラフな格好だった。とはいえ、吾妻はファッションにこだわりがあると言っていたから、きっと高いブランドの物なんだろう。
「晶、相変わらずシケた服だな」
「ケーゴの服も相変わらずだね」
 吾妻と僅差でやってきた跡部は、確かにいつもよりは大人しい服だ。けれど吾妻のよりも見た目からして豪勢な、多分シルクとかそういう素材をふんだんに使っているであろう服装だった。
 従兄弟とはいえ、お互いの服の趣味は全く違うらしいが、言えることはただ一つ。


 こいつら、ホストみたいだな。


「何から話そうか」
 少し思案した吾妻に助け船を出すかの如く、岳人が真っ先に口を開いた。
「テニス習ってたのか?」
「ケーゴに教わってた」
「教えるのも練習になるからな」
 跡部は吾妻の答えを補足するように口を開いた。いつから、という忍足の問いには、小学生の頃からと吾妻はあっさり答えた。跡部はその頃からテニスを人に教えてたのか。意外と世話好きというか何というか。
「大会に出たりとかはしないの?」
「しないよ、俺はケーゴの相手するだけでいい」
 滝の問いへの答えに重ねるように、跡部と常に一緒にいる樺地とはやらないのかと聞いたら、樺地のパワーボールを返してたらワンゲームも体力持たない、と事も無げに言われた。確かに吾妻は、全く鍛えていない訳ではないだろうけれど樺地とは体格にかなり差がある。
「晶、何で試合止めちゃったの?」
「気が散ったから」
「晶、カメラとか嫌いなんやて」
「集中切られるのは晶が一番嫌いな事だ」
 言外に反省しろと言われたジローは、拗ねたように応接室を出てしまった。多分何処かでふて寝でもするつもりだろう。
「あ、あの、跡部先輩と吾妻さんの、試合の勝率はどれくらいですか?」
 長太郎、場の雰囲気を変えたかったんだろうが、どもりすぎ。激ダサだな。
「五分五分かな?」
「いや、俺様が優勢に決まってるだろ」
「じゃあそれで良いや」
 吾妻、もう少しくらい跡部と張り合っても良いだろうに。テニスだからか知らないが、特に勝率は気にしていないらしい。
 それでも、二人の口振りから察するに、吾妻が跡部に勝つ事もあるようだ。跡部が本気を出しているかはともかくとして。
「吾妻さん、俺とも試合して頂けますか」
「うーん、日吉なら静かに試合できそうだから、良いよ」
 吾妻は多分ジローに頼まれたら断るな、としみじみ思った。静かに試合ができる環境が良いらしい。
 今すぐにでも試合をする気でいる若を止めたのは跡部だ。
「若、明日にしてやれ」
「どうしてですか、跡部さん」
「一試合やった後は、晶の体力がた落ちで面白くねえからな」
「あはは、ごめんね日吉」
 悪びれもせずに笑う吾妻は、元々激しい運動にあまり向かないんだろう。本人が大して運動している訳ではないと公言していたのを聞いたことがあるし、吾妻の趣味は読書と映画鑑賞だったはず。
「いえ、そんな吾妻さんに勝っても面白くないので大丈夫です」
「じゃあ明日、お手柔らかにね」
 にっこりと笑って、吾妻は応接室を後にした。去り際に伸びをした吾妻は、やはり疲れているらしい。伸びをした時に関節の鳴る音がハッキリと聞こえたくらいに。
 それをじっと目で追った跡部は、何処か退屈そうにソファに座り直した。あの試合は途中で切り上げられてしまったし、不完全燃焼なんだろう。
「晶の奴、テニスだとすぐバテやがって、面白くねえ」
「晶はテニス以外に何かやっとるんかいな」
 忍足の質問に、跡部はくつくつと笑う。どうやら、忍足と吾妻は仲が良いが、あまり好きなスポーツとかそういった話をしたことがないらしい。

「あいつの本分はフェンシングだ」

「そうなのか?」
「ああ、世界大会での優勝経験もあるぜ」
「知らなかった」
「日本ではマイナーだし、晶はカメラ嫌いで取材も断ってたくらいだ、知らなくても仕方ねえ」
 今は公式戦に出てはいないが、まだやっていると言われ、跡部がテニス以外にもフェンシングを得意としているのを思い出した。きっとテニスのように、たまに二人で試合をしたりしているんだろう。
「あいつは他人の間合いと呼吸を読むのは上手い」
「あの雰囲気、フェンシングでもなるのかな」
 滝は吾妻のあの変わりようが面白く思えたのか、楽しそうだ。跡部の肯定の返事に益々笑みを深くした。

「だが、あの雰囲気が本来の晶だ」

 以前はずっとああだったと、何処か苦々しく語る跡部は、吾妻のことを苦手に思っていたことがあるらしい。あの視線に辟易したからだろうか。確かに、あの攻撃的な雰囲気の吾妻を一日でも相手にして過ごしていたら、かなり疲れるだろう。少なくとも、俺は半日どころか一時間も耐えられる自信がない。

 普段穏やかで、何処か抜けたような吾妻の意外な本質を垣間見たその試合を、俺は当分忘れられそうになかった。


fin.


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