放したくないって思ったら、自然と身体が動いてた | ナノ


放したくないって思ったら、自然と身体が動いてた


きっかけを与えるのはいつだって遊馬だ。
昼休みに一緒に食事をとるようになったのだって、提案したのは遊馬だった。凌牙が登校している日は屋上で昼飯を広げるのが常になっている。
そして本日も、宿題を教えてほしいと拝み倒してきたのは彼女のほうだった。
「どうして俺なんだよ?あの幼馴染みとか、クラスのやつに頼めばいいだろ」
放課後の教室で、1年の教科書をパラパラと流し読みしながら、凌牙は隣を見た。並んで座っている遊馬は、課題プリントを前に悩んでいた頭をこちらに向けた。
「小鳥は習い事があるんだ。鉄男達も忙しいらしくてさ。シャークは暇だったんだろ?」
「……まあ……」
予定と呼べるほどの用事がないのは事実だったが、これからの季節に着る服でも買いに行こうかと考えていたところだった。帰り支度をしていたところを遊馬に急襲され、ガシリと腕を掴んで懇願されて、彼女のクラスへ引っ張り込まれた。そして今、専属の家庭教師をさせられている。
勉強を教えるくらい構わない。頼られるのは嬉しく思ったし、二人でいられる時間に否やはない。
けれど凌牙は好意を打ち明けている立場であって、その想い人から泣きつかれて頼られれば、勝手にこみ上げてくる期待もあるわけで、教師役が何かの意図に基づくものでなく消去法による選出だと知ったら落胆することぐらい、察してほしかった。
けれど隣の少女は、恋心の機微なんてちっとも理解しようとしない。
「シャークぅ、これ分かんねえよぉ!」
プリントと睨めっこを始めてからまだ数分と経っていない。自分の脳みそで考えるのを放棄して凌牙に答を求めてくる。
「少しは自力でどうにかしようと思わねえのか」
「解き方が分かんねえんだよ……」
気まずそうに遊馬が小さな声で言った。彼女のオツムの悪さは、以前夜の校舎に閉じ込められた時に承知済みだ。あの時と違って素直に頼ってくるのは、今現在、身の危険を感じていないからだろう。
だが凌牙は手っ取り早く答を教えてやるつもりはなかった。
「国語じゃねえんだから公式に当てはめりゃいいだろ。ほら、教科書めくって似た問題文を見つけてみろ。それで分からねえんなら教えてやる」
「……はーい」
遊馬は不満顔だった。渋々といった面持ちで教科書を開く。それを横目で見ていた凌牙は、内心溜息を吐いた。
(分からないからって思考停止するのはお前の悪い癖だぜ……)
勉強だけではない。恋愛においてもだ。
凌牙は再三、好意を伝えている。恋愛に興味のない遊馬はその気持ちが理解できないようで、口説くと困惑して目をそらす。手を伸ばせば慌てて逃げようとする。そこを捕まえて強引に腕の中へ抱き込めば硬直してしまう。どう対応していいのか分からないのだろう。ぶつけられる想いを受け止められず、無かったことにして横に流したいのが本音ではないだろうか。
学年を越えた友人として付き合う分には笑顔を向けてくれるのに、そこに恋愛が絡むと、たちまちパニックに陥ってしまう。そのくせ、凌牙に関わることはやめようとしない。何かと声をかけてくる。けれど凌牙が淡い期待を抱いて1歩近づくと、1歩後ろに下がってしまう。下手をすれば怯えて2歩も3歩も後退する。これでは凌牙の気持ちの持って行きようがなかった。
「うーん……シャーク、もしかしてこの公式を使えばいいのか?」
プリントと教科書を往復していた視線がこちらに向いた。シャーペンで指された公式を見て頷き返す。
「ああ。それに設問の数字を当てはめてみろ」
「えっと、Xが2で、Yが……」
遊馬は懸命に考えて、少しずつだがプリントの空欄を埋めていった。基礎問題はそれでよかったが、応用問題は難しかったらしい。凌牙が必要な公式とヒントを教えて、解答にたどり着けるよう誘導してやった。
「こんなやり方しなくても、シャークが解き方教えてくれた方が早いんじゃないか?」
「そんなんだからいつまでたっても馬鹿が治らねえんだ。知識なんてのは興味関心があるか、当人が苦労しなきゃ身に付かねえんだよ」
願わくば勉学だけでなく、恋愛でも思考停止せずこちらの気持ちを慮ってほしい。こっそりと心の中で付け足した。
こうして専属家庭教師に口を出されつつも、遊馬はどうにか自力で宿題を片付けてみせた。
「やっと終わったぜ……」
