彼女は美しい。
わたしの確信に満ちた思いには気付いていないようで、彼女は生来の癖毛を整った耳にかけた。首の付け根にぽつりと見えた黒子が白い項に浮かぶようにして、存在している。溶けかけのキャラメルのように甘ったるい茶色をした髪がふわふわと風に揺れると、まるで魔法かなにかじゃないかと思えた。彼女の肌と同じくらい白い砂浜の上を、青いハイヒールの踵を突き刺して歩く姿はどこか不自然なように感じる。「歩きづらくはないのか」と聞けば、白いワンピースを風に揺らして「少しだけ」と返された。

若く、白い肌を持った彼女はアーティと言った。虫タイプのジムリーダーと画家を兼業している女性である。ほっそりとした体型で、モデルのようにも見える。色素が薄く、睫までもが茶色をしていた。人形のような顔立ちをしていながらも、外見的なこだわりは持っていないようだ。そして、彼女はわたしの恋人である。
二人で海に来たのは初めてだった。互いに忙しい身であるし、近場に海もなかった。しかし珍しくも彼女が強く言うものだから、わたしは急遽ジムを仮閉鎖し、暫く乗っていなかった車にガソリンを入れると埃の積もった車内を掃除した。そうしてすっかり清潔になった車に彼女と彼女の作った昼食の入ったバスケットだとかを乗せ、五時間走らせた。シーズン前の観光地は晴れていても灰色をしていて、わたし達の他には六人ほどしかいなかった。波と呼べぬほどの波が柔らかく砂浜に身を沈めては戻る。パーキングから見た海は鈍く照らす太陽のせいでギラギラと輝いていた気がするが、近付いて見ればそれはもっと大人しいものだった。わたしは彼女の持ってきたパラソルとビニールシートを抱え、彼女はバスケットを手にし、並んで砂浜へとおりる。すぐにわたしはパラソルを立て、ビニールシートを敷いた。それは人がやっと三人座れるくらいの小さなものだったが問題はなく、それよりも予期せぬ風の強さが気になった。大体は静かだったが、時折目を瞑るほど強く吹く風に、何度か彼女の麦わら帽子が浚われてしまった。その度に慌てて追いかけようとする彼女を制して彼女と
わたしのパートナーがそれを追い掛けていく。半ば楽しんでいる風にも見えた彼らの足音は心地よく、それを見守る彼女の横顔も、波のように穏やかだった。
「彼らを連れてきてよかった。とても楽しそうですねぇ」
「ああ、本当に」
「そろそろ、昼食にしましょうか」
バスケットの中には沢山のサンドイッチが二つずつと、蜂蜜とパンケーキ、葡萄のジュースが詰め込まれていた。ポケモン達にそれを分け与えながらすっかりそれを平らげてしまうと、彼女はハンカチで口を拭きながらも眉を下げて、こちらを見詰めてくる。色濃く不安を覗かせたパチリとした瞳が揺れていた。
「とても美味しかったよ、申し分ない」
「ほんとですか?ああ、よかった。お口に合わなかったら、どうしようって」
安堵の溜め息をついて見せたその様子がなんだか少女のように愛らしく、つい帽子を奪い頭を撫でる。嬉しそうに頬を染めた彼女の姿に、こちらまで微笑んでしまいそうになった。太陽は相変わらずギラギラと輝いていたが、パラソルの下ではそんなに気になるものでもないようだった。

わたし達は暫く話していたが、ふと話の途切れと同時に彼女が立ち上がった。そうして砂浜を歩き出したのだ。確かに晴れているのにどこか鉛色をしているような空と、白い砂浜と、彼女が合わさる。彼女は何も言わなかったし、わたしも何も聞かなかった。ただゆっくりと歩き続ける彼女の後ろを何歩か遅れて歩いた。じわじわと体温が上がり、背を汗が伝っていく。
二十分も経たない内に彼女は立ち止まった。しかし華奢なハイヒールを揃えて脱ぐと、裾から伸びる細く白い足で砂浜を踏みしめて、波打ち際を通り越し、あっという間に海に身を浸して行った。足首、脹ら脛、膝、腿、と迷うことなく進んでいく彼女はゆっくりと歩いていく。決まった事柄のように、当然のように。呆然と見詰めていたわたしは慌ててそれを追い掛けた。靴も脱がず、服が濡れることも厭わず、ただバシャバシャと海水を跳ねさせて。白いワンピースの背に影を落とす浮き出た肩甲骨まで浸った頃、やっと薄い肩を掴まえた。ほんの少し指先に力を込めたら、壊れてしまいそうだった。
「…風邪をひくぞ」
声をかけても返事はなかった。ただ、振り向いた彼女は細い腕でわたしに抱き付くと、縋るように胸に頭を寄せた。海水に濡れた腕は冷えていたが、不快ではなかった。
「君は、気が弱いふうに見えて、意地を張る面があるな」
「…すみません」
「謝ることじゃない、わたしは君のそう言ったところが好きだ。だが、もう少し頼っても構わないよ」
出来るだけ優しい声色で囁くように話しながら細い体を抱き寄せると、波に浚われそうになったアーティがそっと体を任せてきた。顔を俯かせたまま、体を震わせて。
「ハチク、さん」
「ああ、ここにいるよ」
「ハチクさん、ハチクさん」
「ずっと君の側にいるから」
「わたしが死んだら、海に沈めてくれますか?」
「君が望むなら約束しよう。だが、死ぬなどとは言わないでくれ」
「ハチクさん、わたし、」
大きな波音に遮られ、聞こえなかった筈の言葉はしっかりと耳に届いた。俯いていたアーティの顔を両手で包み、上を向かせるとキスをした。このまま窒息したって良い。そんなキスだった。片手で白い額に張り付いた髪をなおしてやりながら、片手で強く抱き締める。輝き続ける太陽から庇うようにして、抱き締め続けた。

「どうか、海に還りたい」。そう言って泣いたアーティは童話の人魚のようだった。彼女の後ろを歩いていた間、ずっと感じていた焦がれがスッと抜けていく。あの白い素足が波に溶けて、輪郭を滲ませる光景が頭から離れない。何もかもが絵画のように、とろけそうなほど滑らかで、おかしくなりそうだった。歩くごとに、泡となって消えてしまいそうで、おかしくなりそうだったんだ。美しい君だから、きっと美しく死ぬのだろうと思わせるほどに。
「その時は、わたしも一緒に連れて行ってくれるかい」
涙を流して頼むくらいなら、いっそ二人で沈みたいのに、美しい君はそれすらも恐ろしいと泣くのだろうか。触れた場所から泡になる。
窒息













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