「おはようジョナサン。今日はどこに行きましょう。そうだ、貴方と約束をしていたマリーゴールドの園はどうかしら?」
ああ良いね、きみと共になら、素敵に違いないさ。
「天気だってこんなに良いんだもの。きっと楽しいわ」
天気がいいのだって、太陽みたいに笑う君がいるからさ。エリナ、ぼくのエリナ。
「でも、貴方はきっと一緒には来れないでしょうね。だって貴方は、」
エリナ、どうしたんだい。ぼくを置いて、どこに行くんだい。幾ら叫んだところで、幾ら泣いたところで、彼女はゆっくりとぼくから遠退いていく。彼女?違う。このぼくが遠退いているんだ。けれど、どうしてぼくが彼女から離れなければいけないのだろう。次第に豆粒ほどにしか見えなくなったエリナは最後に呟くように言った。「さようならジョナサン。さようなら。貴方のこと、ずっと」その瞬間、強く強く吹いた風が彼女の言葉をかき消した。なんだい、何て言ったんだい、エリナ。ぼくだけの、愛しいひと。ずっと、なんだって言うんだ。しかし考える頃には、ぼくは暗闇で一人きりになっていた。音も光もない場所をただ見つめていた。でも、ぼくはずっとこうしていなきゃいけない。本当はその理由だってハッキリと分かっていた。まるで考えられないくらいの深い闇に沈む。ぼくはこの世界に1人だけで、きっとこれからもそうなんだろう。けれど、それで良かった。ぼくは、そうでなければいけなかった。


星になったぼくへの黙祷


「おはようジョナサン」
濃厚な赤薔薇の香りを感じ取った瞬間、辺りは明るく包まれていた。長らく暗闇にいた所為で目の奥が締め付けられるように痛む。それはずっと懐かしいものだった。光なんて、どれほど昔に見たものだったか、もう覚えちゃいない。けれど、ただ恐ろしいほどの昔だったことだけが確かだった。そうして気がつく。今の、背がゾワリとするような声は誰のものだったろう。エリナ?いや、エリナはもっと、日溜まりのように暖かな声音をしている。やっと光に目が慣れ始める。ぼくは柔らかなベッドに身を横たえていて、そうして覗き込まれているようだった。誰だろう、きみは。すっかり忘れてしまった声の出し方に狼狽えていると、嘲笑うようにして鼻で笑われた。ぼくは確かにこの笑い方を知っていた。
「どうした、覚えていないのか?貴様を殺した男の名を」
「ディ、オ…」
名前を思い出したと同時にクリアになった視界で確認した、紛れもない姿に愕然とする。間違いない。間違いなく、彼だった。これは一体どういうことなのだろう?彼は確かに、このぼくと共に息絶えた筈だった。いや、彼が何らかの理由で助かったとしても、ぼくは死んだ筈だ。事実、息絶えるまでの瞬間を今だって思い出せるのだから。それに、今彼だって言ったんだ。殺した、と。内側から沸々とどす黒い感情が湧き出てくるようだった。頭に血が上り、冷静な判断が出来なくなる。ディオ・ブランドー。ぼくから全てのものを奪い去った男。
「どうした」
「……」
「憎いだろう、何よりも憎いだろう。あの時のように殴れば良いじゃあないか。あの女はもう死んでしまったけれどな。どうだ?殴るだけでは、足りないか?」
あの女、という言葉を聞いた瞬間、ぼくは迷わずに起き上がると彼の胸ぐらを掴んでいた。掴まずにはいられなかった。蜷局を巻いていた感情が爆発して、自分が止められない。このまま顔の原型が無くなるまで殴って、そのままどうにかしてやりたかった。何もかもがぼくにそっぽを向いて座っているような憤りだった。
「ディオ!君は、エリナにまで手を掛けたのかっ!」
「そうしてやりたいところだったがな、残念。あの女は寿命だ」
「寿命?どういうことなんだ?いや、そもそも、きみはどうして生きている?そして、その体は…」
矢継ぎ早に質問を繰り返すぼくに、ディオは今までにない種類の感情を込めた視線を投げてきた。その意味が分からず、たじろいでいると胸ぐらを掴んでいた手が払われる。その手、いや、体は、彼のものとはおもえないほどの力強さを備えていた(だからと言って、彼が貧弱だと言っているわけじゃあない。事実ぼくは死ぬ思いだったし、いや、実際に死んでしまった)。
「それを私の口から説明する気は無い。使用人から聞け」
「待って…ディオ、どこに行くんだい。ぼくはきみを許さない。例え何があろうと、きみがどんなことを口にしようと、許すわけにはいかない。これはぼくだけの問題じゃないんだ。そうするには、きみは何もかもをしでかし過ぎたんだ。分かるだろう?」
「…フン」
その時、ぼくの見間違いでなければ、彼は確かに笑った。それも普段の嘲笑なんかじゃない、心の底からの笑みだった。黄金の髪が窓からの風に吹かれ靡いている。外はあの光景と同じ暗闇だった。煌々と光る室内の電気が青白く彼を照らし出す。
「気安く名前を呼ぶんじゃあないぜ、ジョナサン」
そう言って部屋を後にした彼を、ぼくはただただ眺めていた。一筋の涙が頬を伝い、シーツを濡らした。









