もう遅いでしょうけど


ヒーロー活動を再開してしばらく経った。緊急時以外での敵との交戦はなるべく控えるようにと担当の医者に言われているので、いまはパトロールが中心だ。とはいっても元々頻繁に過激な戦闘があるわけではないので、ほぼ元通りと言えるだろう。平和なのは良いことだ。
爆豪とはあれからすれ違いの生活が続いていた。チームアップを組むことになり暫く地方に滞在すると言って、まだ帰ってきていない。もう二週間ほどになるだろうか。元々連絡を取り合う回数は多くなかったし、それは一緒に住みはじめても増えるわけではなかった。トーク画面をたまに見返したりするけれど、『今日飲み会だから遅くなる』とか『飯大丈夫』とか必要最低限のメッセージのやり取りだけで、最近はニュースで取り上げられる爆豪の姿をテレビ越しに見ているだけだった。いま何してるのかな、とか、怪我してないかな、とか、寂しくてメッセージを送りそうになる夜もあった。その度にどうするべきなのかとどうしたいのかが正反対なことを痛いほどに思い知る。いっそのこと、誰かが全部決めてくれればいいのにと思う。自分で決めて選んだ未来でやっぱりこうしとけばよかったなんて後悔をしたくない。なんて言うけれど、きっと、後悔したときに人のせいにできたら楽なだけだ。
オフの日っていつも外でなにしてたっけ。そこまで昔のことではないのにはずなのによく思い出せない。前から気になっていたカフェに来てみたけれど、一人きりでは美味しいねと話したりケーキを一口ずつ交換したりは出来ない。結局三十分ほどでカフェを出てしまい、そのあとショッピングでもしようと意気込み中心地へ来たものの、ピンとこなくて結局なにひとつ買えていなかった。物欲が無いわけではない。そろそろ好きなブランドの新作の洋服も手に入れたいと思っていたし、新しいアクセサリーも、靴も、欲しいはずなのに。「お前にはそっちのが似合う」とわたし好みのものを選んでくれる爆豪が居ないと、どれが自分に似合うかも分からなくて購入には至らなかった。最近は爆豪のおかげで“買ったけどしっくりこなかった”と後悔することもなかった。こんなところにまで爆豪が居るのか、と苦笑いを零している自分に気付き、キャップを深く被り直す。いつからこんなに二人に慣れてしまったんだろう。これじゃあ一人でなにも出来なくなってしまう。
こうして変装をするのも久しぶりだった。変装といっても顔が隠れる程度の軽いもので、今日のように帽子を被るか、たまにマスクをするくらいだけど。休んでいる間はほとんど家にいたし、爆豪がオフの日は色々な場所へ行ったけど、二人で出かけるときは敢えて変装はしていなかったし。誰もわたしがヒーローだとは思っていない。今日はただの一般人だ。
そういえば、数少ない休みはゆっくりしたいだろうに、爆豪は「いつも家じゃつまんねえだろ」なんて運転までしてくれて、定番のデートスポットにも、有名なレストランにも、日帰りで行ける距離にある観光地にも連れて行ってくれた。「たまには爆豪の行きたいとこにも行こうよ」と言っても大体は「お前の行きたいとこ行けりゃジューブン」とか「それはまた今度な」なんて返されて、結局はわたしの行きたい場所ばかりだった。爆豪はどこに行きたいのだろう。なにが好きなのだろう。一緒に過ごすにつれて知ってることが増えた分、知らないことが多すぎることに気付く。
「爆豪さん、どっちがいいと思います?コレとコレ」
「なんでもいーわ。好きなの選べ」
「えー、」
聞こえてきた声に足が止まる。爆豪と、知らない女の人の後ろ姿が見えた。そこのケーキ屋は美味しいと評判で、わたしも買ったことがある。ここから遠くもないけど近くもない人通りがありザワザワと騒がしいこの場所で、まさか少し離れた爆豪の声に気付けてしまうなんて。
「じゃあこれにします」
「ん。買っとくから列外れとけ」
「ありがとうございます」
帰ってきてたのなら教えてくれても良かったのに。立ち止まったまま二人の様子をぼうっと眺める。背は結構小さそう。短い丈のスカートから惜しげも無く晒される傷一つない細くて長い脚。艶があって触りたくなるような髪。ニコニコしていて可愛い子だった。わたしとはまるで違う。なんとなく、事務の子かなと思った。
