気が付けば朝になっていた。綺麗に処理のされた体はまるでシーツと一体化したしたようによく馴染み、わたくしの精神を凡そ考えられないほどの深い眠りに誘った。その精神世界をただ彷徨っていただけに過ぎないわたくしは、そうして六時間の遊泳を経て目を覚ました。デジタル時計の示す午前七時の指すところの、驚くほどの潔癖な具合が綺麗にされた体を責め立てる。何しろ不確かななかで生きてきたものだから、こんな時間は久しぶりだった。珍しい休日の朝は同じだけの不確かな歪みをわたくしに与え、この脳みそにすっかり住み込んでしまったようでもある。心地の良いシーツは昨夜の情事をまるで忘れてしまったようにどこまでもパリッとした清潔感を保ち、全てがこの「午前七時」に基づいて存在しているのじゃないかとすら思える。
そこでようやく、先ほどからBGMさながら部屋に響いているシャワーの音に耳を澄ました。不確かな世界で、シャワーが磨き上げられたタイルを打つ音だけが何よりも確かだった。気だるく沈み込んだままの体をむりやりに動かすと、そのまま棒のような足をバスルームへと向けた。驚くほど冷え切った体は中々思い通りに動かせず、苛立ちばかりが募る。なんとか磨りガラスのドアの前までたどり着くころには、わたくしは信じられないくらいの体力を浪費していた。すっかり開け放たれていたカーテンの向こう側から差し込むひかりの所為だ。重々しいため息をついて声をかける。
「おはようございます、クダリ」
「ああ、おはよう兄さん」
普段となんら変わることのないスッと通った声がバスルームで響いている。シャワーを止めると、彼は「どうぞ」と言った。その言葉に対してなんの気持ちも抱かぬままに、「ええ」とだけ返事をするとドアを開ける。もうもうと立ち上る湯気が体を包んでいった。バスタブに溜められた湯に身を浸した弟はやはりいつもの通り、青白い顔をしてそこにいる。あばらが浮いた腹部までしか溜められていないその水量だけがいつもと違ったが、彼自身は至って変わらなかった。その声と同じくらいには通った鼻筋が、自分と同じとは思えないほどの違和感を寄越している。違和感?このタイルのように白い腕がゆっくりと伸びて、そうして再びシャワーの栓を捻った。その緩慢な動作は信じがたいほどの性的魅力に塗れている。
「裸のままにしてしまって、悪かったと思っているよ。けれど、寝ている人間に服を着せるってのは、それはもう大変だし面倒なんだ。分かるだろう?」
「かまいませんよ。綺麗にしてくださって、ありがとうございます」
「きみの体が、冷えてしまっていなければいいんだけれど」と言って白い腕をバスタブの中に沈めた彼は下を向いてしまった。いつまでたっても行為の翌朝の過ごし方の言い訳ばかりをしている弟の存在はとても微笑ましく、身の内に巣食うどろどろとしたものが消え去っていくような気さえした。性格のわるいわたくしは、彼のそういった苦悩する姿に何故か惹かれて止まないのだから、いつかどうにかされてしまうのではないかとも思うけれど、そういって病気のようなこの内心が治るのならばとっくに治っているだろう。温かすぎるほどのシャワーを身に浴びると、少しだけ心地がよかった。あとの大体は複雑だった。髪を洗い、体を洗い終えると、冷えた体はすっかり温まった。空になった胃が気持ち悪い。変わらずもうもうと立ち上る湯気はすっかり彼のシャープな輪郭線をぼんやりとしたものにしてしまう。
「ノボリ、一緒に入るかい」
「そうですね。偶にはいいでしょう」
バスタブの内から伸ばされた腕はわたくしの体をすいと撫で、そのままだらりと力を抜かしてしまった。その様子を眺めながら、同じかたちをした体を彼の向かい側へと沈ませる。その大きな口を存分に歪ませてこちらを眺める弟の姿はなんとも気違い染みていた。輪郭線が滲んでゆく。
「すこし、太ったほうがいいんじゃないの」
「あなたも同じですよ」
「ぼくは良いよ。でも、きみはもう少し太ったほうがいい」
ゆっくりと伸ばされた腕は蛇のようにわたくしの体を目指し、そうして触れるやいなやその長い指を這わせた。どれもこれも同じかたちをした爪はただ触れるだけであるのにクラクラとするほどの興奮を与える。このバスルームだけが異常だった。健全で正常なだけの「午前七時の世界」はどこかにいってしまった。ならばここは一体なんだというのだろう?グルグルと移り変わる世界を想像するとたまらないほど吐き気がする。この大きな口を歪ませ、わたくしの体を撫で続ける人間がクダリであるかどうかも分からなかった。熱いくらいのシャワーと異なり、人肌くらいでしかないバスタブの湯に身震いする。どれだけの時間、こうしていたのだろうか。
「あなたは、クダリなのですか」
「それ以外に見えるかい?」
「いいえ」
「でも、そうだったなら、どれだけ良かっただろう」
不埒に歪んだ口元さえもが輪郭線を失っていった。大のおとなふたりが伸び伸びと居座れるほど広くはないバスタブの中で身を縮こまらせて、不確かな空気の中で溺れかけている様はどうにも滑稽だった。器用に淫猥になぞらえていく指先を見れずにいる。クダリ、と名を呼びかけた口を、長い指が蹂躙していった。逆らえずにそのままになっているこの姿を客観視したくなくて目を閉じた。奥深くまで挿入する指は恐ろしいほどの邪な思いに満ちていたからだ。
「ぼくのハートをあげたいんだけれど、きみはいつだって気づかないから」
彼が一体何を言っているのかすらわからなかった。呼吸すら儘ならないわたくしを笑う彼の本心も、その笑みの裏側に潜む悲しみも。膝を立てたその足の合間へと伸びていったもう一方の手が男性器に触れるとゆっくりと扱かれ、窮屈な愛撫に身を捩る。相変わらず口の中を犯す指はそのままにされているし、違和感を感じるバスルームの謎だって分からなかった。なにもかもがわたくしの外側をグルグルと回っていった。太陽から六つ目の惑星になった気分だった。詰まる息も激しくなる手の動きも、わたくしを追い詰めていく一個の手段でしかない。
「どうしたって、きみの呼吸くらいしか奪えないんだ」
狂気の根付いた瞳の奥底、「午前七時の世界」の崩壊は性器を扱く青白い腕によって齎された。どうしたってもどかしいだけの愛撫と、僅かに開いた窓からの光が眩しくて涙があふれる。彼は知っているのだろうか。この骨張った体を与えてやれるのは、神と、彼くらいのものだということを。滲んでいくすべてのものを手放してほしいのです、といえば、あなた笑うでしょうか。
不眠症の夢を見る








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