君だけがいない日曜日


二十歳になった日、初めて酒を飲んだ。誕生日が早いせいで周りはまだ誰も飲めないから、缶ビールをコンビニで買った。種類が多くてどれが良いのかも分からなくて適当に何本か。別に美味いとも不味いとも思わなくて、飲んだ感想は「こんなもんなんだな」くらいだった。いつか大人になったら、飲み会のサラリーマンのように、これを美味いと感じる日が来るのかもな、なんて。
周りも誕生日を迎えて外で飲む日も増えた頃には自分のアルコールのキャパを何となく分かってきて、記憶を無くすとか、酔い潰れるとか、よくあるであろう酒の失敗はしてこなかった。周りで一番誕生日が近い上鳴とはよく飲みに行った。あいつは「酒に酔いてぇ日もあんの」とかなんとか言って、しょっちゅう俺に迷惑を掛けてきたけれど。
全員が成人したあとの同窓会だって、別にそこまで酔ってなかった、つもりだった。歩行も問題ない。気持ち悪くもない。呂律も回る。意識もしっかりしている。まァそろそろペース落とすかな、と思っていた頃だった。ババァからの特に急用でもない電話を切って個室に戻ろうとしたとき、ちょうど出てきたみょうじとぶつかった。席が離れていたから気付かなかったけど、こいつ、結構酒回ってる。ふらついているのが分かって咄嗟に腕を引いたら、思っていたよりも強かったのかそのまま俺の体にくっついた。ふわりと香った甘い匂いのせいで一瞬反応が遅れてしまい、引き離すのに時間がかかってしまったのを覚えている。俺のせいじゃない。煙草とか、焼き鳥とか、居酒屋の色んな匂いを二時間近く嗅いでいたからか、よりみょうじの匂いが鼻に残る。甘すぎなくて悪くない匂いだと思った。そんな酔っている状態でひとりで外の空気を吸いに行くなんて馬鹿なことを言ったから、着いていくことにしたわけだけど。だっていくらプロヒーローだとはいえ単純な男の力には勝てないだろうし、残念ながら酔った女に集るクソみたいな男は腐るほど居る。あわよくば、を狙っているのだろう。身近でそういう被害があるのは避けたい。ベンチに並んで座った時に思ったよりも近かったことに気付いたけれど、わざわざ座り直すのも面倒だと思った。みょうじも何も言わないし、近い方が男避けにもなるだろう。
ふとした好奇心のようなものだった。アルコールのせいで火照った頬も、まんまるの瞳が俺だけを映しているのも、薄まったリップも、長い睫毛が瞬くのも、悪くないと思った。もっと近付いたらこいつはどんな顔をするんだろうとか、俺を呼ぶその口を塞いだらどんな反応をするだろうとか、そういう少しの興味。
「なあ。避けねえの」
試しに体を寄せてみても、嫌がる素振りは無かった。吸い込まれるみたいにどんどん距離が縮まって、気付いたときには考えていたことが現実になっていた。嫌がるならすぐ辞めてやれるのに、こいつが簡単に受け入れてくるのが悪い。誰に聞かれるでもない言い訳をして、人のせいにして、後頭部を押さえて逃げ道を無くす。抑えが効かなくて、受け入れるみたいに首に腕を回されたら理性なんてもうどっかにいって、夢中で口内を犯した。
「…オイ、抜けんぞ」
「う、ん」
酔いなんてどっかにいった。いや、もしかしたらさっきよりも酔いが回っていたのかもしれない。頷いたのを確認して手首を掴んで店に戻り、二人分の鞄を拾う。周りの驚いたような視線を無視し、幹事である飯田に「こいつ酔ってっから送ってくる」と二人分の金を渡した。そのまま適当に近くのホテルに入り、初めてみょうじを抱いた。女の体は柔らかくて、甘くて、何度も果てた。女にも恋愛にも興味がなかったし、生理現象を自ら慰める頻度だってそんなに多くなかったから、自分の性欲なんて大したことないと思っていたのに覆されてしまった。
朝起きて隣でみょうじが寝ているのを見たとき、あれが現実であったことを再確認して、ああやっちまったなと少しだけ後悔した。よりにもよって同じ職業の元クラスメイト。だけど後悔よりも“もっと”が勝ってしまった。お互いセフレになろうと言った訳ではなかったけれど、結局一ヶ月もしないうちにまた抱いた。
もしあの日、個室の前でぶつかったのが別の女だったら、俺は外に着いて行っただろうか。仮に着いて行ったとしても、ベンチに並んで座っただろうか。この頃の俺はまだみょうじに特別な感情なんて抱いていなかったはずなのに、多分他の女だったら同じことはしてないな、と思った。誰でもいいわけじゃなくて、みょうじだからそういう気持ちになったんだ。もしかしたら、この時から少しずつ、始まっていたのかもしれない。



