いいから俺と手を繋げよ | ナノ


いいから俺と手を繋げよ


暗い校舎。光源は窓から入ってくる月の光と非常口のライトだけ。
夜の学校というのは、昼間の喧騒を知っているせいか余計におどろおどろしく見えて、遊馬はブルリと背筋を震わせた。
「き、季節外れの肝試しやってるみてえ……」
「何だ。静かだと思ったら怖いのかよ」
少し前を歩く凌牙が振り返った。鼻で笑われたような気がして、遊馬はぐっと拳を握る。
「だ、誰が!これくらいで怖いなんて思うかよ!かっとビングだぜ、俺ええええ!!」
「馬鹿が、叫ぶな!」
小声で怒鳴られ、頭を叩かれる。
「見つかって困るのはお前だろうが。こっそり忘れ物取ってきたいんだろ?」
「ご、ごめんなさい……」
殴られた後頭部を押さえながら謝る。
教室に宿題を忘れたから取りに戻りたいと言ったのは遊馬で、凌牙は付き合ってくれているだけだ。見つかったら無関係の彼まで怒られてしまう。
こんなことになった原因は、遊馬がうっかり3日連続で数学の宿題を忘れたことにあった。仏の顔も三度まで。普段は温厚な右京先生も、さすがに笑って許すわけにはいかなくなり、遊馬にだけ特別課題を課した。そのプリントをよりによって教室の机の中に忘れてきてしまったのだ。
それに遊馬が気付いたのは、放課後に駅前広場で凌牙とデュエルをした後だった。
日が暮れかかってきたのでお開きにしようとなった時に課題の存在を思い出し、慌ててUターンしてきたのだ。
その頃には太陽も地平線の向こうに消え、正門も閉まっていた。しかし不良だけあって抜け道に詳しい凌牙の手引きで、防犯装置のない柵を飛び越え、校舎内へ侵入することができたのだった。
「こそこそしなくても、まだ職員室の明かりは点いてんだ。事情を話して電気をつけてもらえばいいんじゃねえか?」
「駄目!そしたら俺が宿題忘れたこともバレるだろ」
3日連続の不提出に続き、特別課題を持ち帰ることすら忘れていたと知ったら、先生は呆れ果てるだろう。さすがに遊馬も気まずい。できるだけ知られずに回収してしまいたかった。
夜の校舎を内心ビクビクしながら進む。
遊馬の様子を窺い見ていた凌牙は、ため息を吐いて手を差し伸べた。
「ほら」
「え?」
「……怖いんだったら握ってろ」
「え……」
驚き見上げる。手を繋げと言われているのだと気付き、一気に朱が上った。
「なっ、ななななな!」
「だからうるせえっての」
「こ、ここ怖くなんかないって言ってるだろ!その手には乗らないからな!」
あの家庭科室の一件の後、身体的接触をことごとく避けてきた遊馬は凌牙の手を拒絶して歩き出す。
しかし、暗がりに何かいるような気がしてならず、足を止めた遊馬は、激しく葛藤しつつも振り返った。
「遊馬?」
「………っ」
凌牙の上着の袖を握る。
遊馬に出来る精一杯だった。
涙目で面を伏せ、二人の靴を見つめながら凌牙の反応を待つ。
(な、何か言われるかな……)
そして、何をされるのだろう。
こういう時の凌牙は本当に何をしてくるかわからない。
あの時みたいに抱きしめられるのだろうか。
(何で宿題忘れたんだよお、俺の馬鹿……)
半ば諦めながら凌牙の出方を待つ。
しかし予想に反して、彼は何も言わなかった。絶対手は握られると思っていたのに、袖をそのままに歩き出す。
「あ……」
つられて歩き出しながら目線を上げ、どうして、と呟いた。
凌牙が顔だけ振り返る。
「怯えてる女に手を出す趣味はねえよ。袖で充分なんだろ?お前が怖くないならそれでいい」
