手札を増やす


 そんな嘆きを知らぬフィアメントは、ベルケンドの片隅でぼんやりと考え事をしていた。あの調子では少なくとも、ジェイドやガイからの信頼はもう得られないかもしれないと、悲観的なものだったが。今彼らの元へ戻ったら、もう十分ですと言われるだろうか。
 ただ借りを返すだけと言いながら、フィアメントはそう思い落ち込むほどに彼らを気に入ったらしい。しかしフィアメントは、ジェイドやガイよりもあっさりとした性格だった。すぐさま、同行せずとも大丈夫だと言われた時の事へ思考を持っていくほどに。
 寝床を作り直して、この散歩で新たに集めた野草の中でも薬草は加工しなければならないし、それ以外は綺麗に洗わなければ、そういえば新しくブーツとグローブも作らなければ予備が無くなるではないか、それから武器の調整も兼ねてグランコクマに行くか。こんな調子で考え事を巡らせたフィアメントは、そこで何かを思い出した。
「魔界じゃないか」
 そう、フィアメントの住処があるシュレーの丘は、現在魔界に落ちている。そして今滞在しているベルケンドは外殻大地。自力で帰るにも面倒な位置関係だ。アクゼリュスのように崩落に巻き込まれて落ちるならともかく、フィアメントは自分から魔界に飛び降りる度胸は持っていなかった。
 帰るにも帰れず、という状況ではどうしようもないし、予想だけで依頼を反故にするのもどうかと結論を出したフィアメントはため息をついた。けれど、フィアメントはルーク達の行き先も知れないし、外はもう夕闇迫る時間帯だったこともあり、一晩をここで過ごすべく宿屋へと足を進めたのだった。



 宿屋のロビーでは、気まずい沈黙を打ち破った猛者として大絶賛されたアッシュが、心なしか疲れたような表情で椅子に座り込んでいた。アッシュはフィアメントの姿を見付けるなり、導師からだと一冊の本を手渡した。古びた本には、古代イスパニア語らしいタイトルが鎮座している。
「持ち歩くも焼き払うも好きにしろ、だとよ」
「わざわざすみません」
「それから、屑共ならここに泊まっている」
「親切にありがとうございます」
 フィアメントが礼を言うと、アッシュは「あの眼鏡とガイが静か過ぎて気持ち悪かったからだ」と吐き捨てて、個室のあるフロアへ向かってしまった。実際には、その二人が静か過ぎたせいで、アッシュが用件とダアトに囚われたままだったノエルをアルビオール共々連れ戻したことを告げたら、ナタリアどころかアニスやティア、果てはルークにまで温かく称えられたせいである。特にルークの称賛に、アッシュは身の毛がよだつ気分だったせいという、単なる八つ当たりだ。
 やはりアッシュは随分律儀な人だなあと、同じく律儀な部類のフィアメントは感心してから、宿屋のカウンターで受付をすませ、部屋代を支払った。



 フィアメントは一人、イオンからだと受け取った本をパラパラと流し読みしていた。それは千年以上前に書かれた書籍で、色褪せたインクの文字は辛うじて読める程度だ。
「もう二度と起こりはしない事、過去の事だ」
 公の歴史にすらないことを、フィアメントは残そうと思わなかった。預言にあろうとなかろうと、環境や状況に適応出来ない者は淘汰される。それは自然の摂理だ。
 閉じた本を手に、外に出ようと部屋を後にしたフィアメントは、客が自由に使えるキッチンに誰かを見つけた。近付けばそれはジェイドで、どうやら湯を沸かしている。別にいいかと、フィアメントは静かに踵を返そうとした。
「フィム?」
 すぐさま足音で見つかってしまい、フィアメントは仕方なく振り向く。呼び止めたジェイドはテーブルに並べられた椅子に腰掛け、マグカップを持ち、空いている方の手でフィアメントへ手招きをした。本を片手に抱えたまま立ち尽くしていたフィアメントは、何か重要な話かとそれに従う。
「少し息抜きに付き合って下さい」
「読書か」
「ええ、ですが殆んど終わりました」
「そうか」
 フィアメントは特に細かく聞き出さないで、ジェイドの隣に腰を下ろした。ただ単に、フィアメントから一番近い椅子に座っただけで、彼に他意はない。
 特に目立った会話もないが、フィアメントが穏やかな雰囲気なので気まずさはない。気まずくないのは良いが、やはりフィアメントはジェイド達の目的や、彼が何を読んでいたかを聞くつもりはないらしい。
 ジェイドは、困ったものだと思いながらフィアメントを見た。此方からカードを提示しても短い返答ばかりで、フィアメントから情報を引き出すのが難しいのは承知している。だからこそ質問のカードは多い方が良いと、ジェイドは思う。
「おや、その本は?」
「処分する」
「いえ、中味の話です」
「……読み終わったら処分するぞ」
 フィアメントが持っていた本は、テーブルの上に置かれた。彼はそのまま立ち去ってしまったが、少しばかり収穫があったなとジェイドはほくそ笑む。
 本のタイトルには「エイル族の終焉」と書かれていたが、ジェイドはその一族らしき名前に思い当たることはない。裏表紙を開いて見れば、書かれたのは千年以上昔のようだ。物語かとも思ったジェイドは、暇を見て読むことに決めた。



 次の日の朝、フィアメントは何食わぬ顔で宿屋のロビーに佇んでいた。そのあまりの自然さに、ナタリアやアニス、果てはティアまでもが朝の挨拶を交わしてから彼が戻ってきたことに驚き、安心したほどだ。夜に言葉を交わし、彼女達より先に起きていたジェイドやアッシュが、フィアメントの存在をさも当たり前のように過ごしていたせいもあるが。ガイはと言えば、やっぱりなと思うだけで自然に接していた。
 彼らより少し遅く起きたルークは、どうやらミュウに教えられたらしいが、実際にフィアメントの姿を見て喜んでいた。そんな態度にフィアメントは、彼らがそんなに喜ぶ理由など己にあるのかと、延々考えている。よもやジェイドとガイがやたら静かだったから、とは思わずに。

 昨晩ジェイドが夜を徹して読書に勤しんでいた理由は、安全に外殻大地を降下させるために、魔界の液状化現象を止める手段を調べていたから。そして、それはアッシュがイオンから託されたローレライ教団の禁書に、書かれていたのだ。
 液状化は地核の振動によるものだが、そもそもの原因が惑星燃料供給機関であるプラネットストームだ。それさえ止めれば地核の振動は消えるのだが、プラネットストームがなければ譜業や譜術といった、今の生活に密着しているものに支障を来してしまう。
 アッシュが届けた禁書には、プラネットストームを止めずに液状化を止めるための草案が書かれていると言うのだ。創世歴時代の音機関を復元しないことには実行できないが。フィアメントはそういった理論的な話は得意ではない上に、彼らの最終目的にも興味がないため、特に真面目には聞いていない。
 からかわれたアッシュが宿屋から出ていったのを、フィアメントは少しだけ目で追うが、特に興味もないためジェイド達の話に少しだけ耳を傾けた。どうやらベルケンドにいる研究者に会いに行く算段のようで、フィアメントは僅かに思案してから、もう少し宿屋にいることに決めた。今の彼の道具袋には、仕分けされていない野草が無造作に放り込まれたままだ。



 フィアメントが、溜め込んだままの野草を粗方仕分けた所で、にわかに宿屋の外が騒がしくなった。ベルケンドは元々音機関の研究者が多いため、普段は機械音程度しかしない静かな場所というのも、彼が外の騒がしさに気付いた理由だ。
 仕分けた野草を道具袋へ丁寧にしまい、フィアメントが宿屋の外へ出ると、ルークとアッシュがぎゃあぎゃあと言い争いの真っ最中だった。周囲に控える人々は止めないのかと辺りを見たフィアメントだったが、苦笑いや呆ればかりを浮かべる彼らにそれを期待しても仕方がない。
 結局、言い争いの渦中にいたアッシュが、もういいと乱暴な口調で投げ出して強制終了させた。彼が去り際に吐き出した台詞から察するに、どうやらスピノザという男を追いかける話をしていたらしい。そして、アッシュが単独で追いかけるつもりでいたら、ルークが一緒に行こうと言い出したのが口論の理由のようだった。
 ルーク達に協力してくれる技術者らしき老齢の男女二人は、アッシュのことを寂しがりではないかと言っている。本人が聞けば意地を張るだろうが。彼ら、ヘンケンとキャシーは、ともかく頼まれた物は作っておくからと、ルーク達を笑顔で見送った。
「私たちの目的を忘れないで、ルーク」
「わ、分かってるよ」
 どうやらルークは、アッシュに対抗意識を燃やしているらしく、ティアの釘を刺すような物言いに慌てている。その返答は、アッシュより先にスピノザを捕まえたいという気持ちを隠しきれていない。なるほどルークは誤魔化すことが苦手なのかと、フィアメントが状況とは全く違う方向へ納得していた。




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