好きだなんて認めない | ナノ


好きだなんて認めない


最近、Wには夢中になっている遊びがある。
「W!てめえ、また来やがったのか!」
「シャ、シャーク!落ち着けよ、なっ?」
「そうですよ。彼女の前でカッカするなんて見苦しい。ねえ遊馬さん、こんな余裕のない男なんて見切りをつけて、僕と付き合いませんか?」
「うるせえ黙れ!!」
毛を逆立てて怒る凌牙を見るのは、とても愉快だった。周囲に対して氷のようなバリケードを張っている男だ。水面のように澄ませた面を乱れさせることに、Wは深い充足感を覚えていた。
とりわけ凌牙の反応が芳しいのは、妹の件と、遊馬のことだ。話題に出すだけで目の色を変えて睨んでくる。それだけ凌牙の心に深く根付いた存在なのだろう。
となれば、それを使って遊ばないわけがない。
わざとデートの時を見計らって乱入し、凌牙の前で遊馬を口説く。この嫌がらせ行為をWは心の底から楽しんでいた。


「随分と神代凌牙に入れ込んでいるんですね。W兄様にしては珍しい」
おやつと紅茶を運んできたVが、意外そうな面持ちで指摘した。確かにWが特定の人物へ執着するのは稀有なことだ。アジアチャンピオンの地位にあるため、出会いは多いが、Wの興味を引く人物はほんの一握りだった。
その中でも神代凌牙は特別だ。1年前の大会で獲物と定め、討ち取って以降、滑稽に思えるスピードで転落していった彼に一時期、興味関心は失せていた。しかし、トロンの命令によって再び対峙したことにより、Wは意識を改めた。これまでファンサービスを行った相手やその仲間に報復を受けたことは度々ある。もちろん完膚なきまでに叩きのめしてきたが、その中でも凌牙ほど苛烈な怒りを向けてきた者はなかった。彼に仕掛けた罠が他者より度を超えていた自覚はある。1年前のWがそれだけ凌牙の才能を警戒していた証と言えよう。それだけの人物を手玉にとって遊ぶ愉しさは、今でもWの中に焼きついている。
その神代凌牙と、再びあいまみえたのだ。手段は違えど凌牙にちょっかいをかけるのは、やはり心が躍った。
遊馬を口説くのはついでだった。凌牙の女だから気のある素振りをしているだけだ。でなければ眼中にも入れなかった。デュエリストとしての腕も未熟だし、とりたてて色気があるわけでもない。目が大きいので顔立ちは可愛いかもしれないが、まだ中学生だから出るところも出ていないし、Wとしてはそそられる部分がない。加えて男勝りで男口調ときたら到底、恋愛対象にする女ではなかった。

そんな遊馬と道端で出くわしたのは、まったくの偶然だった。会うために画策したわけでもない。そもそも凌牙がいないのなら、遊馬に関わる必要性を感じない。
けれど知り合いと狭い道で鉢合わせたら、声をかけないわけにはいかず、外向きの笑顔を貼り付けた。
「こんばんは、遊馬さん。今日は凌牙と一緒ではないのですか?」
「W!」
見開かれた双眸に警戒の色が浮かんだ。彼女の前で本性を露わにしたことはないが、凌牙からいろいろ聞いているのだろう。デートの邪魔をしているし、あまり良く思われてないことは予想済みだった。
「今日、シャークは用事があるんだってさ。残念だったな。何か用事でもあるのか?」
「いえ。いつも一緒にいるので珍しいと思ったんですよ。今日は一人ですか?夜道を歩くのは危ないですよ。凌牙の代わりにはならないでしょうが、家まで送りましょう」
「え……」
たじろぎ瞳が揺らめいた。二人きりにならないよう凌牙に言い含められているのかもしれない。断られるならそれで良かった。対外的には紳士で通している手前、社交辞令で口にしただけだ。
しばし遊馬は逡巡したが、やがて頷いた。
「送るなんて気にしなくていいんだけど……俺、お前と話してみたかったんだ。シャーク抜きでさ。歩きながらでいいから、少し話さねえ?」
「……いいですよ」
遊馬の家の方向へ連れ立って歩き出す。数時間前まで雨が降っていたので、舗装された道路のあちこちに水溜りができていた。
(何を訊きたいってんだ?……凌牙のこと以外にねえか)
遊馬とは凌牙を介した知り合いだ。それ以外の話題などない。さて、何と返答したものかと考えていると、にっこり微笑んだ遊馬がWの顔を覗き込んできた。
「Wもデュエリストなんだよな。Wのフェイバリットカードって何?」
「え……カード?」
「ああ。何属性が好きなんだ?シャークは水属性だろ。Wにもこだわりがあるのか?」
想定外の方向から投げられた質問に、Wは面食らった。それを見た遊馬が慌てる。
「あっ、Wはアジアチャンピオンなんだよな。知ってて当然なのか。俺、あまり詳しくないんだよ。気悪くしたらごめんな」
「いえ……そういうわけでは」
てっきり凌牙との確執を問いただされると思っていたのに、遊馬が口にするのは友人同士で交わすような雑談ばかりだった。
(どういうつもりだ?何を考えている?)
