狐は魔法を魅せるの | ナノ


狐は魔法を魅せるの


――これを遊馬に渡します。
何度目かのデートの後、Wから銀色の鍵を手渡された。
――僕の家の鍵です。仕事であまり帰れないのですが、好きに使ってくれていいですよ。
アジアチャンピオンとして世界各国を飛び回るWの忙しさは半端じゃない。付き合うようになって知った彼の生活は、とんでもなく目まぐるしいものだった。これでよくファンと交流する時間を持っていたな、と遊馬は感心したくらいだ。
「俺と会うの、無理してねえ?疲れてるなら寝てていいんだぜ」
Wが借りているマンションの一室で、自宅デートに呼ばれた遊馬は、忙しい彼氏を気遣って言った。
Wは生活が不規則になりがちだ。仕事はもちろん、空いた時間はファンサービスに当てている。その上、遊馬という彼女がいるのだ。ひとつしかない身体でそれら全てをこなすのは無理がある。
遊馬はWにもっとくつろいでほしかった。疲れているならそう言ってほしい。
Wは外で見るのと同じく、きっちり私服を着込んでいて隙がない。ソファにも凭れることなく背筋を伸ばしている。きっと育ちがいいのだろう。家具からテーブルの上にあるティーカップまで洗練された品ばかりだ。くだけた姿を見せるのは抵抗があるのかもしれない。遊馬がいるせいで気を休められないのなら悪いな、と思った。
ソファで横並びに座っているWは、じっと遊馬を見つめた後、悲しげに眉を下げた。
「そんな……無理なんてしていません。逆ですよ。遊馬に会うのが僕の安らぎなんです。せっかく一緒にいるのに、寝るなんてもったいないことできません」
大きな手が隣に座る遊馬を抱き寄せた。性別による違いもあるのだろうが、4つも年齢差があると、かなり体格は異なる。遊馬の身体はすっぽりとWの胸に収まり、額に彼の吐息がかかった。
(う、うわあああ……!!)
一気に心臓が暴れ出した。彼氏彼女の関係ではあるけれど、遊馬はいまだにこうした触れ合いに慣れずにいた。
「あ……あの、さ。W……」
「ん……?」
甘く喉を鳴らして聞き返され、ますます鼓動が高鳴った。
「や、やっぱり疲れてんだろ?こんなひっついてくるなんて。飯でも作ってやろうか?」
紳士然として何事もリードしてくれるWが、こんな風に甘えてくるなんて初めてだった。リラックスした姿を見れるのは嬉しい。気を許しているのだと感じる。
けれど逆に心配でもあった。仕事の疲労なんておくびにも見せない彼だが、やはり本調子ではないのかもしれない。
「いいえ、お腹はあまりすいてないんですよ」
「じゃあちょっと寝る?」
「……そう、ですね」
少し考えて頷いたWに、遊馬は笑顔で自分の膝を叩いた。
「頭乗っけていいぜ。少し目を閉じてるだけでも楽になるだろ。本当に寝ちゃってもいいぜ」
長いソファなので、Wが横になるスペースはある。
ところがWは、にっこり笑って膝枕をしようとする遊馬を抱きかかえると、ふわふわの絨毯の上に下ろした。
「はしたないですけど、たまにはいいでしょう。一緒に寝ませんか、遊馬」
「え……」
覆いかぶさるようにWが身体を横たえた。ぴたりと身を寄せ合い、Wに腕枕をしてもらう形になる。横になれば身長差もなくなり、深紅の瞳がすぐ目の前にあった。
(あ……)
心臓が大きく脈打った。キスしてしまいそうな近さだった。そんな考えが伝わったのか、Wは目を細めると、淡く色づく唇に口を寄せた。
「んっ……」
遊馬もぎゅっと瞼を下ろした。視界が閉じると、軽く触れては離れるWの柔らかな感触で満たされる。静かなマンションの部屋の中、ちゅ、ちゅ、と濡れたリップ音が上がり、甘く耳へと響いた。頬が火照る。気恥ずかしくて、やめてほしいけれど、もっと欲しい。相反する感情がとぐろを巻いて胸を疼かせた。
「……そんなに緊張しなくても」
顔を離したWがおかしげに笑った。遊馬の唇も、肩も、力が入って固くなっている。
