ハッピーエンドには至らない


手渡されたのはわたし好みの甘いカフェオレ。爆豪の手にはブラックコーヒー。いつのまにか揃っていた色違いのマグに、色違いのコーヒー。角砂糖の数も、入れる牛乳の量も、爆豪はいつからか覚えてくれた。
一人暮らしにしては大きすぎるソファに並んで座る。そんなこと今までだって何度もあったはずなのに、いつから体がくっつくほど近くに座るようになったんだっけ、と思い返してみても、よく分からなかった。いつのまにか。知らないうちに。少しずつ。きっとそんな感じ。爆豪に抱く感情もそうやって少しずつ育まれてきたのだろう。
爆豪はもう一度わたしの名前を呼んだ。普段はオイとかお前とか若しくは苗字で呼ぶくせに、なんでこういう時に名前で呼んでくるんだろう。その声はいつもに増して穏やかで、やっぱり狡い男だな、と思う。
大人になるにつれて本音で話し合う機会は減っていく。ましてや男女。爆豪がなにを思ってなにを感じているのかを知りたい気持ちと、わたしの気持ちが爆豪にバレてしまうという恐怖。なにから話せばいのか、どこまで話せばいいのか、切り出し方に迷う。部屋は掛け時計の秒針の進む音だけが鳴っていて、それがやけに大きく聞こえた。こんなにこの部屋が静まり返っているのは初めてかもしれない。いや、もちろん爆豪は元々饒舌なタイプではないし、一緒に居てもそれぞれ携帯を見ていたりする時間だってあったから、沈黙は初めてではないのだけど。避けてきた話し合いに気が重いからか、空気すらもどんよりと沈んでいるような気分だった。
俯いたまま膝に乗せた手をぎゅうっと握り締めていると、爆豪はわたしの手に自分の手を重ね、ゆっくり解いていく。個性の影響なのか、少し硬くて厚い大きな手のひら。この手でたくさんの人を守ってきた。これからもそうだ。わたしもたくさん爆豪に守られてきた。
「まず先にひとつ訂正させろ。今日一緒に居たのは事務の女でマジでなにもない」
「一緒にケーキ買ってたのは」
「ああ、あん時近くいたんか」
「あの人が悩んでたの二つ買ってた」
「それは」
「…あの人爆豪が前に言ってたアピールうざいっていう事務の子じゃないの?好かれたくないならなんで好かれるようなことするの?本当は悪い気しないんじゃないの」
爆豪の言葉を遮って、責めるように捲し立てて、ハッとする。いくら本音で話そうと決めたとはいえ、こんな黒く澱んでいるような醜い感情まで伝えるつもりはなかった。なによりも先にそれを話してどうする。突然こんなことを言われて気持ち悪がっていないだろうか。後悔しながら恐る恐る爆豪の顔を見上げると、想像していた表情とはむしろ真逆のように見えて固まる。口角を上げて勝気に笑う姿はまるで敵と対峙しているときのようだと思った。
「お前嫉妬したんか」
「…違うし。なんで笑ってんの」
「笑ってねえよ」
「笑ってんじゃん」
ハハ、と声を出して笑った爆豪はわたしの頭をぐちゃぐちゃに乱した。やっぱり笑ってんじゃん。しかも、声出すくらい。「ちょっとやめてよ」抵抗しようとした手も爆豪に捕まって、そのまま抱き締めるみたいに爆豪の身体に包まれた。
「あん時は遠征の帰りだからサイドキックも居たし二人で居たわけじゃねえよ。荷物預けてたから列には並んでなかっただけ。んで俺らが居ない間バタバタしてたっつーから礼も兼ねてなんか奢るっつったらあそこ行きてえって」
「そ、うなんだ」
「ケチる意味もねえし悩んでの両方買っただけ。二つともあいつの」
「……」
「誤解は解けたかよ?なまえちゃん」
いくらか機嫌が良さそうに見える爆豪は、わたしが小さく頷くとまた楽しそうな顔をして笑った。
「なあ、俺が女と居るのを見て嫉妬したんだろ」
「違うってば」
「じゃあなんでそんなこと聞いたんだよ」