相手の目的が把握できないのは不愉快だった。まさか仲良くしたいわけではあるまい。相づちを打ちつつ、横目で彼女の様子を窺った。
「へー!Wは三人兄弟なんだ。賑やかでいいな!」
「……むさくるしいだけですよ。遊馬さんはお姉さんがいるんですね。二人姉妹なんて華やかじゃないですか」
「でも、年が離れてるからアレコレうるさいぜ?人のことコキ使うしさあ」
「ああ……1番上というのはそういうところがありますからね。僕も兄がうるさくて」
「ええ?意外だな。俺と違ってしっかりしてそうなのに」
「兄や弟にとって、僕は問題児らしいですから」
遊馬と話していると調子が狂った。なぜこんなことまで口にしているのだろう。最初こそ、この雑談に何かあるのかと勘ぐったWだが、ダラダラと終わりの見えない話に、考えすぎだと気を緩めた。遊馬は服芸のできる人間には見えない。本当にただ話したかっただけなのかもしれない。
遊馬の家の前にたどり着いた。別れの挨拶をして踵を返したWの背中に、遊馬の声が追いかけてきた。
「W!今日はありがとう!俺……おまえのこと、シャークが言ってるほど悪い奴だと思ってないぜ!」
虚を衝かれて振り向いた。道中、横にあった赤い双眸が、真っ直ぐこちらを向いていた。
「前に何があったのか知らないけどさ、仲良くしてくれたらいいのにって思う!」
「……知らないんですか?」
意外だった。全て凌牙から聞いているものだと思っていた。
「シャークはあまり話したくないみたいなんだよ。そりゃあ気になるけど……本人が嫌がってるならしょうがないし」
なぜ質問が来ないのかと思ったら、そういう事情だったらしい。疑問が氷解して、Wは口元を歪めた。
(甘いな、凌牙)
きっとWに近づかないよう言い含めてはいるのだろう。けれど過去の確執を話さなければ、忠告を真に受諾させるのは難しい。実際、遊馬は凌牙の目の届かないところでWと関わりを持とうとした。中途半端に隠すからだ。恋人といがみ合う相手のことが気にならないはずがない。
「……知りたいですか?何があったのか」
遊馬の前へ歩を戻し、問いかけた。遊馬の瞳が揺れる。知りたいけれど、凌牙が隠し立てることを勝手に聞いていいのか迷っているのだろう。
だからWは一歩踏み出し、耳打ちした。
「……アイツの大切な女を奪ってやったんだ。目の前で。ショックで凍りつく凌牙は見物だったぜ」
遊馬がハッと息を呑んだ。色濃い動揺が浮かぶ。
嘘は言っていない。凌牙が大切にしていた妹を事故に遭わせたのだから、彼から奪ったも同然だ。
だが、遊馬には違った意味に聞こえただろう。『大切な女』というフレーズから連想するのは、いもしない前の恋人の姿だ。その勘違いを訂正してやる気はなかった。むしろ、積極的に活用するつもりだった。
Wは口元の笑みを深くして、呆然と立ちすくむ遊馬の頤に手を掛けた。流れるような所作で仰向けた顔に唇を近づける。
だが一瞬早く我に返った遊馬がWの手を払い落とし、一歩下がった。
「なっ……何をしようとしてるんだよ!?」
「キスですが」
「そ、そういうのは決まった相手としかしちゃいけないんだぜ……!?」
「恋人はいませんから」
「俺にはいるんだよ!だから駄目だ!」
「はは……力いっぱい拒絶されると傷つきますねえ。僕は本気なのに」
凌牙に嫌がらせをするなら、デートを邪魔するだけなんて生温かったかもしれない。遊馬を口説くのはついでだったが、本気で落としにかかってやろう。妹の時とは手法が違うが、再びご執心の女を奪い取ってやる。さすれば絶望に染まった凌牙の表情をもう一度見ることができる。それは素敵な発想だった。
じりじり後退する遊馬を壁際まで追い詰め、両手で囲った。壁についた腕をくぐって逃げようとしたが、脚で妨害してやる。近すぎる距離に怯んだ遊馬が、焦った面持ちで首を横に振った。
「だ、駄目だってば……!大声出すぞ!?」
「それは困りますね。口を塞いでやりましょうか」
「ちょっ、ギブギブギブ!ストップぅぅぅ!!」
顔を近づける真似をすると、大げさに拒否された。腕を突っ張り、Wの胸を押し返しそうとする。けれどしょせん、4つも年下の少女の力だ。押さえ込むのは容易かった。
