この夜さえ喰らい尽くして


久しぶりに現場が被ったから、仕事終わりに居酒屋に行くことになった。「今日一杯どっすか」なんて親父みたいなこと言うから少し笑えた。洒落てるバーでもなければ個室の良い店でもない、よくある安い大衆居酒屋。世間は華の金曜日らしく、もう割と遅い時間だというのに酔っ払ったサラリーマンたちが騒いでいる。全品ワンコインで頼めるから腹を満たすにはちょうどいいし、静かな場所よりも楽なので好んで来る。こんなところにプロヒーローがいるなんて思ってもないのか、興味が無いのか、周りは誰も俺たちに気付く様子はなかった。話題は元クラスメイトがどうだとか個性がどうだとか最近有名な敵の話ばかりで、男女だというのに浮ついた空気も色気もない。それが良かった。結局俺たちはどこまでもヒーローであり、ヒーローが好きなのだ。だからこの女にはそれなりに気を許していた。
三時間も経てばそれなりに酒が回って気分も良い。これ以上飲むとこのあとに支障が出るなと踏んで、俺は水に切り替えることにした。女は変わらず何杯目かのビールを飲んでいて、肌が赤みを帯びている。酒が残りやすいらしくよく二日酔いに苦しむ姿を見ているので(自分のキャパを把握してないのが悪いけど)、水に切り替えないのかと聞けば、明日はオフだからいいの、と笑う。クソ、仕事なのは俺だけかよ。
「今日行ってもいい?出来れば泊まりたいんだけど」
「おー。元からそのつもりだったわ」
「…あ。だから水に変えたんだ」
「うっせ」
楽しそうに笑う女をあしらって会計を済ませる。女はフラフラと覚束無い足取りで、まだかなり酔っているようだった。いつもに増してヘラヘラと顔を綻ばせている。なにがそんなに楽しいんだか、と俺は軽く溜息を吐いた。転ぶとだるいから。目の前をチョロチョロされてうざいから。頭の中で誰に聞かれるでもない言い訳を考えながら「掴んどけ」と自分の腕を差し出せば、「失礼しまぁす」と腕をぴったりと絡ませた。男とは違う柔らかい感触がする。靡く長い髪からはいつものシャンプーのいい匂いがする。そういや、この前明らかに狙ってきた女が巻きついてきた時はウザったくてすぐに引き離したっけ。香水もキツかったしなにより邪魔で仕方がなかった。同じようにくっついてる筈なのに、この女だと嫌悪感なんてものは少しも湧いてこないのは、俺が気を許した少ない相手であり、よく知った相手だからなんだろう。むしろ腰に腕を回して、「もっとくっついとけ」なんて、意味のわからないことを口走っていた。再び向けられた笑顔につられたのか自分の口元がゆるんでいることに気付き、俺もまだ結構酒が残ってそうだな、なんてまた言い訳をする。
「あ、ごめん薬局行ってもいい?」
「なんか買うんか」
「泊まるつもり無かったから色々持ってきてなくて」
「この前もそれで買ってたよな」
「まあ急に決まる時は仕方ないよね」
「置いとけばいんじゃねえの。したら毎回買わなくて済むだろ」
「いやぁ、だめでしょ」
彼女じゃないんだから。当たり前のように言われて、確かにそうだな、と納得した。普通に考えれば分かることだった。なんで置いとけばいいなんて提案をしたんだ俺は。「他の女の子が妬いちゃうかもしれないし」続けられた言葉に、別に俺の家にお前以外の奴はこないけど、とは思ったけど、面倒臭いからいちいち訂正はしなかった。



目が覚めてぶるりと身体が震えた。事を終えて、そのまま裸で寝てしまったようだ。布団を手繰り寄せようとした時に腕の中に女がいることに気付いて、なんとなくその長い髪に顔を埋めてみる。仕事柄長い髪は邪魔になることが多いらしいが、髪には随分と気を使っているらしく、いつもさらさらとして手触りがいい。一度抱いている最中に髪を引っ張ってしまったことがあって、その時に「髪は女の命なので丁重に扱ってください」とかなりキレられたので、雑に扱わないように気をつけている。何度か指を通していると、長いまつ毛が震えて、ゆっくり目が開いた。
「わり、起こしたか」
「…んーん。おはよう」
「はよ、」
まだ寝ぼけているのかふにゃふにゃとした顔で笑う女を見て、また違う顔だ、と思う。気の抜けた柔らかい顔。抱きかかえてもう一眠りしたいところではあるけれど、俺は今日も仕事だ。「まだ寝てていい」頷いたのを確認したあとにベッドから抜け出して、準備に取り掛かることにした。
米、焼き魚、だし巻き玉子、味噌汁。軽めの朝飯を二人分作り、おそらく二度寝しているだろう女の分はラップをかけておいた。【起きたら食え。帰るときはポストに鍵。】レシートの裏に書いて目に見えるところに置いておく。泊まりに来るときのルーティンだ。そういえば初めて泊まりに来たときに「普通セフレにそこまでする?」と驚かれたっけ。誰と比べてんだよ、とは思ったけど、別にこんくらいは苦でもなかったし、自分の分だけ作るのもなんか違う気がしただけで、特に深い意味はない。思ったよりも時間がなくて、食器は帰ってから洗えばいいか、とシンクに移動させて、歯を磨く。今日はオフって言ってたし、夜は結構無理をさせた記憶があるからわざわざ起こす必要もないだろう。なるべく音を立てないように準備を終わらせて、上着を羽織ってキャップを被ったところで、リビングのドアが開いて女が顔を出した。
「いいにおい」
「腹減ったら食っとけ」
「いつもありがと」
「ん。もう出るけどお前は適当に寛いでろ」
「はぁい」
寝間着用に貸している俺のTシャツは女にとってはかなりデカくて、いつも下に履くものはいらないというせいで、結構、いやかなり視覚的にクるものがある。化粧を落とした幼くも見える顔で、俺の服を着て、白い脚をさらけ出して、「行ってらっしゃい、気をつけてね」と玄関まで見送りにくる女の唇に噛み付くように口付ける。
「…ハ、気をつけてなんて誰に向かって言ってんだよ」
「ふふ、そうだった、ダイナマイト様でした」
「そォだよ。余裕だわ」
普通セフレにそこまでする?ってやつは、そのままそっくり返してやりたい。こんな、まるで新婚みたいな、恋人のような、小っ恥ずかしいやり取りが悪くないと思ってしまうあたり、俺はどうかしているのかもしれない。「帰ってくるまで居てもいいからな」と囁いてしまったのは、きっと酒が抜けきってないせいだ。
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