内包するもの


 次の日の朝、ナタリアが強い決意を秘めた目を取り戻し、バチカル行きを決めたと告げる。危険なのは皆同じだが、今はイオンも同行しているため、多少心強い。
 アルビオールはまだ飛行できないため、バチカルへ向けて海路を進む。水面を駆ける間、談笑はあれども皆緊張を隠せない。キムラスカは、預言に従う事がもはや当たり前で疑いもしない保守的な部分が多く、そのため、ローレライ教団の大詠師モースと密接に繋がっている。先のナタリア偽姫疑惑と処刑騒ぎも手伝って、緊張するなと言う方が難しい。
「ところでフィム、さっきから難しい顔だけどどうしたんだ?」
 やっぱりフィムも緊張してるのかとは言わなかったルークだが、それでも普段とはどこか違うフィアメントの雰囲気に、声をかけずにいられなかった。何故かは分からないが、彼がいなくなってしまうように思えて。
「いや、案ずるな」
 フィアメントはしばらくの間を置いて、それだけ口にした。その発せられた重苦しい声は今辺りに満ちる緊張のせいだろうか。だけど、と尚も退かないルークの朱色の髪を撫でたフィアメントは、そのまま操舵室から立ち去ってしまった。
 その行動に驚いたのはルークだけでなく、彼らの成り行きを見ていた全員だ。
 フィアメントの表情といえば、普段から変わらぬ無愛想とも取れるものや、思考に耽った時の眉間に皺を寄せる怒りにも見えるものばかり。それがどうだ、先程の彼は困ったような笑みを浮かべたのだ。さらには好意的な態度をあからさまに行動で表したとなれば、意外性は抜群だ。
 これはジェイドも予想しなかった変化で、昨晩「まだ誰にも告げるな」と言われたため、てっきり変わらぬ態度を通すものだと思っていた。ここまで急転するくらいならば、いっそ告げても良かったではないかとジェイドは呆れたような笑みを溢す。
「フィムの奴、何があったんだ?」
 先程撫でられた頭に手をやりながら、ルークがぽつりと呟いた頃には、アルビオールはバチカルの地へ到着していた。



 バチカルの入り口では、キムラスカ兵に止められたが、イオンの機転により通り抜ける事ができた。そこさえ抜ければ、イオンの言葉や先の処刑騒ぎの二の舞になりかねないため、兵士も迂濶に手を出せない。
 フィアメントは特に何も言わずに一行についてきているが、表情は険しい。それがもたらす雰囲気のせいか、城の入り口で気色ばんでいたらしい兵士も、イオンを見て慌てて姿勢を正した後に、フィアメントを視界に入れて顔を青くしていた。兵士からしてみれば災難だが、ルーク達からすれば助かったとしか言いようがない。フィアメントに関してはだめ押しにも似ているが。



 謁見の間には、インゴベルトの他に大臣や、大詠師モースまでいた。フィアメントは特に何かを言う気はなかったため、ルーク達の後方に位置を取る。兵を呼ぼうとする大臣達を牽制したルークは、ナタリアとインゴベルトが親子として過ごした記憶が、血の繋がりのない二人が親子たる証明だと言った。以前、秘預言を確認した時とは変わり、真っ直ぐ、力強く言い切ったルークは、照れたようにティアの受け売りだと小さく付け加える。
 揺れ動くインゴベルトに尚も言葉で畳み掛けようとするルークを留め、ナタリアが一歩前に出た。彼女はインゴベルトを父と言いかけたが、敢えて陛下と言い直す。己を罪人と呼ぼうと構わないが、マルクトと争うことは止めて欲しいと嘆願した。国を、国民を愛すればこその言葉は、ナタリアが王女であろうと努力を重ねた事実を雄弁に語っている。
 イオンはそんな二人を援護するように言葉を紡ぐ。マルクト帝国の陛下より和平を任された信を損なわぬため、彼は自身の意思でこうして再び和平を結ぶために来たのだと。例えキムラスカにモースが取り入ろうと、ローレライ教団の最高指導者はイオンであり、イオンの身に何かあればダアトから何らかの措置があるだろう。
「畏れながら陛下」
 揺れに揺れるインゴベルトはついに口を開かず、見かねたからか好機と捉えたからか、ジェイドが恭しく前置きして進言する。年若い者にばかり言葉を重ねられては、矜持が許さないだろうから、後日改めて意思を伺いたいと。
 それに反論をしたルーク達の心配はもっともで、猶予を与えたがために兵を伏せられる可能性もある。現状でインゴベルトは揺れているものの、バチカル、特に王城は彼らにとって危機の真ん中であることは否めない。しかし、ジェイド曰く、そうしたら以前の処刑騒ぎのように、バチカルの市民が再び蜂起すると。
 譲歩案というよりはもはや脅しだ。状況を眺めていたフィアメントのその思いと同じだったらしく、インゴベルトは硬い表情でジェイドを見た。死霊使いが工作無しに来るとお思いですかと、ジェイドは己を自負するかのような言葉を向けてから、書状を捧げた。
「ラスティール殿、貴殿もそちらにつくか」
 書状を受け取ったインゴベルトは、後方で黙して語らずにいたフィアメントへ言葉を投げ掛けた。ジェイドやイオン以外は、驚いたように彼へ視線を向ける。
 フィアメントは膝を着き頭を垂れてから、静かに口を開いた。
「インゴベルト六世、私は己が常に正しき選択を行う訳ではありませんが、貴公は国を負うものとして正しき判断を下すよう、お願い致します」
 我が一族を負うなど、単なる感傷に過ぎませんと、フィアメントは告げた。それきり口を閉ざした彼は、失礼しますと謁見の間を後にする。それをきっかけにして、ひとまずは解散という雰囲気が満ちた。ナタリアはついにインゴベルトを父と呼ぶことはなかった。