身動きできないよう力を強くする。身体と身体が触れ合う近さに耐えかね、遊馬は目をそらした。伏し目がちに俯く彼女の姿からは、普段ない色香を感じた。男勝りな少女でも、やはり女なのだ。Wは少し意外に思った。
(凌牙の前ではこういう顔を見せてるのか)
これは男心が刺激される。普段、まったく女を感じさせない少女にこんな表情をされたら、その気がなくとも襲いたくなる。
なるほど、凌牙はコレにやられたのかもしれない。
あの男がどうして性格も真逆な騒がしいガキを彼女にしているのか不思議だったが、今なら気持ちを理解できた。
迫るW遊馬との間で、しばし揉み合いになった。抵抗する遊馬を押さえ込むため、腰に手を回す。気付いた遊馬が身体を捩って逃げた。
その時、弾みで腕が遊馬のエクストラデッキにぶつかった。開閉部に当たってしまったらしく、蓋が開いて中身がケースから弾き飛んだ。
「あっ……!」
悲鳴同然の大声が上がった。路面は雨露に濡れているのだ。そこに数枚のカードが落ちていく。
「………っ」
反射的にWは手を伸ばした。遊馬を放り出し、急ぎカードを拾い上げる。それを自分の服の袖に押し付け、水分を拭い取った。
「W!いいよ、服が汚れる!」
慌てて遊馬が腕を引っ張ったが構うことなく、他にも濡れた箇所がないかカードを裏返して確かめた。
「たぶんセーフだと思いますが……遊馬さんも確認して下さい」
「ああ。…………よかった、大丈夫そうだ」
安堵の吐息が落ちた。遊馬の眦には涙が滲んでいる。本当にカードを大切にしているのだろう。
「アストラルが皇の鍵の中にいる時で助かったぜ……あいつがいたらナンバーズまで濡れてたかも……」
「え?」
「いや、何でもない」
何事か呟きつつ、遊馬は1枚1枚確認してから、慎重な手つきでエクストラデッキに戻した。
「ったくー……Wが変なことするからだぜ」
「すみません……」
今のは意図して起こしたものでなかった。一応悪いとは思っている。腕を組んで口を尖らせていた遊馬は、謝罪するWを前にして、怒らせた肩を下ろした。
「拾ってくれたからいいけどさ。……サンキュ。やっぱりデュエリストはみんな仲間だな!」
「仲間?」
大げさな表現に小首を傾げる。遊馬は意気込んで頷いた。
「だってWは、俺のカードを拾ってくれたじゃないか」
「僕が落としたんだから当たり前でしょう」
「濡れたの拭ってくれたじゃん。カードはデュエリストの魂だからな。真っ先に守ろうとしてくれて、嬉しかったぜ」
眩いばかりの笑顔を向けられて、Wは少し気圧された。
「それに、カードが汚れてないか1枚1枚見てくれたし」
「……デュエリストなら当然のことです」
「だよな!」
馬鹿じゃないか、とWは心の中で嘲笑した。Wはただカードを拾ったのではない。ナンバーズカードがないか確認したのだ。Wの腹のうちを知らずに、好意的に捉えて笑顔を向ける姿は能天気な馬鹿に見えた。しかもその相手が、いつもWに鋭い眼光を飛ばしてくる凌牙の彼女なのだから笑える。
「少しは僕に靡く気になってくれました?」
ここぞとばかりに距離を詰めると、遊馬はたじろいで一歩下がった。
「だ、だから冗談はやめろってば……」
「冗談じゃありませんって」
「嘘つくなよ。お前が興味あるのは俺じゃなくて、シャークだろ」
迷いなく断言されて、Wは少し驚いた。『凌牙の彼女』だから口説かれているのだと、とっくに承知していたらしい。
一方で、釈然としない心地になった。今回は割と本気で遊馬に興味を持ち、迫っていたのだが、それすらもこれまでの延長線上としてしか捉えていないのは不満だった。
「こういう悪ふざけはよしてくれよ。ちょっとやりすぎだぜ。シャークと友達になりたいなら協力するのに……その、昔……いろいろあったみたいだけど……でも、デュエルが好きなのは一緒だよな!会うなり喧嘩するより仲良くしてほしいって思うよ」
「……デュエルが、好き?」
「ああ。そうだろ?」
でなければ真っ先にカードの心配なんかしない。その言葉に、胸を衝かれる思いがした。
Wにとってデュエルは道具だ。自らの嗜虐心を満たしてくれる便利なツールでしかない。デュエルの最中に気分が高揚するのも、対戦相手を痛めつけられる興奮に駆られてのことだと思っていた。
(デュエルが、好き……だと……?)
