熱に溶ける | ナノ


熱に溶ける


空が夜の色を濃く染めた時間帯、遊馬は着替えなどの入浴用具を手に、無人の脱衣所へ足を踏み入れた。
「ああもう、くたくただぜー。まさか全学年合同の林間学校に来た先でナンバーズと出くわすなんてさぁ」
『無事に回収できてよかった。これでまたひとつ、私の記憶のピースが埋まったよ』
ほのかな微笑を浮かべるアストラルは嬉しそうだ。つられて遊馬も温かい気持ちになる。
「お陰でお風呂入り損ねたけどな。でもよかった!右京先生が特別に入っていいって言ってくれて。温泉をひとり占めだぜ!」
女子の入浴時間は早めに設定されており、遊馬が宿舎の外でデュエルをしている内に過ぎてしまった。今は男子の入浴時間だが、そもそも男女で風呂場は分かれているので遊馬が入ったところで問題はない。浴室から外に出ないよう注意はされたが、女子の入浴を覗きたい男子じゃあるまいし、と苦笑いをした。
「アストラル、鍵の中で待っててくれよ」
『人間は風呂も覗かれると死んでしまうのだったな。了解した』
いつものことなので素直に鍵の中へ戻ってくれる。
性別不明のアストラルではあるが、裸体を見られるのは恥ずかしかった。遊馬だって女の子だ。肌を晒すのを許したのは恋人である凌牙だけだった。
先に体を洗って湯船に身を沈めた遊馬は、ほうっと息をついた。今日のデュエルも綱渡りな内容だった。神経を削った体にお湯の温もりが心地いい。
「気持ちいー……」
大人数が一度に入れる大浴場を貸切状態で満喫していると、何だか楽しくなってきた。広い湯舟に身を広げ、はしたないと思いながらも軽く泳ぐ。そうして浴室の端まで行った遊馬は、ドアを見つけて動きを止めた。
「『この先、露天風呂』……?え、他にもあるの?」
そんな説明を受けた覚えはなかったが、遊馬が外でナンバーズ回収に勤しんでいる間にされたのかもしれない。床には揺れた足跡があり、人が行き来したことが知れた。遊馬も露天風呂の響きに誘われ、タオルを片手にドアを開けた。
「うわあ……!」
石畳の続く先、竹薮の向こうに、ライトアップされた岩造りの露天風呂があった。遊馬は足早に駆け寄ると、熱いお湯を肩からかけた。夜の冷気が肌を刺す中、その温度が芯から染み入る。
「すげえ硫黄の匂い!」
どうやら室内浴場はお湯を沸かしたもので、こちらが源泉を引いた温泉であるらしい。お湯の色も、匂いも、感触も、全く違った。熱い熱いと言いながら身を沈める。湯面から出てしまう肩にお湯をかけると、腕もかしこもツルツルになって、顔が綻ぶ。
石造りの露天風呂は大浴場に及ばないものの、かなりの広さがあった。ところどころに大きな岩が設置されており、源泉が流れ出る湧き出し口が見えない。せっかく温泉に入っているのだから、湧き出し口側の熱くて汚れていないお湯に浸りたかった。タオルを持って入り組んだ岩の後ろを覗いた遊馬は、温泉の効能を記した立て札を見つけた。
「『美人の湯』?……へえー、肩こり、高血圧、皮膚病に効くだけじゃなくて、美白効果もあるんだ」
男よりも女に嬉しい温泉のようだ。遊馬も掌でお湯をすくい、顔に塗りつけてみた。これで白くなるなら嬉しいし、そうでなくても頬がつるつるに潤う感触が楽しい。
温泉を堪能していた遊馬は、室内浴場に続くドアが開く音を聞いて振り返った。しかし大きな岩が視界を塞いでいるので見えない。
(俺以外にも入りそびれた子がいたのかな?)
