ああ気に入らねえよ、悪いか | ナノ


ああ気に入らねえよ、悪いか


「突っ立ててもしょうがねえ。座ろうぜ」
凌牙が適当な席に腰掛けるのを見ながらも、遊馬は動けないでいた。閉じ込められた。その衝撃から抜け出せないでいる。
朝まで凌牙と一緒だなんて、無事で済むのだろうか。男の顔をした凌牙を恐れる気持ちが少なからずある以上、平静ではいられない。
「遊馬」
名前を呼ばれ、隣に座るよう示される。しかし従うことはできなかった。遊馬は視線を逸らして立ち尽くす。迷子になった子供のように所在なげな様子を見て、凌牙は遊馬の鞄を見やった。
「宿題」
「……?」
「やらなきゃいけないんじゃねえのか。見てやるから出せよ」
「う、ん……」
この空気を変えようと気遣ってくれているのはすぐに分かった。朝まで気まずいままでいるわけにもいかない。凌牙の言葉に頷いて、プリントと教科書を出し、躊躇いながら隣に腰を下ろした。
「方程式か。懐かしいぜ」
「シャーク分かるのかよ。不登校児のくせに」
「1年の頃は普通に通っていたからな。ほら、さっさと解け」
「へーい」
懐かしそうに教科書をパラパラめくる凌牙を横目で見ながら、宿題に取りかかった。
少なくとも今の凌牙は、手を出してくるような雰囲気じゃない。面倒見のいい先輩の顔をしている。
(なるべくこの空気が長く続きますように!できれば朝まで!)
やけくそ気味に心の中で祈って、プリントに向き直った。これを解いていれば余計なことは考えずに済むだろう。
月明かりを頼りに宿題に取りかかった遊馬だが、最初の問題文を読んだところで、いきなり遊馬の手が止まった。
「……シャーク、教科書返して」
「ん?ああ」
手元に戻ってきた教科書をめくって、プリントにある問題文と照らし合わせる。その様子を見た凌牙が、まさか、と目を見開いた。
「わからねえのか?」
「………」
無言は肯定を意味する。凌牙は愕然とした面持ちになった。
「方程式だぜ……?基礎中の基礎じゃねえか」
「わ、わからないもんはわからないんだよ!」
「これが理解できないようじゃお前、数学全滅だろ……」
「自慢じゃねえけど、勉強は苦手なんだ!」
「本当に自慢にならねえな」
呆れきった表情を向けられて、遊馬は口を尖らせる。
「そういうシャークはどうなんだよ。全然授業出てないみたいだけど」
「勉強なんざ試験前に教科書を一通り読めばいける」
「……じゃあこの問題解ける?」
「当たり前だろ。どこがわからないんだよ」
自分の鞄から筆記用具を取り出してプリントを手繰り寄せる。遊馬は小さな声で答えた。
「えっと……どこがわからないのかすらわからない……です」
「………」
凌牙は皺の寄った額を押さえた。
しばし黙った後、伏せた瞼を上げた彼は、強い光の灯った目で遊馬を射抜いた。
「わかった。一から教えてやる。俺の言っていることがわからなかったらストップをかけろ。いいな?」
「う、うん!」
それから数十分、神代先生による個人授業が続いた。遊馬のレベルに合わせて噛み砕いた解説をしてくれる。最初は意味のわからないアルファベットと数字の羅列だった方程式が、凌牙の説明でようやく理解ができた。一度わかってしまえば、嘘のようにプリントの空欄が埋まっていく。
「シャーク凄い!本当に頭いいんだな!」
キラキラと尊敬の眼差しを向ける遊馬に、凌牙はため息で返した。
「俺がどうこうじゃなくて、お前が馬鹿すぎるんだよ」
「いいや、絶対頭いいって。俺が理解できたんだからな!」
「胸を張って言うことかよ……」
それでも遊馬は心の底から凌牙を凄い人なんだと実感していた。デュエルが強くて運動神経もいいだけでなく、勉強までできるなんて。
