「え、結婚?」
大きな口を開け、此方を向いたまま絶句しているクダリは、珍しくも心底驚いたようだった。そんな弟をつい好奇の目で見つめていると、暫くしてから無心で寝癖を直していた彼は焦ったように目を見開いて詰め寄ってきた。今にも掴み掛かってきそうな迫力にたじろぎながらも、ほんの少しだけ後退る。
「え、結婚って、ぼくが?それともまさか、きみ?」
「勿論、わたくしでも貴方でもなく、あの景品交換の受付の女性のですよ」
「一体いつからきみは、そんな誰と…景品交換?」
「ええ」
わたくしの言葉を噛み砕くようにして目を瞬かせていたクダリは、やっと恥ずかしそうに顔を赤らめながらもまた鏡の前に立ち、寝癖を直し始めた。白く骨張った指先がグリースを掬っていく。何度か咳払いをして鏡越しに此方を見る弟の様子が微笑ましい。
「なんだ、そうか。いやだなあ、恥ずかしい」
「いえいえ、貴方の狼狽える姿など、なかなかどうして見れるものではありませんからね」
「止してよ」
誤魔化しの意味の微笑みを浮かべている彼が、珍しくも弟らしくて、つい口が綻ぶ。すると鏡越しに目があった彼もまた微笑み返してきたものだから、今度はこちらが咳払いをしてしまう。きっちりとアイロンの掛かったシャツに袖を通すと、下から釦を止めていく。それは一種の儀式を彷彿とさせた。毎朝繰り返されるただ一つの日常。一番上まで留めると、そこでやっと溜め息をついた。念入りにヘアスタイルを確認している弟の後ろ姿も、まるで違わない。全てが恐ろしいほどに同じだった。習慣化された日々の怠惰と欲望というものがそこに詰まっている。例えば彼の首筋についたキスマークだとか、そういったものの話だ。地下にばかりいるせいで嫌に白い肌はその痕をギラギラと鮮明に主張した。頭上で輝くあの太陽のように浅はかで気持ちの悪い光だった。
「折角入ってもすぐに辞めてしまうのでは、何のために働き出したのかと思いますがね」
「こら、そんなこと言っちゃダメだよ」
「口が滑りました。とにかく、あなたは来週の日曜日までに礼服を駅前のクリーニングに出して、受け取ってくればよいのですから、宜しくお願いしますよ」
「はいはい」
フフフと笑うと、キスをして鏡の前から離れて行ったクダリは何ともまあ、罪人のようだった。罪名は誘惑罪だとかどうだろうか、とバカな考えを起こしながらも同じだけグリースを掬い取って、同じだけ時間をかけて髪を整える。酷い自己性愛に蝕まれたわたくしが、自らを美しいものと認識しているように、彼もまたそうである。つくづく双子という関係性でなければ良いと思わざるをえなかった。水面に映る自分の反射に見とれて溺死したなんて御伽噺に違いないが、限りなくそれに近くはあるのだから。

来週の日曜日は普段と何ら変わらないスピードで訪れた。わたくしも彼も同じだけチャレンジャーを下し、大抵の時間を共に過ごした。寝食は勿論、もっと下世話なことだって当然に行った。性を吐き出した彼はうっとりとした目つきでわたくしの頬を撫で、ゆっくりとアレを抜くと一切の処理をした。出したばかりの気怠い体に鞭を打ち、疲労を見せぬようにと笑みを浮かべるその姿が美しくて溜まらない。勿論わたくしと何も変わらない造形こそ愛の根源であるけれど、それよりもその表情が好きだった。顎を伝う汗を拭い、何度もわたくしにキスをする時のその表情だ。しかし今は、そんなことはどうだって良かった。何も変わらずに流れた時間の果て、来週の日曜日、つまるところは今である結婚式にわたくし達は出席しているからだ。それまでのわたくし達の性交などは、どうでも良いのである。
昔からの新婦の友人だという女性達が三人ばかりで集まってマイクの前で歌を歌っている。それに感激した当人は目に涙を浮かべて、幸せそうにそれを眺めていた。結婚式特有の、全てを肯定していく空気感に肌がビリビリとする。こういうものを、薔薇色の人生とか言うのだろうか。そう考えながらも欠伸を押し殺していると、突然足元でごく小さな金属音がした。いつになくぼんやりとした顔付きのクダリがスープスプーンを落としたのだ。さっと近寄ってきたボーイがそれを拾い、今度は新しいスプーンを寄越す。そんなことをしても彼のカボチャのポタージュには既に膜が張ってしまっていたし、到底飲めそうにもなかった。形ばかりの礼を言ったクダリはスープ皿にソッとスプーンを置くと、またぼうっとした顔付きになる。いつも穏やかで、楽観的なクダリにはとても相応しくない癖が出ていた。
「クダリ、あなた、結婚式が苦手なのですか」