暗闇への恐怖だけでない。凌牙との接触に怯えていることも承知しているような口ぶりだった。
こういう優しさを知っているから、彼を徹底的に拒絶できない。
遊馬はきゅっと口元を結ぶ。
凌牙は口説くし、手も出してくるが、遊馬の許容範囲を超えたところまで想いを押し付けてはこなかった。……あの、家庭科室での抱擁以外は。
だからあの時、遊馬は恐怖を覚えたし、今でもそれを引きずっている。
凌牙もさすがにやりすぎたと考えているようだった。友達としての接触ですら腰の引けている遊馬を見て、最近は必要以上に近づくことをしないでいてくれている。
そういう気遣いが、年上の男の子だなあと思うし、好きだなあとも思う。
(でも恋じゃない)
恋がどういうものか知っているわけではないが、クラスメイトが頬を染めて語るような甘い感情ではないし、凌牙から向けられる激しいものでもない。
ただ純粋な、人間としての好意だった。
歩調を合わせて階段を上る凌牙の後に続き、ふたりは1年のクラスが並ぶ階にたどり着いた。
すぐそこにある自分のクラスに入り、握っていた袖から手を離す。
自分の席に駆け寄って、月明かりを頼りに机の奥を覗いた。
「宿題、宿題っと……あ、あった!」
特別課題のプリントを見つけ出して、鞄にしまった。これでミッションクリアだ。
「シャーク、ありがとう!シャークがいなかったらここまで来れなかったよ」
出入り口のところで待っていた凌牙は、笑顔の遊馬に頬を緩めかけた後、急に厳しい顔付きに変わった。
「シャーク?」
「しっ。……足音が聞こえる」
言われて息を呑む。
耳を澄ますと、かすかに人の足音が聞こえた。
遊馬はぞっと背筋を凍らせる。
「まっ、まさか幽霊……!?」
「なわけあるか。きっと見回りだろ。隠れるぞ」
「どこに隠れれば……って、おいシャーク!」
腕を掴まれて引きずられ、教壇の中へ押し込められた。続いて凌牙も入ってくる。
確かに、机の下に隠れるより見つかり辛いだろう。しかし、さほど広いわけではない空間に2人も入れば身体が触れ合うのは避けられない。
すぐそばで感じる吐息と体温にデジャヴを見て、遊馬は表情を強張らせた。
「シャーク!」
「静かにしろ。……何もしねえよ」
前回もそう言って手を出してきた男のことなど信用できるはずもなかった。狭い教壇の中、なるべく凌牙と距離を取ろうと縮こまる。
緊張から鼓動が高まっていく。
思いきり顔を背けて目を瞑ったが、どうしても触れ合ってしまってしまう脚のせいで、凌牙の存在を意識せずにはいられなかった。
(早く、早く通り過ぎて……!)
気持ちばかりが急くせいで、見回り教師の足音がやけにゆっくり聞こえる。
戸締りをする音を立てながら見回りは遊馬たちの隠れている教室を通り過ぎ、やがて階下へ降りていった。
足音が充分に遠ざかったところで、凌牙を押しのけて隠れ場所から抜け出る。
「待て、遊馬!」
すぐに追いかけてきた声に足を止める。振り返るより前に、顔の両側に腕をつかれた。目の前にある壁と凌牙の両腕に囲まれる格好になる。
背中越しに近距離にある彼を感じて、身体を硬くした。
「……悪かった」
首のすぐ後ろで、苦しそうな呟きが落ちた。
「お前を怖がらせるつもりはなかった。すまねえ」
「……だったら離れてくれよ」
「そしたらお前逃げるだろ。拒否られんのキツいんだよ」
「知るかよ!シャークが悪いんだろ!?」
口に出した途端、憤りが胸にせり上がってきた。
(そうだよ……何で俺が罪悪感覚えなきゃなんないんだ?)