「…仮にそうだとしたら気持ち悪くないの?」
「あ?なんでそうなんだよ。むしろ喜んでっけど」
さっきから何度も頭の中で再生されていたケーキ屋での出来事。事実を知れただけで、モヤモヤが晴れていく感覚があった。嫉妬、を否定するのは無意味かもしれない。きっと爆豪には全部バレている。
こんな醜い感情を向けられているのに、爆豪はどうして嬉しそうにするんだろう。背中をぽんぽんと慰めるみたいに叩かれて、まるで泣いている子供をあやす親のようだと思った。爆豪は家族想いのいいお父さんになるだろうな。子供と休日遊んだり、纏まった休みをとるために仕事を頑張ったり、その休みで家族旅行に連れて行ったり。泣いてしまった自分の子にも、こうして慰めるのかもしれない。まあ今のわたしは泣いているわけでも落ち込んでいるわけでもないからこそ、現状戸惑っているわけなのだけど。
「なんで喜ぶの」
「なんでだと思う?」
「分からないから聞いてるの」
「それが俺にデメリットがない理由なんだよ」
このまま一緒に住むメリットがないでしょと告げたとき、爆豪はそれはお前が決めることじゃないだろと否定していた。
「でももう一緒には住めないってだけで、ビジネスカップルを辞めるわけじゃないよ。それでもデメリットがないって言えるの?」
「ああ。ねえよそんなもん。つか同棲報道のあと出てったら別れた報道されるオチだろ」
「でもモブの言うことなんてどうでもいいってタイプでしょう、爆豪は」
「…あー、まァそうだな、言い訳したわ。本当はマスコミなんてどうでもよくて、ただお前と離れたくねえだけ。逆になんでお前はそんなに俺と離れたがんだよ」
身体が離れて正面で向き合うと、爆豪は真剣な顔をしてわたしを見ていた。こんな時に嘘をつく人ではないことは知っている。全部本心なのだろう。だからこそ、離れたくないと言ってくれた理由がわたしの考えているそれと同じなのであれば。
「わたし、爆豪のこと好きだよ。で、たぶんこのままだともっと好きになると思う」
「…それで、なにがデメリットなんだよ」
「爆豪と居ると幸せだしずっと一緒に居たいって思うのに、ふとした時に別れた時のこと考えちゃって辛い。爆豪は大切にしてくれるってもうとっくに分かってるけど、それでも終わりが来るのは怖いの。だったらこの気持ちをなかったことにして、ただのセフレだった頃に戻りたい」
終わりが来ない保証なんて出来ない。証明する方法はないし、口約束が信じられないことはもうずっと前から知っている。高校一年の夏、初めての彼氏に裏切られたその日から、他人に期待することも信じることも出来なくなっている。そんな不安定な状態で恋人になったとしても、きっと今みたいに不安はずっと付き纏ってくるだろう。たぶん、それはすぐ切れてしまいそうな細い糸のように繊細で脆い。
「それは、俺がお前のこと好きだって言っても変わんねえのか」
元彼に「お前は俺が居なくても大丈夫でしょ?」と言われたときのことを何度も思い出す。悔しくて、憎くて、悲しくて、だけど居なくても大丈夫だと気付いてしまったあの日のこと。もし、これからもっと爆豪のことが好きになったとして、これからもっと大切な存在になったとして、そのあとで爆豪が居なくなっても大丈夫だなんて言えるだろうか。
「たぶん、無理」
「…そォかよ」
想い合っている事実が嬉しくてたまらないのに、やっぱりそれに応えることができない。臆病でごめん。小さく呟いたそれが爆豪に聞こえたかは分からないけれど。さっきまでわたしの方をしっかり向いていた爆豪が、いま初めて俯いたということだけは分かった。
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