合流

 つんと、薬品の匂いが鼻について、滝萩之介は僅かに眉を寄せた。洗面台が備え付けられた教室の隅に、古びたベッドが三つ並んでいる。どうやら、保健室だった場所らしい。
「一階みたいだね」
 滝の呟きに対する返事はない。しかし、ガラガラ、ピシャンと忙しなく扉を開ける音が近付いてくる。滝は身構えるより先に、その教室から出る事に決めた。どうもまとわりつくような視線を感じるため、ここに留まることは得策ではない気がしたのだ。
 視線を振り切るように、滝は保健室だった教室を後にした。それから、扉を開け閉めしている音に近付くため、ゆっくりと歩き始めた。
「鳳、日吉」
「滝さん!」
「無事だったんですね」
 扉を開け閉めしながら、教室を一つ一つ確認していたのは鳳と日吉だった。二人に声をかけると、何故か真っ先に教室の一つに連れ込まれる。そこの教卓には折り畳み式の鏡があり、三人の姿がはっきり映し出されていた。
「いきなりだね。何かあったの?」
「鳳が、俺に成り済ました口裂け女に襲われかけたんです」
「丁度良く男子トイレから日吉が出てきて助かりました」
「なるほどね。だから鏡の前に来たんだ」
 そうなると、他の面々に成り済ましたものが居ないとも限らない。滝は教卓の上に置かれた鏡を手に取り、鳳と日吉を促した。
「誰かに会ったらこれに映せば良いだろうね」
 とりあえずどこに行くべきか思案していた滝は、ドタバタと聞こえてくる足音に笑みを浮かべた。誰かがこちらに向かってきているらしい。鳳と日吉にも聞こえたようで、一体何が来るのかと身構えている。
 とたんに、ぎゃああぁ、という二人分の悲鳴が聞こえてきた。一人は怪談嫌いの向日、もう一人は宍戸のものだろうか。
「あれ、二人の後ろ、誰もいないですね」
 鳳の言葉に、改めて近付いてくる二人の後ろを見た滝は拍子抜けした。確かに何もいない。見えないものかとも考えたが、滝は何も感じなかった。
 逃げる事に精一杯で、背後を気にしていないのだろう。呆れた日吉のため息に後押しされるように、滝は二人に声をかけ、まずは鏡を見せたのだった。



 跡部は、自身が四階に居ることを把握していたが、未だ誰とも合流出来ていなかった。聞こえる悲鳴の一部は囮だったし、四階には手掛かりがなさそうだ。苛立ちを隠せないままに手洗い場へ差し掛かると、丁度反対側からやってきた樺地と遭遇した。
「樺地、無事だったか」
「ウス」
「ジローはまだ寝てやがるのか」
 樺地が律儀に芥川を担ぎ続けている事に気付いた跡部は、芥川を起こすよう樺地に命令した。途端に樺地は芥川を落とす。命令に従うにはこれが一番だと、樺地は学習していたのだ。
「あでっ……あー、跡部だC」
「樺地、状況を説明してやれ」
「ウス」
 樺地が芥川に状況説明をしている間に、跡部は思案した。今こちらに合流したのは三人。残るは滝、日吉、鳳、向日、宍戸、忍足の六人。御門はまだ鏡の中のようだから、こちらにいる全員と合流しても戻らなければ様子を見た方が良さそうだ。
 そんな事を考えていた跡部も、よもやここの女子トイレで、忍足が幽霊に婚姻を迫られているなど知るよしもない。忍足と合流するのは、まだ先になりそうである。
「んー、そんでこれからどうすんのー?」
「せっかく合流したんだ、分散なんざできねえな」
 問題は、残り六人が四階まで来るかどうかだった。勘の良い滝や忍足、日吉ならば、分散させられた場所に戻るだろう。しかし、向日や宍戸、鳳は目の前の対処で手一杯になるかもしれない。跡部は、とにかく階段の踊り場へ向かう事に決め、芥川と樺地を連れ立って歩き始めた。



「新居は、あなたと一緒にいた泣きボクロの人のトイレなんか良さそうよね」
 跡部達が階段の踊り場に向かった頃、忍足は相変わらず花子さんに求婚されていた。話は発展し、いつの間にか彼女の頭に描かれた、新居などの結婚生活の計画になっている。
 氷帝における金持ちの代名詞、跡部の城のような自宅のトイレに住む花子さんを想像した忍足は、ミスマッチ具合に笑いたくなった。しかし、笑顔は花子さんにとっては肯定である事を学んでいた忍足は、必死に笑いを堪えるだけ。
「あなたが良いなら、あなたの実家暮らしも構わないわよ」
「きゅ、急に言われても、俺花子さんのことよお知らんやんか」
「安心して!あなたが結婚出来るようになるまでに、お友達から始めるのよ」
 花子さんは、前向きすぎて妄想癖があるようだ。忍足は、跡部達が女子トイレの前を通っていたことさえ気付かず、今ごろ皆揃っているのだろうかと、内心で嘆いた。が、次の瞬間ふと気付いた。
「なあ花子さん、俺、出たらあかんの?」
「あら、別に良いわよ、私はいつでもあなたの側に行けるもの」
 花子さんはケロッと言い放つと、個室の扉を開けた。あまりにもあっさりすぎる事態に、ポーカーフェイスが得意の忍足も、開いた口が塞がらない。
 しかし、これほど運の良いことはない。花子さんが閉じないように抑えているドアを抜けると、やはりそこは個室が並ぶ女子トイレだった。
「あなたそこの鏡の前にいきなり出てくるんだもの、運命を感じたわ」
「さよか……」
「さ、仲間を探すんでしょう?行きましょ」
 ついてくるんかい、と心の中で突っ込んだ忍足だったが、鏡に映る花子さんがやたらと大人びていた事に驚いた。むしろその姿なら考えたかもしれないと思った忍足は、ただの思春期の男子でしかなかった。


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