自室に戻ったWは、ソファに腰掛けて対面の壁を見据えた。ファンのデータをまとめた書類が、ナンバーズカードによって縫いとめられている。濡れた路面に散乱したカードと重なって見えて、Wは瞼を押さえた。
拾ったカードを確認したのはナンバーズの有無を調べるためだったが、その前の行動はどうだ。落ちたカードに手を伸ばしたのは、無意識だった。反射運動と言っていい。カードを庇おうとして勝手に体が動いた。
デュエルをただの道具と思っているなら、そんな行動に出るわけがない。相手を甚振りたいのなら、自分のデッキさえあればいいのだ。遊馬のカードがどうなろうとWの知ったことでない。
いい人の皮を被らなければならなかった事情があるとはいえ、無意識に手が出ていた自分にWは驚いていた。
(デュエルが、好き……)
「――難しい顔をして、どうかしたんですか?」
声がかかって、初めてVが入室してきたことに気付いたWは、思考の波から浮上して弟を見やった。
「……ノックくらいしろ」
「しましたよ。返事がなかったので寝ているのかと思ったんです」
ケーキと紅茶を運んできたVは、壁に視線をやって眉を寄せた。
「またあんな使い方をして……。カードが痛みますよ」
「うるさい。俺に口出しをするな」
「W兄様はいつもそうなんだから……」
肩をすくめてアフタヌーンティーの用意をし始めたVに構わず、Wは立ち上がった。書類のある壁際まで行くと、画鋲代わりのカードを引き抜いて回収する。
Vがぽかんと口を開けた。
「どうしたんですか……?僕の言うことを聞くなんて珍しい……」
「お前の忠告を聞いたんじゃねえ。ちょうど俺も片付けようと思ってたんだよ」
手中にあるカードに目を落とし、傷がついていないか指でなぞって確認する。トロンの命令で集めたナンバーズだ。Wのデッキとは相性の悪く、エクストラデッキにも入れられない無用の長物である。使い道と言ったら画鋲の代替品にするぐらいで、それに疑問など抱いたこともなかった。
――デュエリストはみんな仲間だよな!
太陽のような明るい少女の笑顔が脳裏をよぎる。
人間なんて人それぞれだが、デュエルが好きという根源だけは同じだと信じて疑わない顔だった。そのせいだろうか。何となく、不要なカードでも手入れをしてやろうという気分になった。
「………」
遊馬に惹かれた凌牙の気持ちが、ぼんやりとだが、分かった気がした。
あの少女は馬鹿だが、馬鹿だからこそ物事を至極単純に捉える。嗜虐心に埋もれて見失った感情も、彼女の言葉ひとつで、実は汚されぬまま変わらず胸の底にあり続けていたのだと気付かされる。
Wですらそうなのだから、非行に走り、自らの心を深くて暗いところに沈ませていた凌牙なら、なおのこと鮮烈に感じただろう。
(だが……違う。俺は凌牙とは違う。遊馬に恋なんてしていない)
遊馬にちょっかいをかけるのは、凌牙を弄って遊ぶためだ。それ以外の意図なんてない。
Wはいつだって他人を操る側にいた。誰かに振り回される自分なんて認められない。心を揺さぶられること自体が甚だしく不本意だった。



「こんにちは、凌牙。遊馬さん。また会いましたね」
デートの最中の二人を見つけ、笑顔で声をかけた。鬼の形相になった凌牙に睨まれる。
「邪魔しに来たの間違いだろうが……!毎度毎度ふざけんな!」
「おお、怖い。そんな顔をしていたら遊馬さんに嫌われますよ」
「余計なお世話だ!」
臨戦態勢を取る凌牙は、Wから隠すように遊馬との間に立った。その背後が気にかかって、ちらりと視線を動かす。凌牙の肩越しに大きな紅い双眸が覗いて、目が合った。前回のことで仲間意識を抱いたのか、気安い笑顔を向けられる。Wの鼓動がにわかに波打った。
(違う!あいつはどうでもいいんだよ!)