教科書も筆記用具も放り出し、精も根も尽き果てたと言わんばかりに遊馬は机に頬をくっ付けて脱力している。重力に逆らうアホ毛が可愛くて、凌牙はつい手を伸ばした。頑張った彼女を労う思いも込めて頭を撫でてやると、突っ伏していた遊馬が凌牙見上げて微笑む。
「それ……気持ちいいかも」
「……そうか?」
「ああ。父ちゃんに撫でられてるみてえだ」
するりと流れ出た問題発言に、凌牙の心が凍りついた。撫でる手の動きが止まる。
「……父親……だと……?」
「え……?あっ!いや!そういう意味じゃなくて!」
飛び起きた遊馬が急ぎ訂正を入れようとしたが、凌牙は聞く耳を持たなかった。瞬く間に怒りの炎が燃え上がる。力加減を忘れて肩を掴んでこちらに向き直らせた。
「てめえ……まだ分かってねえようだな……」
「違う!分かってる!分かってるから!」
「家族愛と恋愛を一緒くたにすんじゃねえ!!」
額が付きそうなほど顔を近づけて怒鳴った。薄い肩がビクリと跳ねる。震える瞳に怯えの色が走った。
(怖がらせてる)
冷静になれ、という声が脳裏をよぎったが、瞬間的に湧き上がった激情を即座に鎮めることはできなかった。溢れ出そうな罵声を喉奥で噛み殺すので精一杯だ。
(どうして分かってくれねえんだよ……!)
凌牙にとって遊馬は太陽だ。彼女と一緒にいると心が沸き立つ。好きな子が隣にいるのだ。どんなにくだらない会話でも珠玉のようにキラキラと輝きを発して、凌牙の胸のうちを明るくした。穏やかな幸福に表情は自然と緩んだ。
けれど一方で、焦がれるような苦しさも味わっていた。
(振り向く気がねえんなら、俺に関わるな!放っておいてくれ!)
それは、何度となく言おうとして口に出せなかった本音だった。
目の前から姿を消してくれれば諦めようもあるのに、今日のように突然やって来ては、じゃれつかれる。それを喜ぶ反面、暗い感情も併せて胸の底に澱めいた。
見込みがない恋は苦しいだけだ。凌牙の中にあるのは側にいられるだけで満足するような恋心ではない。同じ気持ちが返ってこないのなら忘れてしまいたかった。
けれど遊馬から声をかけてこられては、諦める決意も固められない。
(生殺しだ。勘弁してくれよ……!)
好きなのに、愛しいのに、優しくしてやりたいと心の底から思っているのに――憎らしく思ってしまう。無邪気に懐く彼女を見ていると、温かい気持ちが沸きあがる一方で、小さな苛々が堆積していった。
好きだという凌牙の気持ちは決して受け入れないのに、友人としての凌牙を手放そうとはしない。抱き締めようとするたびに非難の言葉を浴びせる彼女だが、その実、我慢しているのは凌牙だった。彼は何度も告白している。なのに遊馬は近寄ってくるのだ。強引にキスをして襲ったって文句を言われる筋合いはない。けれど本当に遊馬が好きだから、衝動を抑えて彼女の望む関係に甘んじている。
なのに、そうした気持ち全部を、家族愛と同一視されたらたまらない。
「俺のは無償の愛じゃねえんだよ……!有償だ!力ずくで分からせてやろうか!?」
「やっ……!」
逃げを打つ体を押さえ込み、強く抱き締めた。腕力にモノを言わせた抱き方をしたのは家庭科室の時以来だった。その力から本気を悟ったのか、胸の中で遊馬が滅茶苦茶に暴れ始める。
「違うんだ……!シャーク、話を聞いてくれ!!」
「うるせえ。黙れ」
低い声で唸ると、ビクリと華奢な体が震えた。一時、抵抗が止む。抱きかかえたところから彼女の恐怖が伝わってきた。
右腕でしっかり抱き込んで、左手を彼女の頬に滑らせた。上を向かせて、ふっくらとした唇に口付けようとする。
「ッ……!」
何をされようとしているのか気付いた遊馬は、間に手を入れてキスを阻止した。顔をそらして逃げようとする。
「やだ……!やめてくれよ!」
「黙れと言ったはずだ」
「やだ!シャーク、やだってば!」
悲鳴のような声を黙殺して、逆側の頬に手を伸ばした。背けた顔を掴んで引き戻し、再びキスをしようとする。するとまた、逆側へ首を捻られ、逃げられてしまった。
胸にすっぽり抱きかかえているとは言え、離れようともがく人物を思いのままにするのは難しい。揉みあうような攻防の中、互いの腕がぶつかる。
「このっ、いい加減に……!」
頑なに逃げられると捻じ伏せたくなってくる。頭に血の上った凌牙は意地の悪い気分になって、長椅子に押し倒してやろうかと考えた。上からのしかかれば大した身動きはできない。唇を奪うくらい簡単だ。
悪魔の囁きに唆されて行動に移そうとした……その時だった。

