好きって言うまで放さねえ | ナノ


好きって言うまで放さねえ


「あー、雨降ってきちゃったか……」
灰色の空を見上げて、遊馬はガックリと肩を落とした。
朝から怪しい天気だったが、とうとう放課後になって降りだしてしまった。
学校の玄関前で雨宿りをしながら、彼女は途方に暮れる。
今日は小鳥も鉄男も家の用事で先に帰ってしまったため、傘に入れてもらえるアテがない。
しばし空を見上げて雨足が弱まるのを待っていたが、一向にその気配はなく、諦めて校舎の中へ踵を返した。
『どうした、遊馬。帰らないのか?』
「帰れないんだよ。しょうがない、雨が止むまで家庭科の課題でもやってようかな……」
『家庭科の課題?』
「お前は鍵の中にいたから、知らないか。来週までにエプロン作らなきゃいけないんだ。この時間なら家庭科室も空いてるだろうし、ちゃちゃっと作っちゃうぜ!」
ふよふよ漂うアストラルを連れて、ロッカーから持ち出した裁縫箱を手に、家庭科室へ向かう。
無人だと思っていた遊馬は断りもなくドアを開けた。中に人影を見つけて足を止めたが、その人物が知り合いだということに気付いて、声を上げる。
「シャーク!?」
「……遊馬?」
長椅子に寝転がっていた凌牙が、驚いた様子で起き上がる。
「お前、授業はどうしたんだ。サボりかよ?」
「え?もうとっくに終わってるけど……」
「……なに?」
壁に掛かった時計で時刻を確認した凌牙は、小さく舌打ちした。その様子から、もしかして……と疑念を口に出す。
「ずっとここでサボってたのか?」
「……今日は水曜だったな。一限授業が少ないんだった。うっかりしてたぜ」
「サボってたんだな……」
家庭科室のある特別棟には特別教室が集められており、授業でもなければほとんど人通りがない場所だ。煩い教師の目を逃れて時間を潰すには格好の場所だろう。
だがその反面、放課後の喧騒も伝わってこず、凌牙はここで寝こけていたらしかった。
「で、遊馬、お前はどうしたんだ?ここに用事でもあったのか」
「うん。課題のエプロン作ろうと思って。ほら、外雨だから、雨宿りの間の暇潰しに」
寝起きの彼は外の天気にも今気がついたらしい。
「マジか。少し肌寒ぃとは思っていたが……。結構降ってるな」
「強行突破するのはちょっと無理そうだろ?だから……あ、そうだ、シャークは傘持ってないの?」
期待の目を向けるが、凌牙は首を横に振った。
「悪いが持ってねえ」
「そっか……」
ならば仕方ない。当初の予定通り、雨が止むか小降りになるまで待とう。
裁縫箱を開けて課題のエプロンを作り始めた遊馬の手元を、凌牙が横から覗き込んできた。
「……意外と上手いな」
綺麗な直線を描く縫い目に感嘆の声が上がる。
「へへっ。これでも裁縫は得意なんだよ。ほら、ウチ母ちゃんいないからさ。ばあちゃん一人に家事を任せるわけにもいかないし……。小さい頃からいろいろ手伝ってきたから、一通りのことはできるんだ」
九十九家では自分の部屋の掃除も各自で行うことになっている。今では、社会人になった姉が在宅の仕事をしているので、祖母と手分けして家の仕事を片付けてくれるようになったが、明里が学生の頃は早く学校が終わる遊馬のほうが家事をこなしていた。
新学期に持っていく雑巾だって自分で縫っていたし、体育祭で着る衣装だって自分で作った。
針仕事に慣れている遊馬にとって、家庭科の課題など朝飯前だ。順調に針を進めていく。
ふと顔を上げた遊馬は、凌牙の制服の左側の袖ボタンが緩んで今にも取れてしまいそうなのに気付いた。
「シャーク、それ付けてやろうか?」
指摘された凌牙は、ボタンと遊馬の手中にあるエプロンの縫い目を見て、頷いた。
「悪い、頼む」
「楽勝!さ、制服出して」
遊馬としては左腕をこっちに向けてほしかっただけなのだが、凌牙は制服をまるごと渡すのだと解釈したようだ。緑のネクタイを外して制服を脱ぎ始めた。半分程ボタンを外されて見えた肌の色に、遊馬はギョッとする。