テレンスという使用人は、あくまで淡々とぼくに説明をした。今があの日から百年ばかり経っていること、ディオの体がぼくのものであったこと。それは実に悩ましい事態であり、とっくにぼくの許容域を越えた話だった。とても信じられないと言ったぼくに、彼は何の感慨も無さそうにテレビゲームというものを見せてくれた。どうやら本当に百年も経っているらしい。しかし、ぼくの存在について彼が知っていることと言えばごく僅かなものだった。「どうやって蘇ったのかは知りませんが、あなたが目覚めるまでの世話は私がしておりました。DIO様に申し付けられましたので」「そうだったのか、それはどうも、ありがとう」「いえ、何かありましたらお呼びを」。彼とぼくの間にそれ以上の会話は存在しなかった。滑るように部屋を出て行った彼に、ぼくは何も言えずにため息をつく。









よろつきながらも部屋を出ると、そこは随分と広い屋敷のようだった。どうやらあの部屋は二階に位置していたらしい。通路は広く、至る所に高級感溢れる細工や芸術品が見受けられる。間違いなくディオの趣味だ。ぼくは確信めいたものを持ちながらも歩き続けた。そうしてようやく一階への階段を見つけると躊躇せず降りていく。しかし、目覚めたばかりでは満足に動かせず、不覚にもぼくの体はふらりと前傾していく。気がついたときには既に遅かった。強い衝撃に備え目を瞑る、その瞬間。

「ザ・ワールド」

気がつけば倒れそうだったぼくの体は階段の下でディオに支えられていた。その人ではない、ひやりとした体温に鳥肌が立つ。カッと頭に血が上るのを感じ、ディオの手から逃れるように床に倒れ込んだ。何がなんだか分からない。頭がおかしくなりそうだった。
「今、なにをしたんだ」
「まだ寝ていろ」
「何も…話さないっていうのか?ぼくのことを勝手に、生き返らせて、あとは知らないって?きみは神か?すべてきみが決めるってか?」
「貴様はまだ混乱している。話したって無駄だ」
「ふざけるなよ、ぼくは…、きみになんか、何も分からない癖に!」
頭を抱えて喚き、ハッと気がつくとディオは何か言おうとしてまた口を閉じた。ぼくもまた無意識に口を閉ざす。そんな気分じゃないけれど涙が止まらなかった。ぼろぼろと溢れるものを拭おうともせず、ぼくはまた立ち上がると壁に手を付き、なるだけ早くまた階段をのぼり、部屋へと戻った。そうしてベッドに倒れ込む。シミ一つ無い広いベッド、清潔感溢れる部屋。あんな表情なんか見たくなかった。心の底からそう思いながら、やりきれない怒りをぶつけられなかった自分自身が悔しくてたまらない。
「きみを置き去りにしてしまったこのぼくが生き残ってしまったなんて…」
百年前の妻の姿に焦がれているのに、今やその名前すら口に出すことを恐れている。全て彼のせいにしてしまいたかったのにそう出来ずにいるなんてのは、きっと罵られても仕様がないんだろう。エリナ、きみを誰よりも愛しているんだ。これだけは何百年経っても代わり得ない話だ。
止まらない涙で溺れてしまえたなら良かった。きっとドアの外で様子を見ているだろう、唯一のともだちを巻き込んで、再びの死を望む。










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