二極のせめぎ合い


 譜術の盛んなマルクト帝国の首都、グランコクマは水の都と呼ばれるほどにあちこちで水が流れ、美麗な景観作りの一端を担っている。整備された石畳の道をルーク達について歩いているフィアメントは、一見すると普段と変わらぬ表情であったが、その実、内心に緊張が走っていた。ジェイドならば或いは気付いたかもしれないが、生憎と彼はピオニー陛下との謁見の手筈を整える為に一行の先を歩いている。列を為す一行の最後尾を一人歩くフィアメントの表情や雰囲気から僅かに滲むものを悟れる筈もない。
 グランコクマに聳えるマルクト帝国の宮殿は、街並みから更に輪をかけた美しさを示し、国の、皇帝の力をも表しているようだ。ピオニーが元よりキムラスカとの和平を望んでいることをルーク達は知っているためか、彼らはバチカルへ向かう時のような緊張感も薄い。フィアメントだけは、段々と近付く謁見の時に何かを押さえ込むように表情を強張らせているが。それは王位の人間と見える事に対しての緊張だけではない。
 フィアメントの緊張を余所に、ジェイドがいるおかげかすんなりと宮殿を謁見の間まで通された。そこで玉座に座していたピオニーは、フィアメントから見る限りでは年若い。ジェイドとは旧知の仲のようだから、恐らく同じような年なのだろう。傍らには軍人らしき、重鎮のような貫禄漂う者が控えている。フィアメントはバチカルの時と同じように出入り口の近くに立ち、じっと成り行きを見守っていた。



 やはりと言うべきか、話はすんなりとまとまる。和平の話し合いの場をユリアシティと決め、ならばアルビオールの飛行機能を取り戻すために浮遊機関を探さなければと、次はダアトに向かうことになった。フィアメントはその間もじっとピオニーの姿を眺めているだけだ。年若いとは言え、思考も決断力も申し分ない人間、そう判じたフィアメントの結論は間違いではないが、普段の行いを知らないからだとジェイドならば言うだろうが。
「フィアメント・ラスティール殿」
 俄に名を呼ばれ、フィアメントは思考の海から帰還を果たした。名を呼んだのはどうやらピオニーのようで、フィアメントは慌てて膝を着いた。周囲の面々は不思議そうに状況を眺めているだけだ。
「……お初にお目にかかります、ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下。御挨拶が遅れた事に関して――」
「いや、そんな事を咎める気はない。だが、ジェイド達と行動しているということは、貴殿の意思と取っても構わないか?」
「はい。私は、己の意思で彼等と行動を共にしております」
 ピオニーの問い掛けに対して、フィアメントは噛み締めるように答えた。周囲にはルーク達がいる、その中で敢えてピオニーは問いを投げかけ、フィアメントもまた答えを返す。それは彼らに対する宣言でもあった。借りを返す為にではなく、フィアメント自身の意思でルーク達について行くと決めたことを。事実、フィアメントはそれを初めて宣誓したようなもので、ジェイドを除く一行は驚き、そして次には喜びを滲ませた。ピオニーは思案するように己の顎を軽く撫で、再び口を開く。
「そうか。貴殿には……可愛くない方のジェイドを任せても問題ないだろう」
「――は」
「陛下、彼をからかうのはお止め下さい」
 ピオニーの言葉に、思わず顔を上げたフィアメントは彼のその言葉の意味を図りかねて首を傾げる。諫めるように口を挟んだジェイドの言葉で、ピオニーなりの冗談らしいとは悟ったものの、可愛くない方の、とは果たしてどういう意味なのかフィアメントは知らない。丁度その頃、ピオニーの私室で惰眠を貪っていたブウサギ達の内の一匹が、小さく鳴いた。
 ともあれ、無事にピオニーとの謁見も終わった一行は、浮遊機関の在処を調べるために、それを奪われた地、ダアトへと向かったのである。



「それにしても、フィムって何者なんだ?」
 今までも少なからず話題に上った疑問を呈したのはルークだった。ダアトへ向かうアルビオールの中、その一言で視線が一斉にフィアメントへ向かう。そこで全てを話してしまえば良いものの、彼は根が非常に優しく、ついでに言えば発言の前に言葉を吟味するような男である。ピオニーの口振りは、何もフィアメントの事をジェイドから書状で伝えられただけではないような雰囲気だった。皆が疑問に思うのも仕方ない。
 さらに、フィアメントは彼に対し挨拶が遅れたとも言っていた。ルークたちに付いて行動していることに関してではないような彼の言動。何一つ、フィアメントの抱えるものなど知らないのだと突き付けられたような気が、ルークはしたのだ。そしてそれは何も自分だけが抱えた疑問ではないことも、あまり頭の回転が良くないと自覚しているルークでさえ悟っていた。
「俺の一族は……各国に新たな王が出来れば挨拶に赴く習わしだ」
 じっと瞑目し、それから漸く出されたフィアメントからの答えに、ジェイドはやれやれと肩を竦めた。ルークの何者という問いが、先のインゴベルトやピオニーとの謁見から生まれたと判断し、答えに足る言葉を選び抜いた結果だろう。ただ、根幹には全く触れていない。枝葉には働きかければ容易く触れられるようになっただけ、フィアメントにとっては進歩なのかもしれないが、それではルークの呈した疑問も消化不良のままだ。
 黙するフィアメントは、この話はもう済んだと考えると、輪の中からふいと外れてアルビオールの座席に腰を下ろした。解消どころかさらに積み上がった疑問をルーク達がさらに問い掛ける間もなく、黙したままのフィアメントの視界や意識は、辺りに広がる海へと向いてしまった。