ガンッ

「――ッたぁああぁあ!!」
遊馬が盛大な悲鳴を上げた。凌牙の手を振り払った拍子に、腕を机にぶつけてしまったのだ。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃない……」
腕を抱えて悶絶する遊馬に勢いを削がれ、凌牙は鼻白んだ。たった今までの熱い衝動が嘘のように鎮まっていく。
途端に空虚な感情が押し寄せてきた。全てが馬鹿馬鹿しくなった。
(どうして俺はこいつが好きなんだ……)
いつか遊馬からも尋ねられた科白だ。理由なんてないと返した凌牙だが、本当は、返す言葉を彼自身も見つけられずにいた。
遊馬に向けている感情は、焦がれるような好意だけではない。彼女が突拍子もない行動に出れば呆れるし、理解できずに困惑することも多い。心の底から馬鹿じゃないかと思いもするし、恋愛に対する無神経さには怒りだって湧く。苛々と波打つ気持ちを抑えて向き合うのは、正直、気苦労を伴った。
水を差される形になった凌牙は迫る気も失せて、彼女の体を離した。家庭教師をしていた位置まで腰を戻す。
すると、ぶつけた箇所を押さえていた遊馬が、ハッと面を上げて彼を引き止めた。
「シャーク……!」
「なんだよ」
「その……ごめん!シャークを傷つけるつもりじゃなかったんだ。上手く言えねえんだけど、本当にシャークが思ってるような意味じゃなくて、だから……」
彼女は必死な様子で言い募った。
「宿題を教えてもらおうと思ったのも、本当はみんなの都合が悪かったからじゃないんだ。前に教わった時、すごく分かりやすかったからシャークに教えてもらいたくて……!」
凌牙は驚いて顔を向けた。泣きそうな顔をした遊馬が身を乗り出す。
「お、俺だってシャークが好きなんだ!恋愛の好きじゃないけど……好きだから、シャークが離れていくのは嫌だ!!」
真っ直ぐな眼差しと言葉が凌牙の心に大きく響いた。
凌牙の袖を掴んでいる彼女の手は小さく震えている。力が入りすぎているのか、暴挙を起こした凌牙が怖いのか、はたまたその両方か分からない。だがこの手を離したら友達としての凌牙まで失ってしまうとでも言うように縋りついてくる。
こうやって引き止められるから気持ちが堂々巡りになり、出口のない苦しみに胸を焼かれることになるのだが、一生懸命な紅い眼差しと向き合って、凌牙は不思議と胸を打たれた。
(この目だ)
何もかも失って落ちぶれた凌牙を、畏怖も嘲笑の感情もなく、真っ直ぐに向き合ってくれたのは遊馬だけだった。拒絶の言葉にも頓着せず、暗い海底へ沈もうとする彼を追いかけ、太陽の光が当たる岸辺へと引っぱり上げてくれた。きっと凌牙はそれが嬉しかったのだろう。感謝と恩義の念はゆっくりと色を変え、ただ一人の女の子として心のうちへ棲みついた。
凌牙は縋りつく遊馬の手に視線を落とした。
こうやって手を伸ばしてくれる遊馬だから好きになった。近づいて来るのに応えてもらえないのは真綿で首を絞められるような息苦しさを与えられるが、そういう彼女に惚れてしまったのだから仕方ない。
(好きになったほうが負けってやつか)
イライラするし、時々好きでいるのをやめたくなるけれど、そういうところもひっくるめて恋をしてしまったのだから、凌牙が折れるしかない。
袖を掴む彼女の手に自分の手を重ねて、やんわり引き剥がそうとした。けれど遊馬はそれを拒絶と受け取ったらしく、顔を強張らせる。恐れなくてもいいのだと安心させるために微笑みかけて、力が入ったままの手の甲をすっぽりと包み込んだ。触れ合ったところから穏やかな気持ちが伝わったのか、遊馬の強張りが解けて、ゆっくりと袖から指を離す。
「シャー……うわっ!」
そのまま手を引くと、前のめりになっていた彼女はあっさり胸の中へ倒れてきた。背中に手を添えて軽く抱きかかえる。赤面した遊馬は彼の胸を押して起き上がった。
「何するんだよ……!やだって言ってるじゃんか!」
「離れたくないって喚いてたのはどの口だよ」
「こういう意味じゃないっ!大体、友達は抱き合ったりしないだろ!」
「あいにくと俺は友達で終わるつもりはないからな」
惚れたほうが負けとは言っても、それは現段階の話であり、先はどうなるか分からない。片想いは辛いけれど、この腕の中で暴れている少女を手に入れたいなら、口説き落とすしかないじゃないか。
最初に触れることを許されたのは手だった。それ以上進もうとすると怯えられてしまったが、今では以前ほどの抵抗感はないようだ。抱きしめると煩く喚くのは変わらないけれど、こうやって少しずつでもいいから、許される部分を増やしたい。そして最後は、心が欲しい。
(早くこの腕の中へ落ちてこい、遊馬)
いつまでも父親の面影を重ねられてはたまらない。
凌牙は願いを込めて一度強く抱きしめると、眼下にあるつむじへ口付けた。



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