なんでもいいとか言ってたくせに、爆豪は女が悩んでいた二つのケーキを買っていた。そういうことをするから好意を抱く女が減らないんだよ、と思う。言葉遣いや態度がいくらか悪かったとしても、ふと見せるその優しさは恋に落ちるには充分なくらいだ。「…爆豪のばーか」小さく呟いてみても、爆豪には届かない。わたしは爆豪の声に気付いたけど、爆豪はわたしの声には気付いてくれない。会計を終えて並んで歩き出した二人を見るのが嫌で、わたしもその場を離れることにした。もう買い物をする気にもなれないし帰ろう。早く帰りたい。「そこはまだわたしの場所なのに」なんて言いたくなってしまった自分が居ることに呆れてしまう。なにを勘違いしているんだわたしは。いまが幸せすぎて忘れてた、なんて馬鹿にも程がある。男が好きなのは結局ああいう守りたくなるような女の子なんだ。高校一年の夏、元恋人に寄り添う女の顔が頭にチラついた。爆豪はいつかちゃんと人を好きになって、わたしのことなんかすぐに忘れる。分かっていたはずなのに、こんなとことでまた苦しくなって涙が出そうになるなんて、本当に。



家に帰り、すぐにダンボールに荷物を詰めることにした。気持ちが変わらぬ前に。この決意が揺るがぬ前に。
セフレのときに爆豪の家になにひとつ残さないようにしてたのは、わたしという他の女の存在を匂わせないためだった。爆豪に抱かれたいと思ってる人は少なくなかったし、色んな人を抱いてるんだろうと思っていたからバレないために。真意は分からないままではあるし、それをしなかったとしても爆豪は上手く潜り抜けそうな気もするけれど。その癖はいまも抜けていなくて、退院してから爆豪の部屋に置き始めたわたしの荷物はそう多くない。大きいものといえば服や靴、コテくらいで、あとはコスメやアクセサリーなどの小さなものだから、たった一箱で詰め終えてしまった。こんなもんなんだな、と思う。一緒に過ごした時間は、ダンボール一箱で入りきってしまう荷物のように少ない。一生のうちのたった数ヶ月なんて、こんなもん。
「…なにしとんだ」
「爆豪」
「そのままでいいっつっただろ」
帰ってきたこと、全然気付かなかった。ドアに背中を預けた爆豪は、腕を組んでわたしを見下ろす。怒られているみたいで萎縮しそうになるけれど、悪いことはしてないはずだと開き直ることにした。ガムテープでダンボールに封をしながら口を開く。
「…おかえり。いつこっち戻ってきたの?」
「ついさっき。事務所寄ってきた」
知ってるよ、ケーキ買ってたもんね。とは言わなかった。言わなかったけど、さっき見た光景がずっと頭から離れない。事務所に寄って、あの人の選んだケーキを二人で食べたのだろうか。一口ずつ交換したのだろうか。わたしは一人で食べたのに。
「わたしやっぱり家に戻ろうと思う」
「…理由は」
「今日みたよ。女の子と二人で居るとこ」
「それで?」
「…ただのセフレに戻りたい」
「なんでそうなんだよ」
なんでって、ちゃんと理由が要るのか。爆豪は優しいからわたしを追い出すことはなくて、だけどわたしが出ていくと言ったらなにも言わずに頷いてくれるのだと思っていた。“なんで”。わたしの気持ちを全部まるごと話したら、爆豪はどう思うのだろう。いっそのこと突き放してくれたらいいのにと思うけれど、爆豪は優しいからそんなことはしないのだろうなと思う。分かってる。わたしも爆豪のその優しさに惹かれてしまったうちのただの一人なのだから。返答に困り俯いたままのわたしと向かい合うようにしてしゃがみこんだ爆豪はわたしの腕を掴んだ。
「なまえ」
「…」
「話そう」
爆豪の手が思ったよりも力強くて、引き止められているような気がした。目を合わせて小さく頷くと、爆豪はホッとした顔をする。なんでそんな顔をするんだろう。やっぱり爆豪のことは全然分からない。逃げるつもりはなかったし、ちゃんと話そうとは思っていたからいい機会なのかもしれない。わたしたちはきっと本音で話すことが少なすぎた。
今なら引き返せるなんてどう考えても嘘だ。自嘲じみた乾いた笑みがこぼれる。本当は、もう引き返せないほどわたしの中は爆豪でいっぱいだった。
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