気になって岩陰から顔を出した遊馬は、白い湯気の向こうに見知った姿を見つけてぎょっとした。
「りょ、凌牙!?」
「……遊馬!?」
腰にタオルを巻いただけの格好で、凌牙は遊馬に気付くと硬直した。驚愕を露わにしている。目を丸く見開いた彼は、遊馬が裸なのに気付くと頬を染めて視線をそらした。
「な、なんでお前がいるんだよ……!!」
「そそそそそれはこっちの台詞だ!なんで女湯に凌牙が……!」
「バカ、女湯じゃねえよ!露天風呂は混浴だ!」
「ええっ!?」
知らなかった事実に衝撃を受けた。
室内浴場は男女別に設けられているが、露天風呂だけは合同らしい。女子と男子で入浴時間を分けられていたのは、トラブル防止だとか、思春期の男女に配慮してだとか、そういう理由よりも、露天風呂の使用時間を分けるためだったようだ。つまり、女子の入浴時間は女子が、男子の入浴時間は男子が露天風呂を使う決まりだったらしい。
(右京先生が外に出ちゃ駄目って言ってたのは、そういうことかああ!)
混浴だと思わなかったから、露天風呂も浴室の一部だと思っていた。外だという認識がなかったのだ。
「俺だからよかったものの、他の奴が来たらどうすんだ!さっさと戻れ!」
「う、うん!」
今は男子の入浴時間なので、招かれざる侵入者は遊馬ということになる。タオルで前を隠しつつ、急いで遊馬は風呂から出ようとした。
(うう……俺の馬鹿)
恥ずかしくてたまらなかった。揺れる湯面越しとは言え、凌牙に裸を見られてしまった。何度か体を重ねたことはあっても、裸体を見せることに抵抗がないわけではない。勘違いも相成って、羞恥から泣きそうになった。
そこへ、浴場のドアが開く音が聞こえ、二人はハッと息を呑んだ。数人の男子が笑い声がこちらへ近づいてくる。
「ど、どうしよう……!!」
とても退避は間に合わない。焦って凌牙を見上げる。
竹やぶの向こう側を振り返っていた凌牙は、唇を噛むと、急いでお湯の中に飛び込んできた。遊馬の腕を掴み、強い力で出入り口とは反対の方向である露天風呂の奥へと引っ張られる。そのまま立て札のある岩陰へと押し込まれた。
逃げるのが無理なら隠れてやり過ごすしかない。凌牙の意図を察し、遊馬も引かれるままに彼の腕の中で身を縮めた。
「ううー、寒い……早く入ろうぜ」
「すっげえ湯気!熱そー」
「そうでもないぜ?手入れてみろよ。ちょいどいい温度だ」
「本当だ。ああ、生き返る……」
「ジジくせぇこと言ってんなよ」
ケラケラと笑う声は4、5人分あった。どうやら遊馬達には気付いてないようだ。けれど、少し奥のほうを覗き込まれれば一発でバレる。
激しく動悸が波打った。緊張から自分の呼吸の音が大きく聞こえる。水音を立てないように手を動かし、口を塞いだ。
「あれ……?この露天風呂、結構広いみたいだぜ」
その声に、心臓が嫌な音を立てて収縮した。
「よーし、泳いで奥まで競争しねえか?」
「いいぜ!一番遅かった奴は風呂上りの牛乳全員奢りな」
「あ、俺フルーツ牛乳がいいー」
「おいおい、プールじゃないんだぞ」
「他に誰もいないんだからいいじゃん」
口の中で声にならない悲鳴が上がった。
(やだ、やだ!やだやだやだっ!)
