Happy Wedding4 | ナノ




ぽかんと口付けられた頬を押さえ、凌牙の背中を見送った。遊馬と一緒に落ち込んでいたはずなのに、いきなりどうしたのだろう。
疑問に思っていると、後ろから肩を叩かれて振り返った。
「遊馬……」
「げっ、父ちゃん!」
恨めしそうな顔付きの父親がどんよりとした空気を背負って立っていた。カッと頬が熱くなるのを感じる。
「み、見てた……?」
「そりゃあ、堂々とイチャつかれたら見えるさ……」
「うわわわっ!は、恥ずかしい……!」
穴があったら入りたいとはこのことだ。顔を抱えて蹲る遊馬に、くすくすと柔らかな笑い声が降ってきた。
「あら、新婚なんだからいいじゃない。あまり目くじらを立てると嫌われるわよ」
「傷心の夫に塩を擦り込むようなことを言わないでくれ、未来……」
「ほっほっほ、何が傷心じゃ。さっきまで式が中止になったことに小躍りしとったくせに」
祖母の言葉に、やっぱりまだ愚図っていたのかとげんなりした。父がこの調子では、何事もなくても式の進行に差し障りが出ていたかもしれない。
(いっそ中止になってよかったのかもな……。俺と凌牙にとっては違うけど、やっぱ他から見たら結婚は早すぎたのかも。今回のことも、ちゃんと父ちゃんが納得するまで待ってから式を挙げなさいっていう神様からの忠告かな)
不幸を不幸のまま受け止めるのは性分に合わない。発想を転換して、そう考えれば少しは気分が持ち直った。弱い心を凌牙に打ち明けたのもよかったのかもしれない。
(凌牙は俺が救いだとか何とか言ってたけど、俺だってそうなんだよ)
おそらく今の遊馬は、軽いマリッジブルーに罹っているのだろう。前にも一度経験したからわかった。凌牙との結婚を不安に思って揺れている。
前に罹ったのは式のプランを決めた時だ。凌牙は最低限の儀式をこなせればそれでいいと言って、詳細は遊馬の好きにさせた。自分好みの結婚式に出来るのは嬉しかったが、二人で決めるべきことを丸投げされたように感じる部分もあり、ちょっと不満だった。しかも新居の内装や新婚旅行の行き先まで任されて、まるで楽しみにしているのが遊馬一人のようで、もっと協力してくれと文句を言ったこともある。
プロポーズをしてきたのは凌牙だし、遊馬の独り善がりでないことは分かっていたけれど、結婚という大きな節目を前にしているせいか、不思議と何でもないようなことまで気になった。
デートに遅れてきたのに大した謝罪もなかった時。日常の触れ合いでそっけなくされた時。ちょっとした悪戯に目くじらを立てて怒られた時。
付き合っている時は、その一時だけ腹を立てて後に引くことはなかったけれど、婚約してからは妙に不満な面が澱となって堆積した。
悪いところ以上に好きな部分があるのに、なぜか過去の諍いのことまで思い出されて憂鬱になり、本当に結婚してうまくやっていけるのか不安に思った。
『それはね、マリッジブルーって言うのよ』
不可解な感情の名前を教えてくれたのは母だ。
『結婚すると生活が一変するからね。新生活に不安を抱くのは誰しもがあることよ。これからは凌牙君と家庭を築いて行くんだもの。その相手の不満な部分が目に入っちゃうのはしょうがないわ』
他家に嫁ぐ花嫁なら多かれ少なかれ陥るものだと教えられて、遊馬は納得した。それからなるべく凌牙の好きなところを見るよう心がけた。不安に思うよりも、二人でやりたいことを見つけて、期待に胸を膨らませるようにした。そのせいかマリッジブルーに罹っていたのはほんの短い時期で、凌牙との結婚生活を心待ちにするようになったのだが、だからこそ今回の事件は、大きく遊馬の心を揺さぶった。
結婚なんて未成年の自分たちには早かったのかもしれない。凌牙との生活はうまくいかないかもしれない。