「いや、うん」
小声で聞くと、濁して答えたわりには、人の良さそうな笑みを浮かべることなくぼうっとしたままの様子が続く。すると、何も手を付けなかったカボチャのスープが下げられ、代わりにフィレステーキがやけに大きな皿に乗って出てきた。その余りある余白を埋めるだけの力があると言いたげな牛の死体を眺めながら、横目で彼を見る。
「ぼくだけが、場違いなような気がするんだ」
「わたくしだってちっとも似合いませんよ」
「いや、きみは美しいし、何より素敵だもの。ぼくとは違うよ」
「まるで同じのように思えますが」
何せ、にこりと笑って立っていれば誰にも見分けがつけられないのだ。
「まったく違うよ。そんなことを言う人たちは、それ以前にぼくらに興味がないのさ」
「あなただって美しいし、素敵ですよ。わたくしと同じくらいに」
「それは、どうも」
ほんの一瞬、驚いたような顔付きになったクダリは今度はフォームを落とした。わたくしは咳払いをし、拾いに来たボーイは訝しげな目でクダリを見た。気恥ずかしそうに口元を掌で覆った彼は、ボーイが下がるとまた小声で話しだす。
「でもね、ぼくは後ろ指を指されているような気がするんだ。ふつうの人がふつうに幸せになる現場なんてのはね、きみを愛しているぼくにとっては」
「そんなものですか」
「そんなものだよ」
シルバーの安いナイフとフォークを手に、フィレ肉を切り裂いていく彼は何の感慨も無いであろう表情を浮かべて、その小さな塊を口に含んだ。羨ましいとさえ思いながら、それを眺めていた。式は順調に進んでいく。その内にメインプレートを下げられ、今度はデザートが置かれた。こんがりと焼けたアップルパイは石膏品のように100パーセントの姿をして、そこに居座っている。傍らにシナモンシュガーの降り積もった生クリームを添えられて、我が物顔でそこにいる。なんだか分からないまま腹が立つ自分を不思議に思いつつ、手を出さないでいる。彼もまた同じように、困った顔をして食べないでいた。
「なにか」
「うん?」
「なにか、わたくしに出来ることが御座いましたら」
「うん」
「どうか仰有って下さいまし」
聞こえているかも分からないような小声で告げると、彼はポカンとして此方を見た。同じくしてスピーチを終えた新婦の父に盛大な拍手を送ることさえせずに、見つめ合う。白い肌がとろけるようなラインを描くその顔に、今すぐ触れてしまいたい。周囲の輪郭線が無くなっていく。世界が一つになり始める。驚いた表情をくしゃりと崩して、下を向いた彼を眺める。肩を震わせて口を掌で覆う姿が美しくて、今までに何度も見た筈の彼の笑顔が胸を焦がす。
「あの、ありがとう。きみは、なんて優しいのだろう…」
「あなたのことを、愛していますから」
「世界中探したって、こんな素敵な兄さんはいないなあ。ねえノボリ、それならずっとぼくの方を見ていておくれ。きみに見られているなら、格好悪い顔はできないだろうからね」
「ええ、良いですよ」
「それと、アップルパイを食べてしまってくれないかい」
「構いませんが、また何故です」
「ぼくの好きなアップルパイを食したきみを、あとで食べ尽くしたいからさ」
それはもう、暴力的な殺し文句だった。呆然とするわたくしを余所に、彼は爽やかな笑みを浮かべながらもすっかり普段の通りに振る舞い始める。しかしその影に僅かにチラつく、性的な淀みがその存在を知らしめていた。やれやれ、とナイフとフォークを手に思う。アップルパイに突き刺さった安いシルバーは、まるでわたくしのようだった。シナモンが鼻につくクリームをたっぷりとパイに乗せ、それを口に含む。噎せ返るほどの甘さが脳を貫くと、ジッと見つめてきていたクダリがふふふと笑った。
「きみって、ほんとうに素敵だなあ」
「ありがとうございます」
「ぼくのことを愛してくれているんだ」
「ええ」
「それってなんだか幸せだね」
幸せ、だろうか。静まっていく拍手の波に揺られながらも考える。着飾った者達が集うこの聖なる場所で祝福されることがないことも、それがどれだけ恐ろしいことであるかも分かっている筈なのに、あなたはそんなことを言うのですか。
「ええ、誰よりもね」
幸福そうに笑う誰もが一つになっていく。そのどろどろとした生命の海で、アップルパイを食するわたくしと、それを眺める彼だけがいとしかった。
いっしょに溶けてよ










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