見つかるのは絶対に嫌だ。恥ずかしすぎる。死にたい。
涙が出てきて、視界が歪んだ。
その時、突然凌牙が立ち上がった。わざと水面を叩き、大きな音を上げる。騒がしかった岩壁の向こう側がすうっと静まった。
「え……だ、誰かいるのか……?」
おそるおそるかけられた声に、凌牙はざぶざぶ湯を掻き分け、岩陰から出た。
「うるせえんだよ……騒ぐなら他所でやれ」
腹の底に響くような低い声だった。本気で苛立っているのが伝わってくる。遊馬でも内心慄いたくらいだったから、向こう側の男子達はそれこそ震え上がっていた。
「げっ……」
「シャ、シャーク!?」
遊馬からは見えないが、向こう側の様子が手に取るようにわかった。一様に気まずくなった彼らは、小さな声で謝罪を口にし、そそくさと退散して行く。濡れた足音が遠ざかり、少し経ってから大浴場のドアが閉まる音がして、ようやく遊馬は深く息をすることができた。
「あ……ありがと、凌牙……」
強張りが抜けない頬をほぐしつつ彼を見上げると、凌牙はちらりと遊馬を見て、すぐに視線を外した。
「今のうちにさっさと出ろ」
「うん。……あ、あれ?」
立ちあがろうとしたが、うまく足が動かせなかった。腰から下に力が入らない。腹のところで力が外側へと逃げていくようだった。
「こ、腰が抜けたみたい……」
情けない気持ちで口を開くと、凌牙の顔が引き攣った。
「……勘弁してくれよ……」
「そ、そんなこと言われたって!」
勘弁してほしいのは遊馬も同じだった。凌牙のおかげで当面の危機は脱したが、いつまた誰が入ってくるとも分からない。今すぐ戻りたいのに、極度の緊張から解放された身体はすっかり力をなくしていた。
「お、お願い凌牙ぁ!見捨てないでえええ!」
ふらりと行ってしまいそうな彼氏を懸命に引き止める。一人ではどうしたらいいのかわからなかった。縋る思いで見上げれば、とても嫌そうに眉を寄せた凌牙の渋面があった。
「俺にどうしろってんだよ……腰でも摩るか、女湯まで運べってのか?絶対に嫌だぜ」
「な、何もしなくていいから!ここにいてくれ!」
抜けた腰が戻るまでそばにいてほしかった。隣を指差すと、凌牙はしぶしぶ腰を下ろす。人ひとり分のスペースを空けて座った凌牙に、本気で嫌がられていると知って、泣きたい心地になった。
「ごめん……迷惑かけて……」
「まったくだぜ」
「うう……」
容赦のない返事が胸に突き刺さる。上手く力の入らない脚を擦りながら落ち込んでいると、凌牙が溜息を吐いた。
「嘘だバカ。お前を置いて行けるわけねえだろ」
「………!」
感激して顔を上げると、凌牙はそっぽを向いた。目尻が淡く染まっているところを見ると、照れているらしい。落ち込んでいた気持ちが一気に浮上して、遊馬は嬉しくなった。力の入らない足の代わりに手を使って凌牙に近寄った。
ところが、詰めた距離の分だけ後ろへ退かれてしまう。
「……なんで逃げるの?」
「なんでって、お前……!」
ギロリと睨まれた。が、遊馬の姿を目に入れた途端、はっと落ち着かない様子で視線が彷徨い、結局横を向かれた。それで自分が裸だったことを思い出す。遊馬も羞恥から頬が火照るのを感じたが、先に凌牙が動揺を露わにしていたので、逆に開き直ってしまった。
「も、もうっ、何考えてんだよ。凌牙のエッチ!」
「なっ」
絶句して固まった彼の隣へ身を滑らせる。体を引こうとした凌牙だが、意識しすぎだと思い直したのか、拳二個分のスペースを空けてその場に留まった。
遊馬はタオルで前を隠しているし、凌牙だって大事なところは腰に巻かれたタオルが隠している。そもそも温泉の中なので、揺れる水面のせいで肩から下ははっきりと見えない。気にしないよう努めればいいのだ。それに、ライトアップされた露天風呂で凌牙と並んで湯に浸かるのは、考えてみればなかなかロマンチックなシチュエーションかもしれない。風に吹かれてさざめく竹林の音が耳に心地よかった。