十字架が黒煙に包まれた光景を目の当たりにした遊馬は、気にしないように努めつつも、不吉な予感が胸のうちにわだかまっていた。
「まあしばらくは俺の娘でいるんだな、遊馬!はっはっは!」
豪快に笑う一馬に肩をすくめた。何度も言うが、凌牙とはもう入籍しているのだ。娘でいろも何もない。
「まだそんなこと言ってんの、お父さん!いい加減にしなよ。遊馬、あんた今日から実家じゃなくて新居の方に行っていいんだからね」
「明里姉ちゃん!」
事故で置き去りにしてしまった姉が、アンナを連れてやって来た。
「アンナ!大丈夫だったか?」
「平気平気!あんなのへっちゃらだぜ!それより悪かったな。結婚式なのに騒ぎを起こしちまって……」
「ううん、むしろ助かったよ。予定時間通りに着いてたら、たぶん俺、爆発に巻き込まれてたし」
先ほど警察から聞かされて、寿命の縮む思いをしたところだ。アンナと衝突した時も死ぬかと思ったが、九死に一生を得たと言える。
アンナと話す横で、諌める姉に抗議する父の声が聞こえた。
「明里、寂しいことを言わないでくれ。式を挙げるまで遊馬は実家で……」
「だーかーらぁ!分かってるくせにそ知らぬ顔するのやめてよ!遊馬は結婚してるのよ。人妻なの!」
「ひっ、人妻……!?」
その響きに打ちひしがれたように、一馬は黙った。母と祖母がやれやれと目を合わせる。
「そういえば遊馬、凌牙君は?姿が見えないけど」
明里に言われて室内を見渡した。さっきまでスタッフの人と何事か話していたが、姿が消えている。
「あれ?どこ行ったんだろ。さっきまで変なこと言ってたのに……」
「変なことって?」
「絶対に結婚式挙げるとか何とか……」
「そりゃ挙げるでしょ。近いうちにでも」
「それはそうだけど、急に様子が変わったからさ」
噂をすればなんとやら、凌牙が女性スタッフを連れて戻ってきた。遊馬の名前を呼んで手招きする。
「どうかした?」
「急で悪いがドレスに着替えてくれ。中止は取りやめだ。今から結婚式するぜ」
「え」
まじまじと彼を見上げる。そんなことを言っても、チャペルは酷い有様だし、教会の周囲は警察と消防で物々しい雰囲気だ。とても式など挙げられる状況でない。
「幸い衣装や小道具は無事だったからな。ここで挙げるのは無理だが、場所を移せば問題ねえよ」
「あ……!」
遊馬が目を丸くしている内に、あれよあれよとスタッフに衣裳部屋へ連れられた。憧れのウェディングドレスを纏い、丁寧に化粧を施される。頑強に跳ねる髪もプロの技でひとくくりに纏められ、薄いベールを被せられた。
「わあっ……」
大きな姿見に映った姿は、自分でないようだった。物語に出てくるお姫様のようだ。
様子を見に来た家族からも絶賛された。父などはぽかんと口を開けて、娘の花嫁姿に魅入っていた。後から来た花婿姿の凌牙もしばし目を瞠り、言葉を探すように視線を彷徨わせた後「綺麗だぜ」と遊馬にだけ聞こえるように囁いた。髪をセットしている彼は普段見えない耳も露わになっている。照れているのが紅潮した耳朶から伝わってきて、遊馬まで赤くなった。
タキシード姿の凌牙に手を引かれ、教会側が用意した車に乗り込んで向かった先は、見知らぬ式場ではなく、一度来たことのある庭園だった。
「ここは……」
すぐそばに新居のマンションが見える。凌牙と散策した時に見つけた公園だった。驚いて隣を見上げると、凌牙が繋いだ手をぎゅっと握った。
「いつかここでパーティーしたいって言ってただろ。そう考える程度には広さもあるし、庭園の花も綺麗だ。聖堂じゃねえけど、こういうのも悪くねえだろ」
高い生垣がぐるりと周りを囲っているので、中の様子は見ようと思わなければ窺えない。美しく整えられた花壇は開けたスペースを中心にぐるりと設置されており、広場の中央には西欧的な白い東屋が建てられていた。そこにスタッフが簡易的な祭壇を作り、神父と確認の打ち合わせをしている。