「い、いいよ脱がなくても!それくらい着たままでも付けれるから!」
女所帯の生活のため、ほとんど近距離で異性の肌を見たことがない遊馬は顔を赤くした。
それに気付いた凌牙は、ニヤリと艶のある笑みを浮かべる。
「見たいなら見せてやろうか?お前なら構わねえぞ」
「い、いらない!見たくない!」
「遠慮すんなって。触ればいい」
遊馬の手を取って、はだけた胸元へ引き寄せる。
真っ赤になって凌牙の手を振り払った。
「いいいいいいって言ってるだろ!シャークの馬鹿!あんまふざけたことしたら、ボタン付けてやんないからな!!」
初心な遊馬の反応に凌牙は笑っている。
それが悔しいのと恥ずかしいのとで、思いっきり睨みつけてやったが、意に介した様子はなかった。
「ははは、わかった、俺が悪かった。脱がねえからやってくれ」
「……変なことしないって約束する?」
「お前次第だ」
「悪ふざけしたら針で刺してやるからな!?」
「わかったから針をこっちに向けんな、危ねえ。手は出さねえよ。ちゃんと縫い終わるまでおとなしくしてるさ」
いまいち信用ならないと思いながらも、左腕を差し出されて、渋々糸を手に取った。針に通して制服の袖ボタンに当てる。
(……近い……)
着衣のまま縫っているので当然のことだが、凌牙の体温が近い。
自分からこんな距離まで踏み込んだことはなかった。いつも凌牙の方から迫られ、口説かれてきたのだ。
遊馬は落ち着かない心地になる。
作業中で動けないのをいいことに抱き寄せられるのではないかと危惧していたが、意外にも凌牙はおとなしくしていた。
(こんなに近くにいるのに手を出してこないなんて、変な感じ)
彼から告白されて以来、不用意に近寄ると手を取られ、引き寄せられそうになり、逃げようとすれば甘い言葉を浴びせられてきた。
普通に友達として仲良くしたい遊馬は、一足飛びに恋人の関係を求めてくる凌牙とどのような距離で接すればいいのかと悩んでいた。
(いつもこうだったらいいのに……)
そうすれば遊馬だって、小鳥や鉄男と絡むみたいにできる。どついたり、腕を組んだり、友達となら気軽にできることも、凌牙が相手では無理だ。遊馬から手を伸ばしたら最後、いいように解釈されて離してもらえなくなる。
思い悩みながらも針は進み、取れかかっていたボタンを付け直した。糸を切って針を剣山に刺す。
「シャーク、できたぞ――」
面を上げて凌牙の表情を眼に映した遊馬は、はっと言葉を切った。
ドクン、と心臓が跳ねる。
凌牙は口説くことも手を出すこともしなかったが、ずっと遊馬を見つめていたらしい。綺麗なアクアマリンの眼が幸せそうに細められていた。
札付きと言って恐れられる普段の鋭い雰囲気は微塵もなく、好きな人がすぐそばにいる幸福を噛み締めている。
明確な恋情に浮かれた表情に、彼女の鼓動も速まった。
「遊馬……」
甘く名前を呼ばれて、たまらず顔を背ける。
「だ、駄目だ。シャーク……」
「何がだ?俺は何もしちゃいねえぞ」
「してないけど、してるよ……。こういうのはもうやめてくれ……」
たまらず逃げようと腰を浮かせたが、強引に腕を掴まれ抱き寄せられた。バランスを崩して凌牙の胸に倒れこむ。
肌蹴たままの彼の胸と自分の頬がぶつかって、直に感じた体温に頬が熱くなった。
「シャークッ!!」
悲鳴のような叫びが喉から放たれた。
離れようともがくが、がっしりと腰に腕を回されて、振り解くことができない。
「約束が違うじゃないか!!」
「手を出さねえって言ったのは裁縫が終わるまでだ。その後は知らねえ」
「ズルイ!卑怯だ!」
「何とでも言いな。見てるだけで怒られるんだ。なら手を出したほうが得だろ」
凌牙の吐息が耳に当たる。肩から腕のラインをなぞるように撫でられた。女子の制服はノースリーブなので、大きな掌の熱が直接伝わってくる。
遊馬の心拍数が急勾配を描いて上昇した。
「シャーク……!」
羞恥や焦燥といった感情よりも、次第に恐怖のほうが大きくなっていく。