「……だいたい、何でこんな時間に風呂入ってんだよ。女子の入浴時間は終わったろ」
「あー……いろいろあって入りそびれちゃってさあ」
ナンバーズのことを言おうかと思ったが、やめた。あのカードの危険性を身を持って知っている凌牙は、本心では遊馬が集めているのも快く思っていないふしがある。
「知ってるか?ここ、美人の湯って言うらしいぜ」
横にある立て札を見やり、凌牙の腕を引っ張った。途端、ぎょっとした顔で手を振り払われた。
「ッ……遊馬!」
「えっ?な、何っ?なんで怒ってんの?」
「お前は、どうしてそう……!」
距離を取ろうとしていた凌牙が、一転して眼前へ迫ってきた。肩を掴まれ、後ろの岩壁へ押し付けられる。驚いて立てた膝に凌牙のものが当たり、その感触に遊馬は赤くなった。
「なっ、ななな、な……!!」
タオル越しでも勃ち上がりかけているのがわかる。そんな、なんで、としどろもどろに言うと、凌牙は責めるように遊馬を見た。
「お前が煽るような真似するからだ!ベタベタ引っ付いてきやがって……!」
「ちょ、ちょっと腕触っただけじゃん!」
「素っ裸で横にいるだけで充分だ!!」
「だってさっきまで普通だったのに!」
「耐えてたんだよ!視界に入れたらやべえから離れようとしたんだ。なのにお前は隣に来いだの、逃げるなだのと……!」
「えええええ!?」
腰の抜けた遊馬を心底嫌そうに見ていたのはそういう理由だったのか。遊馬は驚いた。面倒を鬱陶しがっているのだと思ったが、その気になってしまいそうな自分を抑えていたらしい。
ここは温泉で、野外で、いつ誰が入ってくるとも知れない場所だ。凌牙相手とはいえ、さすがにそんな気にはなれなかった。逃げを打とうとした遊馬は、さっきまで言うことをきかなかった下半身が動くようになったのに気付く。
「りょ、凌牙!腰、戻ったみたい!もう大丈夫だ!」
おそらく動かそうとして力を入れたのがよかったのだろう。祖母の春もどこかを痛めた後、動かないでいるよりいつも通りに生活したほうが治りが早いと言っている。
腰さえ動けばこちらのものだ。先手必勝!とばかりに逃げ出そうとした遊馬だが、立ち上がるより早く両肩を押さえる手に力が込められた。ニヤリと凌牙の唇が弧を描く。
「そうか、治ったか。それはよかったぜ」
「ぎゃああああ!やめっ、どこ触ってんだよ!」
「腰が戻ったんなら遠慮なくヤれるな」
「やだあああ!ちょ、本気でやだ!!」
「嘘つくなよ」
ぺろりと耳を舐められ、反射的に目を瞑った。遊馬の中へ入り込もうとするかのように、舌が奥へと滑り込む。内側の柔らかい部分を舐められると、ぞくぞくしたものが背中から腰に走った。寄せた脚の間が疼く。
「んっ……りょ、凌牙……!」
「こういうこと、期待しなかったとは言わせねえぜ」
「う……」
そりゃあ、恋人同士で入浴しているのだから、そういう可能性がちらりとも頭をかすめなかったと言えば嘘になる。けれど遊馬が想像していたのは、もっと穏やかな触れ合いだった。肌をくっつけて寄り添ったり、キスしたいという思いはあったが、ベッドの中でするような濃厚な情交まで望んでいたわけではない。
そう告げると、凌牙は呆れた顔付きになった。
「お前、舐めてるだろ……。枯れた年寄りじゃあるめえし、それで終わるわけねえだろ」
「うう……」
「責任、取れよ。遊馬」
一言一句はっきりと、熱い眼差しで射止められた。欲情を浮かべた凌牙はどこか艶っぽくなる。普段の涼しい顔から一転、熱を纏った姿を目の当たりにすると、遊馬もつられて熱が煽られてしまう。期待から鼓動が高鳴った。
そう、遊馬は期待してしまっている。こんなところでという抵抗感は頭の中にあるが、触れられたいという思いが大きく膨らみ始めている。
笹の葉のさざめきよりも自分の心臓の音が大きく耳に響くのを感じた遊馬は、とうとう内心白旗を掲げ、瞼を下ろした。



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