 王城を後にしたルーク達は、ルークの自宅であるファブレ公爵邸ではなく、バチカルの市街地にある宿屋で一晩を過ごす事にした。王室と姻戚関係にある公爵邸では不味いという判断からだ。
 インゴベルトへ脅しに似た言葉をかけたジェイドの真意は、やはりそのままの意味だった。彼は己の異名や評価すら利用した形となり、その平然とした物言いには仲間達も唖然とするしかない。果たしてインゴベルトがどのような判断を下すか、不安もあれど揺れた態度に希望を見たくなる。だがもしもという予想を否定する根拠もないが、ナタリアは真っ直ぐな瞳で決意を表明した。城に残り、命をかけてでもインゴベルトを説得すると。
 その姿はナタリアこそがキムラスカ王女だと思わせる。ティアが感嘆と共にそう評すれば、彼女はそうありたいと返す。フィアメントも、ナタリアほど国や国民のために己を犠牲にするだけの献身的な人物を見たことはなく、ただ感心するばかり。
「ところで、フィムは陛下と知り合いなのか?」
 話も一段落し、ガイがフィアメントへ話を振る。ジェイドは眼鏡のブリッジを押し上げ、彼を見やるだけだ。その場にいた全員の疑問を口にしたガイへ、フィアメントが目を向ける。
「面識はある」
 長い沈黙の後、その一言だけで彼は説明を果たしたつもりでいた。受けとる側への配慮を含めて彼なりに熟考し、直ぐに浮かんだ言葉を取捨選択した結果だったが、放たれたものにはもはや気遣いの形跡すら伺えない。さらに、説明が足りないと意見するには、フィアメントのしかめっ面から派生した硬い空気が、ともすれば怒りをもたらしかねないものだった。
 結果、簡潔すぎる言葉を受け取ったガイ達は、そうかとしか言えず、更なるすれ違いを生んだ。いっそ全てを説明してしまえば良いのではないか。そう思うのは、フィアメントの素性を知るイオンやジェイドのみだが、両者とも「本人が言うまでは、横槍が入ろうとも黙秘」を貫く構えだ。
 はぐらかすなり黙秘なりと説明する気が無いよりは良かったが、ルーク達への信頼が増すにつれ、素性を明かすことに畏れすら抱き始めたフィアメントは、頭の中で幾重にも言葉を重ねては削り捨ててしまう。
「先に休む」
 今この場に満ちるどこか気まずいような空気の中、苦虫を噛み潰したような表情のフィアメントは、それだけ告げて割り当てられた部屋へと引き揚げてしまった。



 面白い。そう思うのは他人の痛みを傍観する悪癖ゆえかと、ジェイドはため息をつく。彼は半身を起こしてベッドヘッドへ背を預けながら、隣のベッドで眠るフィアメントへ視線を向けた。彼がアルビオールで見せた態度の変化からして信頼はあるのだろうが、どうも距離を測りかねているように見える。
 不安、畏れ、怯え。良い感情からではなく、ただフィアメントの中に燻る物が忠告しているのか。表情のパターンが少ない彼からそれを正しく読み取るには、ジェイドも時間をかけて観察してしまうほどだ。フィアメントは何を思いながら言葉を選び、口を開いているのか。
 フィアメントの身動ぎする音がやけに響いた気がして、ジェイドは思考を中断させた。すぐさま戻る静けさをきっかけに、ジェイドはもう寝ようと決めた。



 翌日、登城したルーク達を待ち構えていた結末は充分に喜ばしいもので、インゴベルトがナタリアを我が娘とはっきり口にし、あれこれと横槍を入れようとするモースを一喝した。そして、無事にマルクトとの和平に結び付いた。
 何も知らなかった頃には戻れないが、それでもやり直しをする機会はあるし、二人の関係が拗れる前は良いものだったのだから、悲観する理由もない。無理をするなとナタリアを見送ったインゴベルトの目は、優しい父親のそれだった。

 次はマルクトだが、ピオニーは元々キムラスカとの和平を望んでいたため、インゴベルトの意向を伝えるだけで終わるだろう。相変わらず渋い顔をしているフィアメントも、ルーク達についてアルビオールに向かった。



「フィム、やっぱり何か気になるんだろ?」
 マルクト帝国の首都、グランコクマへ向かう道中も渋い表情のままのフィアメントに、ルークが声をかけた。それに乗るように、ナタリアも皆が心配していることを告げる。
「大したことではない」
 言いながらも表情が和らぐことのないフィアメントに、ついにティアやガイまでもがもしかして体調が悪いのかだの、食事にするかだのと様々な案を提示していく。フィアメントは、本当に大したことではないんだがと思いながらも、四人に詰め寄られた上に、アニスとジェイドからの生暖かい視線が刺さり、小さなため息をつきながら渋々と口を開いた。
「正装無くして謁見するのは無礼に当たるかと思っただけだ」
 バチカルでは杞憂だったが、と続けたフィアメントはどうやらグランコクマでの事も考えていたらしい。妙な所で律儀な男だ。
「大丈夫ですよ、ピオニー陛下なら気にしないでしょう」
 ジェイドのその言葉に、フィアメントは疑問符を浮かべながらも、そうかと返した。皇帝の懐刀とも称されるらしいジェイドの言ならば、無礼と言われる事がないのも事実なのだろう。
「それに、正装でない方は他にもいますから」
 ジェイドの視線を受け、余計な事を、とガイが呆れた。それからルークの服もだのと周囲の話題が発展する中、グランコクマの壮麗な街並みが見えた。




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