ひと夏の共犯者


恋人は作らずに、寂しくなったときに男に抱かれ、たまに女に叩かれ、そんな日々を過ごしていたわたしの日常ががらりと変わったのは、高校三年の夏だった。インターン中心になったことで学校への登校日数が減り、それも各事務所によって期間や日程がバラバラになったことでいくら寮生活でもクラス全員が揃うことが少なくなった、そんなタイミング。
バチが当たったのだと思った。特定の相手も作らずフラフラしていた罰。呼び出された先に居た複数の男が「お前、誰とでも寝るんだろ。俺らの相手もしてよ」なんて気色悪い笑みを浮かべていたのを見たとき、なんとなくそう感じた。個性、使っていいかな。駄目かな。怒られるかな。正当防衛になるのかな。呼び出されたのは滅多に人が通らない一番奥にある視聴覚室で、放課後なら尚更、誰かが助けてくれるなんてことは期待できない。こういうときに男女の差を嫌ってほど思い知る。いくら鍛えていたって、個性に恵まれていたって、シンプルな力の差では敵わないのだから。制服を剥がれて、髪を引っ張られて、無意味な抵抗を続けるのも億劫で、もうどうでもいいやって諦めかけていた時に相澤先生は来た。たまたまだったのかもしれない。だけどその現状を見て然るべき対応をした先生は、そのあと男子生徒だけじゃなくてわたしにも怒ったのだ。「お前、もうこんな馬鹿みたいなことするのやめろ」と。
人の男を盗ったから、とかじゃなくて、わたしの身を案じて怒ってくれたのは相澤先生が初めてだった。A組のみんなも知ったら怒ってくれるかもしれないし、まあ中には呆れる人もいるかもしれない。だけどクラスメイトにはバレないように徹底していたから、まさか怒ってくれる人が居るなんて思わなかった。
安心したからか、嬉しかったからか、悲しかったからか、怖かったからか。理由なんて分からないけれど、その時わたしは初めて人前で泣いた。ぼろぼろと勝手に溢れてくる涙を、少しかさついた親指の腹で優しく拭ってくれた先生は、そのままわたしの頭を撫でて、ぼさぼさになった髪を梳かしてくれた。
「そんなことしなくたってお前のことを必要とする人はいくらでもいるだろ。身体は大切にしなさい。なにかあってからじゃ遅いんだから」
「じゃあ…せんせいは」
「ん?」
「先生はわたしのこと必要としてくれる?」
高校に入学してすぐに芽生えた感情。気付いたと同時に叶うわけもないと諦めたはずだったそれが、どうしようもなく大きく膨れ上がって、今まで上手に隠していたはずなのに隠しきれなくなってしまった。縋るように先生の服を掴んでも振り払われないのは、“生徒だから”以外の理由が無いことくらい分かっているのに。この手を離されないことが嬉しいと思ってしまっているなんて。
「うん。ちゃんと必要だよ」
その声が優しくて、柔らかくて、また泣いた。それが“生徒だから”じゃなかったらよかったのにって、何回も何回も思った。

爆豪に泣いているところを見られたのはその日のことだ。わたしが泣き止んだあとに詳しく状況の説明などをして、解放されたのは夜だった。そろそろ見回りの先生が来て鍵を閉めにくるだろう。はやく寮に戻らなければいけないと思ってはいても足が進まなかった。いくら全員が揃わなくなったとはいえ夜の寮にはそれなりに人が居る。この時間なら尚更、共有スペースに集まってテレビを見たりインターンのことやヒーローのことについて語っているに違いない。そんなタイミングで帰ればみんなに見つかってしまうし、なによりこんな泣き腫らした顔は誰にも見られたくなかった。
誰も居ない夜の教室で、行儀が悪いとは思いつつも自分の席で体育座りをして心が落ち着くのを待っていると、しばらくして教室のドアが開いた。誰だ。確認しようと顔を上げると爆豪と目が合った。驚いたように爆豪の目が見開かれたのが分かって、思わず顔を逸らす。
「…あ、ごめん。邪魔だった?」
「別に」
いや、邪魔だったってなんだ。爆豪とわたしの席はそれなりに離れているから、別に邪魔になるような場所にはいない。話しかけなきゃ良かったかもしれない。爆豪が自分の席の机の中を漁っているのを横目で確認して、また膝に顔を埋める。平然を装うとしても涙も鼻水も止まらないし、声もなんだか掠れてるし、爆豪にはバレているだろう。ガサガサとプリントを探す音だけが響く教室が気まずくて、なんとなく話題を探す。
「…なにしてんのこんな時間に」
「エンデヴァーんとこに持ってくやつ忘れたから取り来た」
「ふうん」
「お前は。帰んねえの」
「…帰るよ、もうちょっとしたら」
「あっそ」
どうやら探し物は見つかったらしい。プリントをクリアファイルに挟んだ爆豪は「じゃーな」とわたしを置いて教室を出ていった。忘れ物は取りに戻るし、わざわざそれをクリアファイルに挟むし、爆豪は見た目と中身のギャップがいちいち面白くて、ふ、と口元がゆるむ。いや、だって、もしプリントを忘れたのが上鳴だったとしたらそれに気付くのはきっと翌日の朝で「やっべえ!!!」と絶望しきった顔で騒いでいるだろうし、もしここに来たのが切島だったとしたら泣いているわたしを放っておいてはくれないだろう。「なんで泣いてんだ」とか「なにがあった?」とか、わたしの肩を掴んで心配そうな顔で覗き込んでくる切島の姿が容易に想像つく。もちろん善意であることは分かっているしそれが悪いわけではないけれど、今のわたしには、爆豪のまるで何も気にしてない、何もなかった、みたいな対応がちょうどよかったのだ。
ぐう、と空腹を知らせる音が鳴る。こんなことがあってもお腹は減るし眠気は来る。そろそろ帰ろう。お腹を満たそう。お風呂に浸かろう。いっぱい寝よう。そうしてまた明日から笑顔でいられるように頑張ろう。さっきまでは重かった足取りも少しだけ軽くなった気がして、爆豪に心の中で感謝しておいた。

そんな、ひと夏の思い出。相澤先生がわたしのヒーローになった日。爆豪勝己に助けられた日。わたしが寂しさを男で誤魔化すのを辞めた日。 終わりと始まりの日だ。
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