だからこそ不思議に思った。
「シャーク」
「ん?」
「何で俺のこと好きなの?」
自分を卑下するつもりはない。他人は他人、自分は自分。デュエルが弱くても、勉強ができなくても、それで人間の価値が決まるわけではないし、遊馬は遊馬なりに自分に自信を持っている。
それでも不思議だった。知れば知るほど、凌牙は魅力的で凄い人なのだと感じる。その彼が、大して美人なわけでも、特技があるわけでもない遊馬を、ここまで熱烈に好いているのは何故なのだろう。
「今さらな質問だな。そういうことは最初に告白した時に聞かれるもんだと思ってたぜ」
「俺は恋愛に興味なんてこれっぽちもないの!ビックリしすぎて理由にまで気が回らなかったし」
「ま、お前らしいけどな」
凌牙は柔らかく目を細めて遊馬を見つめた。その目を伏せると、上を向いて答える。
「……分からねえな」
「は?」
「何で好きかなんて分からねえ。これと言った理由はないんじゃねえか?」
「ええっ?そ、そうなの?普通好きって言ったら、頭がいいとか、運動ができてカッコいいとか、優しいところが好きとか、何かあるもんなんじゃ……」
少なくとも、遊馬の周りの子達はそうだ。男子も女子も、どこのクラスのだれそれが可愛いだの格好いいだのと騒ぎ、好きになっている。
「俺は物好きなんだよ」
涼しい顔をしてのたまった男を、むっとして掌で叩いた。
「俺は美人でも可愛くもないけど、そこまで言われるほど悪くはないぜ!」
「ふーん。じゃあ俺以外に告白されたことあんのか?」
「な、ないけど……」
「だろうな」
そこまで言われると悔しくなってきた。恋をしたいわけではないが、馬鹿にされれば腹も立つ。頬を膨らませて、ぽかぽかと隣に座る凌牙を叩いた。
「シャークの馬鹿!馬鹿!」
「馬鹿に馬鹿呼ばわりされるとはな。……いてっ、痛えって」
「シャークが悪いんだろ!馬鹿だって怒るんだ!」
「お前こそ俺を怒らせてえのか?」
「勝手に怒ってればいいだろ!そのまま俺のことなんて好きじゃなくなればいい!」
「無理な注文するなよ」
叩いていた腕を掴まえられ、ぐっと引き寄せらた。うっかり凌牙の胸の中に倒れこむ。
「言ったろ?俺は物好きなんだ。……大人しく俺にしとけよ。遊馬」
至近距離で顔を覗き込まれた。海のように青い凌牙の目の中に、紅い色が灯っている。それが自分の目の色だと気付いて、遊馬は急いで起き上がった。近すぎる距離に心が怯む。
「シャ、シャーク……は、離して」
捕らえられたままの両手を引き抜こうとするが、凌牙の力は緩まなかった。
「断る。手に触るのはいいんだろ?」
遊馬へ見せ付けるように親指で手の甲を撫でた。5本の指が、するすると指先へと降りていく。まず小指を絡め取り、感触を確かめるように挟んだり、指の腹でなぞったりした。次に薬指、中指と、順々に1本1本愛撫していく。指と指の間の水掻き部分を弄られると、こそばゆい感覚に背中が震えた。手の平側の部分も余すところなく揉まれ、まるで手全体を侵略されているような錯覚に陥る。
「シャー、ク……」
頬が火照った。手を触るという行為が、こんなに恥ずかしいものだとは思わなかった。
(どうしてこんなことに……)
そう思った遊馬は、原因は自分だと気付いて頭を垂れた。どこが好きなのかと尋ねたせいだ。凌牙は気を遣って色恋とは無関係なほうへ誘導してくれたのに、遊馬自身がその気遣いを無駄にしてしまった。
触っていない部分はないと言うほど撫で回した凌牙の手が、最後はすっぽりと覆うように遊馬の両手を握った。
「これは、俺のだ」
捕食者のような眼つきで、凌牙は両手を目線の高さまで持ち上げた。