【破局か!?大人気プロヒーローカップル、まさかの同棲解消】

手渡された週刊誌に舌を打つ。タイトルの下、大きく載っているこの写真は、二人で話し合いをしたあと、みょうじが荷物を持って家を出たときのものだ。やっぱりこうなったか。概ね予想通りの展開だった。
引き止められなかった。嫌な予感がしたんだ。自分の家に帰ろうかなと言ったとき、引き止めないといけないような気がした。家に帰る理由を全部否定してやれば、残ってくれるかもしれないなんて馬鹿みたいなことを考えたけど駄目だった。
気持ちが通じ合っていると分かることがこれだけ嬉しいだなんて知らなかった。好きだと言われたとき、がらにもなく舞い上がりそうになって、そのあとすぐに絶望した。“別れた時のことを考えちゃって辛い”も“終わりが来るのが怖い”も、否定出来なかった。それは別々に生きるという別れかもしれないし、生死を伴う別れかもしれなくて、それを恐怖に感じるのは俺も同じだった。なにを言ったらいいのか分からなくなってしまった。せめて俺も同じ気持ちであると伝えたかったのだけど、それも逆効果だったのかもしれない。
「…で、これマジなん?」
「半分くらいは」
「連絡は?」
「取ってねえし来てもねえよ」
「まあみょうじも頑固なとこあるしお前ら元々まめに連絡取るタイプじゃねえもんな」
追加の注文をしようとタッチパネルを眺める上鳴に「ビール」と頼む。はいよ、と慣れた手つきで操作するのを横目に、思わずため息を零した。二十歳の頃とは違って今はそれを美味いと思う。仕事終わり、風呂上がり、汗をかいたあとは特に。あの時思い描いていた大人に俺はなれているのだろうか。まだまだ足りないような気もする。
業務を終えた時間にたまたま事務所に来た上鳴に飯の誘いを受けて訪れることになった居酒屋。そういえば、熱愛報道が出たと教えてきたのも上鳴だった。そういう情報に敏感なのか、俺が知らないだけなのかは分からないけれど。
どうやらみょうじがいつも居酒屋で頼むメニューが目についたり、美味いものがあると教えてやろうと思う癖がついてしまったらしい。自分だったら絶対に頼まないはずの厚焼き玉子が目の前に置かれて漸く気付く。二人になってからいつの間にか増えたソファのクッションとか、色違いのマグとか、カレンダーとか。そういうのは残して自分の荷物だけ持っていきやがったせいで、まだ部屋にはみょうじの面影がある。あのクッションを抱いて座ってたとか、あのマグでカフェオレを飲んでいたとか、カレンダーにお互いの休日や出勤時間を書くように提案したのもあいつだったなとか。家に居るとそういうもんで押し潰されそうになるのに、外に居てもこうなるのか。
「終わったわけじゃねえけど、あんな感じになったあとでなんて連絡すりゃいいのかも分かんねえわ」
「終わってないならまた普通に飯誘ったりすればいいんじゃねえの?」
「…断られたらマジで終わるだろーが」
「爆豪そういうの意外とチキるタイプなのね」
「嫌われたくねえって思うのは普通だろ」
「おう。普通だな」
そう。普通のことなのだ。人を好きになることも、嫌われたくないと思うことも、離れたくないと思うことも。それでも一緒に居るためにはどうしたらいいのだろうか。どうしたらみょうじに伝えることができるだろうか。自分の中に離れるなんて選択肢は少しも残っていないのに、あと一歩が踏み出せない。
しばらく考えていると、上鳴が俺の頭を撫でつけたのが分かった。辞めろや。腕を振り払うと、大して気にしていなさそうなにやついた顔をしながら「まさか爆豪と恋バナする日が来るなんてなぁ」なんて気色悪いことを言ったもんだから、俺はまた大きく舌を打った。
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