遊馬は赤くなりながら視線をそらした。すぐ近くにあるWの目を真っ直ぐに見返せるほど場数を踏んでいない。けれど、こうして寄り添うのは好きだった。気持ち身を寄せると、Wは俯く遊馬の額に軽く口付けた。髪の生え際から鼻筋を辿って降りてくる。柔らかな感触は、再び遊馬のそれに触れた。言葉はないけれど、触れ方から仰向くように言っているのが分かる。おずおずと顔を上げると、激しさを増した唇が覆いかぶさってきた。
「ん……っ」
熱っぽい口付けに呼吸が乱れる。息を吸うタイミングが分からなくて戸惑った遊馬だが、やがてキスの心地よさに流された。うっとりと目を閉じる。
夢のようだった。ずっと憧れていた人の彼女になれて、抱きしめられ、こうしてキスをする日が来るなんて、思いもしなかった。
不意にWの触れ方が変わった。首の下の腕が遊馬の後頭部を押さえつけ、ぐっと引き寄せられる。唇がより強く押し当たり、「あ」と小さく声を上げたところへ、するりと肉厚ある濡れたものが入り込んできた。
「ん!?んふぅ……!」
驚いて目を見開く。Wの顔が近すぎて、焦点がぼやけた。その間にも濡れたそれは歯列を割って、奥にある熱い舌へ到達する。
「んっ……ぅんん……!」
粘膜同士を擦り合わせ、絡み付いてくるWの舌に、遊馬は心底びっくりした。こういうキスがあることは知っていたけれど、実際にされたのは初めてだ。口腔内だけでなく、自分の内側を舐められているような感覚に肌が粟立つ。
首を固定するのとは逆の手が腰に回って、背中からお尻までのラインを撫でられた。抱擁とは明らかに違う手つきに、遊馬は慌ててWの肩を押して起き上がった。
「いっ……いきなりなんだよ!?」
「不快でしたか?」
「ふ、不快じゃないけど……でも……」
「僕はもっと、遊馬に近づきたいんです」
同じく上半身を起こしたWが、真剣な表情で遊馬の手を握った。
「遊馬にはこういうことがまだ早いのは分かっています。でも……僕も男ですから。好きな女性にはキスしたくなるし……それ以上のことだってしたいんです」
「で、でも……」
「駄目ですか……?」
不安げに揺れる双眸を見てしまうと、否とは言い辛かった。Wはたくさんのものを遊馬にくれた。時間も、愛も、キスも。返せるものはすべて応えたい。けれど、さすがにこれは突然すぎて、心の準備ができていなかった。
「……ごめん……」
泣きそうな心地になりながら、Wの肩に額を押し付けた。
「ごめん。Wのこと好きだけど……もうちょっと待って。まだ怖いよ……」
付き合っているのだから、Wの欲求はしかるべきものだ。本心を隠すことなく伝えてくれて嬉しい。だけど幼い遊馬は、行為への興味よりも躊躇する気持ちのほうが強かった。深いキスをしたのだって、これが初めてだ。さらにひとつ階段を上がるなんて早すぎる。もっとゆっくり、一段一段を踏みしめながら、先へ進みたかった。
(ごめんな、W……でもWなら分かってくれるよな)
遊馬が知る誰よりも優しくて紳士的な人だ。無理強いなんてしない。遊馬はWの胸に頬を寄せ、瞼を閉じた。
――チッ
耳元で冷たい舌打ちがした。
(え……?)
遊馬は顔を上げた。けれどそこにあったのは、いつもと変わらぬWの優しい微笑みだった。
「……分かりました。僕が急ぎすぎましたね。すみません……遊馬の気持ちを尊重しなければいけないのに、我侭を言ってしまいました」
「う、ううん……そんなことないけど……」
気のせい、だったのだろうか。甘い感情を凍らせるような音が聞こえたと思ったが、Wの笑顔は温かく、言葉も思いやりに満ちている。
(うん……きっと気のせいだよな)
何かを聞き間違ったのだろう。思い直して、遊馬はWに擦り寄った。応えられなくてごめんと言えば、いいんですよと慰めの言葉をかけてくれる。優しく頭を撫でてくれる手つきに、抱いた疑念は雪解けのように溶けていった。



タイトルbyChien11
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