元から美しい庭園だったが、教会の関係者が挙式用に場を整えると、素敵な式場へと早変わりした。
「これ、凌牙が手配してくれたの……?」
未だに信じられず、呆然と目の前の風景を見ながら呟いた。
「俺は思いついただけだ。駄目元で頼んでみたら、話の分かるスタッフで、すぐに庭園の管理者と話をつけてくれた」
くい、と手を引っぱられて凌牙を見上げると、気遣わしげな蒼い瞳とかち合った。
「勝手にやって悪い。気に入らなかったか?」
結婚式に夢を抱いていた遊馬の心境が気になるのだろう。遊馬は急いで首を横に振った。
「すっげえ感動してる……!もう嬉しくて、嬉しくて……!」
怒涛のような幸福感が胸に迫った。何気なく口にした夢を記憶にとどめていてくれたことも嬉しかったし、暗礁に乗り上げた式を敢行しようとしてくれた気持ちに感激した。
別の車で小鳥達参列者もやって来て、美しい式場に感嘆の声が上がる。
役者が揃ったところで結婚式の幕は開いた。扉なんてものは野外の庭園に存在しないので、花で飾ったアーチを設置し、そこに薄布を下げて入場門代わりにする。形式どおり神父と花婿が先に会場へ進み、遊馬はアーチの外側の部分で待った。
正装姿でやって来た父が横に並ぶと、にわかに緊張を覚えた。
「父ちゃん……」
まだ納得していないのだろうか。恐々隣を見上げる。
一馬は複雑そうな表情をしながらも、先刻とは違い、とても柔らかな微笑を浮かべていた。
「最初から言っているだろう?反対はしてないってな。……ただ寂しかったんだ、やっと再会できた愛娘が、もう巣立ってしまうと思うと……」
「父ちゃん……」
今になって遊馬の心にも、申し訳ないという感情が込み上げた。両親の気持ちにも配慮して実家で生活していたが、彼らからしてみれば、ほんの一時の慰めにすぎないだろう。凌牙との結婚を快諾しつつも、本音では抱えて余りある寂しさを胸に秘めていたのかもしれない。今朝になって発露した思いは、ずっと一馬が抱えていた感情の一部にすぎないのだと気付いて、遊馬は自責の念が湧き上がるのを感じた。
「ごめんな、父ちゃん。俺……」
愛する人との結婚に浮かれて、親の本心にきちんと向き合っていなかった。なんて薄情者の娘だ。小さい頃は、行方不明の親の愛情を求めて枕を濡らす日もあったというのに、再会して満たされた途端、恋人との恋愛にばかり夢中になった。
「それが大人になるってことさ」
一馬は笑って言った。
「未成年でも結婚すれば成人同然の扱いを受ける。……そんなことを持ち出さなくても、遊馬、お前はもう立派に大人だよ」
親の愛情以外のものを求めるようになった時が、子どもの成長だ。遊馬の場合はそれに結婚が重なった。精神的な親離れのみならず、公的にも父親の庇護下から抜けて、逆に子離れできていない一馬のほうが遊馬を求める状況になった。
「でもな、花嫁姿の遊馬を見たら、やっと納得できた」
「え?」
「手放すのはもちろん寂しいが……何だかんだ言っても、子どもの成長を見ることが親の一番の楽しみなんだよ。お前も母親になればわかる。ウェディングドレスを着た姿を見た時、ああ大人になったんだなって、見送らなきゃいけない時が来たんだって悟った」
係のスタッフが中へ進むよう合図をした。美しい音色に乗せるように一馬が無骨な腕を差し出した。幼い遊馬を抱き上げてくれた太い腕に触れる。
「幸せになれ、遊馬」
アーチをくぐる際、贈られた言葉に泣きそうになった。
こんなにも親の愛情を実感したことはなかった。
頼り甲斐のある父の腕に先導されて、しずしずと歩を進める。これまでの生活がオルガンのメロディに乗って、走馬灯のように甦った。