「お前の手は俺のものだ。他の誰にも触らせんじゃねえぞ」
「あ……」
勝手なことを言われているというのに、なぜか言い返せなかった。ドキドキと心臓が高鳴る。月明かりだけが頼りの暗い部屋の中ということもあり、凌牙の発する熱情に呑まれてしまいそうだった。
しかしそれも、凌牙が両手に口付けたところで霧散した。
「ぎゃああああ!!!」
濡れた柔らかい感触に、心臓が飛び出そうなほど驚いた。急いで両手を取り返す。
「なっ、ななななな!」
「……ムードもへったくれもねえな」
「だだだだってシャークが!」
バクバクと鼓動が早鐘を打つ。
キス、された。
手の甲とはいえ、そんなことをされて叫ばずにいられるわけがない。
「だっ、ダメ!アウト!もう手を触るのもアウトッ!!」
「おいこら、それは俺のだって言っただろ」
「シャークが勝手に言ってるだけじゃないか!もぉヤダ!!」
泣きたい気分だった。完全に許容量オーバーだ。こんなの、どう受け止めろって言うんだ。
べそをかく遊馬に、凌牙はやれやれと引き下がった。
「本当にガキだな、お前」
「ガキでいいよ!」
「ったく……ガキならガキらしく、もう寝る時間だぜ。宿題片付けろ。帰るぞ」
「また馬鹿にして!……え、帰る?」
ピタリと動きを止めた。帰る、と言っただろうか。帰れないから、こうして時間を潰していたのではなかったのか。
「教室の出入り口はひとつじゃねえだろ。ドアが駄目なら窓から出りゃいいんだよ」
机の上を片付けて、遊馬の分まで鞄を持つと窓を開けた。遊馬は青ざめる。
「待てよ!シャーク、ここ何階だか分かってるのか!?」
「去年まで1年だったんだ。知ってるさ」
「なら無理だってことも分かるよな!?死ぬ気かよ!」
「大丈夫だ。この教室なら、真下の2階部分にバルコニーがある。1回そこに降りてから地面に飛べば、なんとかなる」
「なるわけないだろ!」
身軽な凌牙ひとりなら出来るかもしれない。けれど遊馬には無理だ。私服のパンツスタイルなら、まだ可能だったかもしれないが、少なくとも生脚むき出しの制服姿では無理だ。
「安心しろ。先に俺が降りてお前を受け止める。大した距離じゃねえ。俺を信じろ、遊馬」
「信じるとかそういう問題じゃ……って、ああっ!」
尻ごむ遊馬を置いて、凌牙がふたり分の鞄を外へ放り投げた。続けて自身も身を躍らせる。慌てて下を覗き込むと、バルコニーの上に凌牙が無事に着地したのが見えた。ほっと胸を撫で下ろす。
「遊馬!来い!」
大きく手を広げられて、遊馬も覚悟を決めた。かっとビングだ。半ばヤケになりながら、遊馬も窓の外へダイブした。ジェットコースターに乗った時のように、内臓が浮き上がる不快感を覚える。しかしそれほど落下距離はないので、すぐに凌牙の腕に抱きとめられた。
「ッ……!!」
さすがに2歩3歩とよろめいたが、倒れこむことはなく、凌牙は無事に遊馬を下ろした。
「大丈夫だったろ?」
呆然と頷きながらも遊馬は、内心かなり驚いていた。結構な衝撃が来ると思っていたし、怪我をしてもしょうがないと覚悟していた。
抱きとめてくれたのが大のおとな――そう、たとえば右京先生のような大人なら、こんなに驚かなかっただろう。けれど凌牙は、ひとつ年が違うだけの少年だ。身体だって細い。
しかし、凌牙の腕は意外な力強さで遊馬を受け止めた。しっかりと抱えてくれたので、痛みもなかった。そのことに遊馬は驚いた。
続けて、同じ要領で校庭へ降りた。2階からなら遊馬でもひとりで飛び降りれそうだったが、念のため凌牙に受け止めてもらった。やっぱり彼はしっかり遊馬を抱きとめ、ふわりと地面に下ろしてくれた。
(あれ?)