どう考えても想いを押し付けてくる凌牙が悪い。
振り返った遊馬はすぐ近くにある顔を睨み付けた。
「俺は最初からイヤだって言ってるだろ!?好きじゃないって!そういう風には見れないって!」
「……はっきり言ってくれるじゃねえか」
苦笑いを浮かべた凌牙の瞳が揺れる。傷ついているのがわかった。
怒りながらも遊馬まで悲しくなってくる。
「シャークが分からず屋だからだ!俺だって、こんなこと言いたくなかったのに……!」
好意は単純に嬉しかった。出会った頃を思えば、こんな風に一緒にいることすら驚きなのだ。
友達ではなく恋人の関係を求められたのには面食らったが、恋愛感情を抱いてくれるほど心を許してくれていると思うと、頬が緩んだ。
困るけれど、同じくらい嬉しかった。
きっと遊馬はまだ幼いのだろう。恋が引き起こす情熱や衝動が分かっていないから、凌牙の行動に戸惑い、萎縮してしまう。
「なら……どこまでなら許せる?」
急に手を握られて、遊馬は肩を跳ねさせた。
「手を握るのは?これも駄目か?」
「だ、駄目って言うか……」
やめてほしい。こういった行動まるごと全部。
その願いは間髪入れず却下された。
「俺だってどうしていいのか分かんねえくらいお前に惚れてんだよ。口先だけ諦めるって言うのは簡単だが、勝手に手が伸びるから仕方ねえ。お前が諦めろ。諦めて俺に口説かれろ」
「何でそんなに偉そうなんだよ!」
「これでも譲歩してるんだ。お前の許容範囲を確認してやってんだから。で、どうなんだ?」
指と指の間をなぞるように絡められて、遊馬は頬を熱くした。
「だ、駄目!俺に触るのは全部アウト!」
「嘘を吐くのはためにならねえぜ。セーフなところもアウトって言うなら、本当にアウトなところもセーフだと考えるからな。例えば……」
右手で遊馬の手を握ったまま左腕を腰に回して抱き寄せようとする。
慌てて遊馬は凌牙の胸を押して引き剥がした。
「だ、駄目ッ!アウトアウトアウト!わ、わかってやってるだろ!?」
「下手な嘘つくお前が悪いんだよ」
フン、と鼻で笑う男を殴ってやりたい。衝動のままに手を上げる。
片手で軽々と拳を受け止められて、悔しいったらなかった。
「札付きに手を上げようなんて、いい度胸だな」
「うるさい!大人しく殴られろよ!」
「断る。……で、これはアウトかセーフか、どっちだ?」
拳を解かれて握り締められる。力はあまり入っていないが、手を引くことは許されない雰囲気だった。遊馬の手を覆うように包み込んでいる。
「せ……セーフ」
渋々口を開くと、凌牙は嬉しそうに破顔した。
「最初から素直にそう言やあいいのに」
「言えるわけないだろ……。あーもう、この話ヤメ!帰ろうぜ」
身を翻して凌牙から離れ、教室を出ようとする。
ところが扉の前に立っても自動ドアはうんともすんとも言わなかった。
「あれ?」
一度下がって、再度ドアの前に立つ。しかし扉は開かない。
「何で!?」
「さっきの見回りだろ。戸締りも一緒にしてたみたいだからな。電源切られたんだよ」
「えええっ!?」
つまり閉じ込められたのだ。
慌てる遊馬とは対照的に、凌牙は落ち着いていた。
「何でそんなに平然としてるんだよ!このまま誰にも気付かれなかったら……!」
「朝までふたりきりだな」
ギクリ、と心臓が嫌な音を立てた。
信じられない思いで凌牙を見つめる。
「じょ、冗談じゃないんだけど……」
「俺もだ。朝までお前と一緒とか、手を出さない自信がまるでねえ」
「真顔でそういうこと言うなよ!……だ、誰かーッ!いませんかー!?人が閉じ込められてまーす!」
大声を張り上げるが、先ほど遊馬と凌牙が大騒ぎをしていても気付かれなかったくらいだ。耳を済ませるが、かえってくる返事もなければ足音も聞こえない。
(本当にシャークとふたりで、朝まで……?)
冷や汗が背中を伝う。
恐ろしくて、とても凌牙のほうを振り返ることはできなかった。



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