 紆余曲折、という程でもないが、ダアトにてディストからあからさまな手紙を受け取り、その内容を殆ど無視した結果、浮遊機関を無事取り戻した一行は、イオンの提案を受けて一度ケセドニアへと向かった。自治区としてあるそこで一番の力を持つアスターを、本来ならば国やダアトの首脳しか立ち会えない場に呼ぶためだ。実際、外殻大地の降下を受け入れ、先に魔界での生活を送っているのだから、それにまつわる注意を伝えられるとアスターも言って、提案を快諾してくれた。
 ケセドニアに到着した際に、ノエルはアルビオールでキムラスカ、マルクト両国の和平交渉に参加する面々をユリアシティに送るために別行動をしている。アスターも準備があるだろうと、一行はケセドニアで宿を取ることにした。宿の手配はアスターがしてくれ、ノエルもまだ時間がかかるだろうと、事実上の自由行動となった。



「フィム、少しいいかな」
 宿屋に割り当てられた部屋でフィアメントがくつろいでいると、遠慮がちなノックの後にルークが顔を覗かせた。頷いて肯定を示したフィアメントを見て、安心したようにルークは部屋へ足を踏み入れる。おや、と思ったのは、そのしおらしさだ。その変化を悟る位には、フィアメントもルークの人となりを分かっているつもりだ。他愛もない事柄ならば、勢い良く扉を開いてフィアメントに声をかけていただろうに。
 部屋に立ち入ったルークは、フィアメントと同じように、ベッドの縁、彼の隣に座った。言葉を探しあぐねているのか、切っ掛けが掴めないのか、ルークは暫く視線を泳がせる。フィアメントはそれに急かすでもなく、ただじっと待っていた。魔界に落ち、障気に淀む空の下でも、ケセドニアのざわめきは小さいながらも部屋にまで届く。万全でもないだろうが、それでも不安を払拭するように生活しているに違いない。随分と長い沈黙の後、ルークはようやっと口を開いた。
「フィムは、俺がレプリカだって知ってるのか?」
「ああ、ジェイドから聞いた」
「そっか……」
 再びの沈黙。フィアメントはそれ以前からルークが「人間」とは違う存在だと悟ってはいたが、それについては言及しなかった。レプリカというものだと聞いたのは確かにジェイドからだったのだから、あながち間違いでもないとフィアメントは思っていた。さらに言うならば明かすのは皆がいるときにと決めているフィアメントは、まだ時期ではないと考えたのだ。それに、ルークの事情について概略ではあるがジェイドから聞いているフィアメントにとって、彼一人に明かしてしまうのは酷だと思う。ルークは「人間」と同じように生きている。戦争にだって胸を痛め、命を奪うことに未だ畏れを抱いているようだから。
「ジェイドから、何て聞いてるんだ?」
「……俺を巻き込んだアクゼリュスの崩落は、ルークの力だと」
「そ、か」
 覚悟はしていたのだろうルークは、目を伏せながらも短くそれだけ返した。彼が贖いのように奔走する今の姿だけしか、フィアメントは知らない。ジェイドがシェリダンで事態を説明するときに、そうした細かな部分を省いて要点を掻い摘んだのだ。それでも、その崩落がルークにとって一番堪える罪でもあるのだと、それだけは補足した。それを聞いていたフィアメントは、何も言わずにルークが次の言葉を紡ぐのを待つ。
 沢山の「人間」があの崩落に巻き込まれ、その余波の結果がこのケセドニアを始めとする魔界に落ちた場所。それでもフィアメントに傷心は無かった。手をぎゅっと膝の上で握りしめるルークを横目に、フィアメントは瞠目した。気付いてしまった。明かすことに躊躇いを感じる己の深く、奥底に沈んでいた感情に。
 ルーク達を傷付けたくないというのも嘘ではないのだが、それは酷く利己的で久しく思ったことのないものだった。関わりを避け、閉ざしていたものはいつの間にか、ゆっくりと姿を現していたのだ。フィアメントは頭を振ってそれを再び閉じ込める。付随した自己嫌悪と共に。
「フィム、気分でも悪いのか?もしかして障気のせいで……」
 ルークの声にハッとしたフィアメントは、いや大丈夫だと答えた。
「案ずるな」
 ティアかナタリアを呼ぼうかと尚も言い募るルークの優しさに、フィアメントは彼の頭を軽く撫でた。こんなに優しい青年が、果たしてどんな経緯でアクゼリュスを崩落させたのかフィアメントは知らないし、さしたる興味もない。ただ、ヴァンの存在が黒幕としてあったのだとしか聞いていないが、フィアメントにとってそれで充分だった。
 二人の間に再び走った沈黙を、ルークは恐る恐る破る。
「フィム、何も聞かないのか?」
「……追い詰める理由などないだろう」
 揺れたルークの瞳は、その身に背負う罪悪感と贖罪の重みを如実に語る。フィアメントはそれを掘り起こすつもりも、突くつもりもない。それを聞いたルークは、眉を下げて笑った。フィアメントは優しいなと言いながら。
「優しくなどない」
「そんなことないだろ」
 フィアメントはルークの言葉に反論を重ねようとして、止めた。押し黙ったフィアメントに、ルークはありがとうと礼を告げて部屋を後にした。扉が閉まりきってから、フィアメントは息を吐いてそのまま背中からベッドへと倒れ込んだ。
「俺は……醜い」
 苦々しく呟いたフィアメントの声は頼りなく震えていた。彼らに近付いて行くほど、畏れが迫る。そしてあれほど深く関わるなと自制したはずが、緩慢に崩れていく現状は反して心地がよいのだ。
『もう、過去だ。全て』
 言い聞かせるように呟いてみても、未だに根はくすぶるように煙を上げて、フィアメントの心を障気の支配する空のように陰鬱にさせるだけだった。





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