しっかりと回された手を離されると、なぜか寂しさを覚えた。あんなに凌牙の手を拒絶していたはずなのに、不思議と今は怖くない。
「鞄はさすがに砂まみれだな。こればっかりはしょうがねえ。あとで中の物が壊れてないか確認しとけよ」
砂埃を軽く払って、凌牙が鞄を手渡してくれる。それを受け取り、遊馬はかなり迷いながら、口を開いた。
「あ……あのさ、シャーク」
「ん?」
「今の、もう1回やってくれねえ?」
「え?」
教室のあった階を見上げる凌牙に、遊馬は首を振った。
「違う違う。飛び降りるんじゃなくて、こう……もう1回、抱き上げてくんねえ?」
「は……?」
不可解だと言わんばかりの表情で見られたが、遊馬は構わず強請った。
あの家庭科室で凌牙に抱きしめられた感じと、今感じたものは、全然違っていた。男の力でもって腕に抱かれた点は同じなのに、今のはちっとも怖くなかった。むしろ、もっと抱きしめていてほしいという欲求さえある。
凌牙は鞄を下ろすと、もう一度遊馬を抱え上げてくれた。腰とお尻の下に腕を回して持ち上げられる。凌牙を見下ろすほど視点が高くなり、遊馬は心が躍った。
(似てる……この感じ、知ってる……)
幼い頃の記憶の中に、似たような感情があった。
凌牙よりもっと背が高くて、腕も太くて、肩も広くて、抱き上げられるとドキドキした。
それが“誰か”に気付き、遊馬は表情を明るくした。
「分かった!」
「え……」
「父ちゃんだ!何かに似てると思ったら、父ちゃんに抱っこしてもらった時の感じと似てるんだ!」
「………………」
幼い頃に失踪した両親だが、一緒に山登りをしたり遊んでもらった記憶は、今も遊馬の心の中にある。父親の大きな手で抱き上げてもらうことが大好きだった。母親の柔らかい腕も真綿で包まれるような優しさを感じたが、逞しい父親の力強い腕には、全てを預けられる安心感を覚えた。その感じとよく似ているのだ。
「そっかそっか。わかった、もういいよシャーク。ありがとう!」
疑問が解決して笑顔の遊馬とは対照的に、凌牙はひどく難しい顔をしていた。抱き上げた遊馬を複雑な目で見上げている。
「シャーク?もういいってば。重いだろ?」
「お前……」
「ん?なに?」
「……はあ」
重い溜息をついて、凌牙は腕の力を抜いた。遊馬の足が地面に着く。
「シャーク、ありが――」
もう一度お礼を言おうとした矢先に、強く肩を掴まれた。瞬間、頬に羽根のように柔らかな感触が掠める。「……え」
近づいて、すぐに離れていった凌牙の顔を見つめる。先ほど手の甲に落とされたものと同じ感触だった。気付いた途端に、遊馬はぼっと赤面した。
「なっ、なななななな……!!」
「ふん。口にしなかっただけありがたく思え」
不機嫌な様子で凌牙は鼻を鳴らした。
「俺はお前の父親になんかなるつもりはねえんだよ」
「し、知ってるよそんなの!」
「信用ならねえ。父親と似てるだと?ふざけんな。お前、俺に口説かれてる立場なの本当に分かってんのか」
「分かってるって!」
「知った上で保護者扱いかよ……いい度胸だな」
明らかに怒っている様子の凌牙に慌てた。そういうつもりで言ったんじゃない。むしろ逆だ。
「違うよ!シャークに抱きしめられるの怖かったけど、父ちゃんみたいだって思ったら平気だったんだ!」
だからもう大丈夫。急に手を出されても、無闇に怖がったりはせずに済む。
前向きに凌牙の気持ちを受け止めるつもりで言ったのだが、凌牙は尚更眉を顰めただけだった。
「それ、恋愛対象として見てないって言ってるも同然だろ……」
「ええっ?だって抱きしめるのセーフだって言ってるんだぜ?」
「抱きしめるの意味が違うんだよ!怖がっててくれたほうがまだマシだ!」
「え、ええ……?」
遊馬は困惑した。怖くないほうがいいに決まっているのに、凌牙的には違うらしい。
(やっぱり恋愛ってよく分かんねえ……)
ガキな遊馬にはまだ早いということだろう。
凌牙には悪いけれど、やっぱりお付き合いとかそういうことは、当分遠慮したかった。



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