本当にいろいろなことがあった。まだ20にも満たない歳月だけれど、ずいぶん濃い日々を過ごしてきたと思う。小鳥や鉄男と一緒に遊び、突然親を失い、残された女3人で協力して暮らしてきた。学校でもたくさんの仲間に恵まれ、デュエルを通してアストラルやカイトとも出会えた。青白く発光する相棒は自分の世界に帰ってしまったけれど、いつもどこかで見守ってくれているような気がする。
そして何より、最愛の人と出逢えた奇跡に感謝した。
長くはない距離を歩むと、一馬の足が止まった。ここまで導いてくれた父の手が離れる。
ここから先、遊馬が共に歩むのはこの腕ではない。
僅かに顔を上げると、柔らかく微笑む夫の姿があった。
父親の手を離れ、遊馬は一人で歩を進める。差し出された細い手に自分の手を重ねた。手袋越しに、しっかりと繋がれる。
(凌牙……)
細いけれど、この腕がどんなに頼もしく力強いか知っている。遊馬を慈しみ、愛して守ってくれる手だ。遊馬はこれから、この手の持ち主と新しい生活を築いていく。
(ああ……)
幸せだ、と思った。
諦めかけた結婚式だった。無理して明るく振舞っていたが、遊馬の気持ちなど凌牙には筒抜けで、あっさり本音を吐露させられた。そんな遊馬のために、凌牙は方々手を尽くしてくれた。
遊馬と一緒なら何だって乗り越えられると凌牙は口にしたが、遊馬だって同じことを強く思っている。彼がいたから今回のことは乗り越えられた。爆発の黒煙から感じた不吉な予感など、美しく整えられた庭園を目の当たりにした瞬間、すうっと心の中から掃けていった。
この先何があろうとも、彼が側にいてくれるなら大丈夫だ。実体のない不安に心惑わされる必要はない。二人で手を取り合って乗り越えてみせる。そう思えるようになった。凌牙がそうしてくれたのだ。
この人の妻になれることが誇らしく、心の底から幸福だと思った。
神父が読み上げる口上にいらえを返しつつ、ちらりと視線を向ける。気付いた凌牙が甘く目を細めて「どうした?」と問いかけてきた。「なんでもない」と小さく首を振ることで返答しながら、通じ合う心を感じて嬉しくなった。
「――それでは、誓いの口付けを」
厳かな神父の言葉を受けて向かい合う。軽く足を折って、ベールを上げる手助けをした。
「遊馬……」
愛情の篭もった声で名前を呼ばれる。自分の名前がとても尊いもののように感じた。腹の底から湧き上がる歓喜が喉元までせり上がる。何を言えばいいのか分からず、結局口から零れたのは愛しい人の名前だった。
「凌牙……」
しっかりと両手を絡めて見詰め合う。その距離が徐々に狭まり、凌牙の吐息を感じた時、そっと瞼を伏せた。
優しく、唇が重なった。
キスなんて数え切れないほど交わしてきたけれど、こんなに慎重に口付けたのは初めてのように思う。触れ合ったところから凌牙の緊張と愛情を感じ、遊馬の心は歓喜に打ち震えた。身に余る幸福だった。
広場の参列者からどっと拍手が湧き起こった。二人の恋を見守ってくれた人々からの温かい祝福に胸がいっぱいになる。幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。
「遊馬……」
「ん……?なに?」
最愛の人の蒼い瞳を覗き込んで、身を寄せ合った。耳元でかすれた声で囁きが落とされる。
「愛してる」
はっと目を見開いた。次の瞬間、息苦しいほどの愛しさが全身から溢れて駆け巡る。
「俺も……」
語尾が喜びに震えた。
「俺も、愛してる……!」

愛してる、愛してる、愛してる。
想いの分だけ幸せを感じ、幸福に綻ぶ遊馬の眦に涙が光った。



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