細身の割りに凌牙は力が強く、自力で抜け出すことは不可能だ。何かされそうになったとしても、遊馬に抵抗の手段はない。
「やめて……お願い、放して……!」
「……もう少し……」
鼻先を髪に埋められる。
遊馬が身じろぎをするたびに強く抱え込まれ、二人の密着度はどんどん上がっていった。
触れ合ったところから凌牙の想いが流れ込んでくるようで、遊馬は受け止めきれない熱に泣きそうになる。
「だ、駄目だよ。こんなの駄目だ、俺……シャーク……!」
目の前の男の情け心に縋るしか、この状況から抜け出す術はない。
すすり泣くような懇願に、凌牙は僅かながら力を弱めたが、抱きしめる腕を放しはしなかった。
「遊馬……俺を好きになれ」
喉の奥から絞り出したような声が落とされる。
「お前が好きだ。他の誰にも渡したくねえ……。お前をこうして腕に抱けるのは俺だけでいたい。潔くサレンダーしろ……」
切々な告白に、遊馬は何と言って断ればいいのかわからなかった。
「シャーク……俺……」
続く言葉が見つからない。沈黙が落ちた教室内に、しとしとと雨が降る音だけが聞こえる。
――唐突に場違いな電子音が上がり、二人は驚いて肩を揺らした。
「あっ……Dゲイザー!」
遊馬のDゲイザーに着信が入った音だった。
驚いた凌牙が腕を外した隙に遊馬は立ち上がる。
脱兎して窓際まで逃げて、通話ボタンを押した。
「もっ、もしもし!?」
『遊馬?あんた今どこにいる?』
「姉ちゃん!」
家で仕事をしているはずの姉からの通信だった。
「まだ学校だけど……」
『やっぱり。あんた今日傘持って行かなかったから足止めくらってるんでしょ』
「うん……」
『ちょうど仕事で車出してるから、帰りに拾ってあげるわ。あと20分もすれば着くと思うから、校門で待ってて』
「本当!?姉ちゃんありがとう!マジでありがとう!!」
帰る手段が見つかったことはもちろん、この場から逃げ出せることが嬉しかった。
必要以上に喜ぶ妹の様子を姉は怪訝に思ったようだが、遊馬は強引に通信を切ることでその追究から逃れた。
しかし、この教室からは回線を遮断するように逃げることはできない。
「えと……そういうわけで俺、帰るから……」
気まずい思いで振り返る。
何度目かになる告白への返事もなく、うやむやにしようとしていることを責められるかと思ったが、凌牙は「ああ」と頷いただけだった。
「えと……シャークも傘ないんだろ?一緒に乗ってく……?」
外は相変わらずの降雨量だ。後ろめたさもあって誘いをかけるが、凌牙は断った。
「いや、いい。傘ならある」
「え?」
「ロッカーに置き傘がある。それ使って帰るさ」
「だ、だってさっきないって……!」
「そう言えば、お前と一緒にいられるだろ」
直球をぶつけられて、遊馬は息を呑んだ。
好きな人と一緒にいたい、話したい、触れたい、両想いになりたい――凌牙の欲求は自然なものだ。嘘をつかれたことに怒るより切なくなった。
(こんなに想ってくれているのに、俺は、それに応えることができない……)
それどころか中途半端に逃げてばかりいる。後ろめたさを抱いているから、真っ直ぐな凌牙の言葉が胸に突き刺さって鈍い痛みをもたらす。
「じゃあな、遊馬。また明日」
解いたネクタイを適当に巻いて、教室を出て行く凌牙を、遊馬は罪悪感と共に見送った。
「うん……また明日……」
明日――どんな顔をして会えばいいのだろう。
彼の想いに応えてあげたいという同情心はあるが、やはり恋愛をしている自分というのは上手く想像ができない。
少なくとも、今日肌で感じたような強烈な熱情と同じものは返せないだろう。
そんな状態で凌牙を受け入れても、名ばかりのお付き合いになることは目に見えている。
(いつかシャークのことを好きになる日が来るのかな……?)
来るのなら早く来てほしい。
凌牙のことが仲間として大切だからこそ、これ以上傷つけたくなかった。



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