Wの標的は凌牙だ。遊馬から視線を引き剥がし、険しい表情をした少年へ移した。
そして気付いた。凌牙の纏う怒りの色は、普段の比ではなかった。
「テメエの顔なんざ見たくもねえが……ちょうどよかったぜ。一発ぶん殴りたいと思っていたところだ」
「穏やかじゃありませんねえ。僕が何をしたって言うんです?」
「遊馬にあることねえこと吹き込んだだろ!誰が恋敵だ!お前と女を取り合った記憶はねえよ!」
胸倉を掴まれ、凄まれた。けれど身長差から凌牙のほうが見上げる形であり、さほどの息苦しさは感じない。
一瞬、何のことか分からなかったが、凌牙の背後で揺れる紅い前髪を見て思い出した。妹の件で、遊馬の誤解を解かないままにしていたのだ。
「フン……本当のことを話してよかったのかよ?知られたくねえんだろ」
凌牙にだけ聞こえるよう小声で囁くと、眉の間の皺が深くなった。
「金輪際、遊馬に近づくな……!あいつに何かあったら、この首をへし折ってやる!」
近距離にある瞳の中に、怨念の炎が燃え上がるのが見えた。ぞくぞくした快感がWの背中を走る。
(そうだ、その目だ!その顔だ!)
Wが欲しているのは無垢な心ではなく、どす黒い感情だ。凌牙を煽り、激しく動揺させることに言い知れない愉悦を覚える。嫌がらせのために遊馬に接近する手段は間違っていなかったのだと確信した。
「――駄目だって、シャーク!」
突如、視界に遊馬が飛び込んできた。凌牙の腕を握ると、胸倉を掴む手を放させた。
その時にふわりと遊馬の匂いが香り、あの日感じた遊馬の感触が脳裏に甦った。そんな自分に動揺した。
「恋敵っていうのは俺の勘違いなんだろ?なら二人が争う必要なんてないじゃないか!」
「遊馬……!」
本来の事情を話すわけにもいかない凌牙は、答えあぐねて口を閉ざした。
Wも襟元を正しながら、そっと左胸の上を押さえた。急に鼓動が早くなった。これはどういうことだ。凌牙の歪んだ表情に満ち足りていたのに、奥底から湧き上ってきた熱い何かが胸の中を埋め尽くしていく。
「Wだってそう思うだろ!?」
「えっ」
振り返った遊馬の眼差しを真正面から受けて、肩が揺れた。深紅の瞳に魅入られたように視線がそらせない。
「……W……おまえ……」
凌牙の震える声を聞いて、我に返った。信じられない、と顔に書いて絶句している。気持ちを見透かされた気分になって、カッと耳が熱を持った。
「ち、違う!勘違いするな。俺はお前とは違うんだ!!」
だがその叫びも、衝撃に打ち震えている凌牙には届かなかった。遊馬だけが疑問符を浮かべて交互に二人を見やっている。
「なに?どうしたんだ?」
その声に我を取り戻した凌牙は、目を鋭く尖らせた。不穏なオーラが全身から立ち上る。明らかに殺気だった。
「恋敵……ってそういうことかよ。冗談じゃねえ……!」
「違うって言ってんだろ!」
急ぎ否定する。自分でもなぜこんなに焦っているのか分からなかった。強く否定しなければ、胸中を渦巻く波に呑み込まれてしまいそうだ。
「絶対認めねえ……!恋敵なんて思わねえからな。遊馬は俺のものだ!テメェの割り込む余地はねえよ。テメェのはただの横恋慕だ。俺とは立ってる位置が違うんだよ!」
「ッ」
鋭く抉られたような痛みが走った。返す言葉の見つからないWに踵を返し、凌牙は遊馬の手を引いた。
「行くぜ。胸くそ悪いっ……」
「え、あ、う……うん……」
事態を把握できていない遊馬は、気遣わしげにWを振り返ったが、凌牙に強く促されて背を向けた。
その背中を引き止めたい衝動に駆られて、Wは愕然とした。
「……冗談じゃねえのはこっちだぜ……!」
ここまでくれば、胸を焦がす感情の名前に見当はつく。
だがWは、必死に目をそらし続けた。気付きたくなかった。他人を突き落としてきたWが、幼さの抜けない少女に落ちているなど、絶対に認められなかった。



back

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -