閉ざしきった心に朝を/孫さも
 

閉ざしきった心に朝を/孫さも


今日は特に用事もなかったが普段よりゆっくりできた、というわけではなかった。
一刻ほど前に花子が散歩に出かけたまま帰ってこないので、心配になって探しにいくと左門の姿が。何をしていると分かりきっている愚問を投げかけると当然のように、迷った!と、きっぱり言いきられた。
このまま放っておけば明日になっても帰ってこないのは目に見えている。仕方がないので自分の元で保護しておいてやろう。数刻もすれば作兵衛あたりが引き取りにくるはずだ。そう思って左門を自室に招いた。

「ジュンコ、おまえ美人だな」
「当然だろう」

ジュンコの代わりに返答する。正直ジュンコたちがいるこの部屋に微塵も臆せず入り浸る左門に驚いた。常人は部屋どころかわたしに近付くことすら躊躇(ためら)うというのに、コイツときたら怖じ気る素振りを見せず、そればかりか平気でわたしのジュンコたちに触れようとする。
ただ単に生き物が好きなのか毒を持っていることを知らないのか(それは断じてないと言える)。どちらにせよ左門はすごい。この短時間で、そう簡単には人に懐かないあのジュンコを手懐けてしまうのだから。左門にはそういう力があるとわたしは思う。
左門みたいな人間は恵まれている。ここまで築きあげたわたしとジュンコたちの輪に、いともあっさり入り込める人間はごくまれだ。小さな嫉妬心まで生まれてしまうほどに。

「わっわわっ!」

タイミングがいいのか悪いのか、そのとき突然ぐらりと床が動いた。正しくは動いたのは床ではなく地面自体で、それが地震だと理解する。
ジュンコたちが怯えないよう両の手いっぱいに彼らを抱え込んだ。過保護だと思われてもいい。それほどジュンコたちが大事なのだ。
ふと背中に感じる重圧感と人間の体温。背後を覗くと誰かの頭が見えた。言わずもがな左門のものである。表情までは見えないが腕の中の生き物たち以上に地震に怯えているようだ。
ジュンコたちを放し、片手で軽く背中を叩いて「大丈夫だ」と声をかけると腰に回されたしなやかで細い、しかし適度に筋ある腕にさらに力がこもる。胃が押しつぶされて少し苦しい。

「、左門」
「……」
「いつまで引っ付いてるつもりだ」
「え!あ!」

脱兎のごとくわたしから遠のいた左門は、すまんと吃りながら何度も謝ってくる。別にそんなつもりではなかったのだが、言い方が少しキツかったか。空いた腰と背中が妙な寒気に襲われる。人間の体温とはこうも温かいものなのだろうか。いや、左門が特別に温かかっただけなのかも知れない。
久々に感じた人のぬくもりに懐かしさと慈しみを思い出す。人間以外の生物だけでは感じ得ないものなのであろう。

「おまえ、地震が怖いのか」
「こっ怖くないぞ!地震なんか!」

先ほどまで地震に怯えていたものの言葉じゃない。わたしに抱き付いたあの行為はいったい何だったと言うのだ。いつもの調子ならば、怖い!と、こっちがすぼんでしまうような断言をする左門がしりごんでいるさまはまったく珍しい。
少しだけ、ほんの僅かだけ、愛おしいと思ってしまった自分がいることに驚いた。今まで人間に対してこんなことを思ったことがあっただろうか。いや、断じてなかったと言える。ジュンコたち以外の生き物を愛(めぐ)しいと感じたのは、久しいようで初めてのことだった。
いつの間にか首元に移動していたジュンコの頭を撫でて左門に向き直る。

「怖いなら怖いと言え」
「だっ、だから怖くないってば!」
「、守ってやる理由がないだろう」

そう一言だけ告げて、あとは本能の赴くままに左門を両腕の中に閉じこめた。狼狽(ろうばい)しきっているようで「え、えっ、」と歯切れの悪い単語が左門の口から零れ続ける。うるさい唇を自分のそれで塞いでやると、かっと赤くなる頬。そこに先程と同様に口付けを落とす。唇には劣るがそれなりの弾力にさらに愛おしさが溢れ出す。
そこまでしておいて、自分がしたことの重大さに気付いた。わたしは何をしているんだ。そう思っても遅い。してしまった事実はもう覆(くつがえ)すことができないのだ。

「す、すまん」

突然の口付けに、ましてや男が男におくる口付けを喜ぶやつなど、いるわけがない。己がしたことなのに恥ずかしさやら情けなさが込み上げて、自分自身に唾棄(だき)したくなった。
どうすればいい。どうすれば左門はわたしを許してくれるだろうか。自身の行動に責任を持たなくてはならないと説かれていたのに。この様子だとわたしは忍失格に値する。今さら嘆いても後悔はあとに立たないのは分かっている。精一杯に謝罪をすれば許されることなのだろうか。
こんなの、道徳に背いている。

「、左門」

いくら待っても左門から返事は戻ってこなかった。訝(いぶか)しげに彼を盗み見ると依然、顔を真っ赤にしたまま時が止まったかのように硬直している。もう一度、左門と呼びかけてみるがやはり大した変化は見られない。かなり強制的だが注意を傾かせるにはこれしかないな、と左門の両肩に手を乗せてガクガクと前後に揺すってみる。時折「さもーん」と、周囲に響かない程度の叫び声を添えて。
ようやく思いが通じたのか、はっと意識を取り戻した左門に目を背けながらすまんと一言、謝罪をした。尚も顔を赤らめている左門は「えーっと、」と言葉を濁しながら視線を空中に彷徨(さまよ)わせる。

「いっ、イヤじゃ、なかった、ぞっ!」
「!」

では、もう一回するか?と尋ねると、ううう、とさらに頬が朱に染まっていく。これが可愛いと思う気持ちなのか。誰かさんの気持ちがようやく分かった気がする。
初めて人間を愛らしいと思った。初めて人間に恋をした。しかも相手は同性だった。
それでもいいと思えるのは君だから。朝みたいな君となら億劫な朝も好きになれる。みんながみんな君みたいな朝を運んできてくれればいいのにな。


(閉ざしきった心に朝を)

 
 
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