「えへへ、お邪魔します」

アーティが泊まりに来た。
肌寒いと笑う冬の匂いを身にまといキャンバスと絵の具等の画材だけが押し込まれたトートバッグ一つを持って我が家を訪ねて来たアーティに、すぐ帰るのかと聞けばそうでもなく、短くとも一ヶ月は滞在するつもりだとか。着替えなどはどうするつもりなのだろうかとぼんやりと疑問に思っていると途端に垂れた大きな瞳が見開かれる。
「あうぅ、着替えとか、色々忘れたなあ」
ああやはり何も考えていなかったのか。予想通りの言葉に思わず頬が綻ぶのを感じているとそんなわたしを見たアーティもまた笑っていた。冬に移り変わる途中の鈍い銀色の陽の光を連れてやってきたアーティが、まるで人間でない様に見えたのは何故か。赤いニットの帽子を目深に被り肩に乗った雪を払い落としているアーティの赤くなった鼻にキスをし、ハグで迎えてやればきょとんと間の抜けた表情を浮かべていたのも束の間に焦ったような照れたような声で告げられる。
「ハチクさん、なんだかこういうの似合わないですねぇ」
「…そうだろうな」
「ええ、でも嬉しいです、んふふ」
頬を赤く染めて幸せそうに笑ったアーティはまたぱちりとわたしを見つめて背に腕を回す。「ぼく以外のひとにこんなことしちゃダメですよ」などと言われたところで、愛していない人間の鼻にキス出来るほど器用でないわたしからすれば杞憂の他ならない。
久しく感じるアーティの体温はひどく熱く感じた。




もう半年も前になるだろうか、白雪に彩られたネジ山を描きたいと、ライブキャスター越しにそう言ったアーティの瞳があまりにきらきらと輝いた美しいもので、思わず呆然としながらも気が付いたら彼を誘っていた。面白いものなどなにも無いが良ければ泊まりに来るか?、そんなことを無意識に言ってしまった自分にも驚いたが一番面をくらったような表情を浮かべていたのはアーティの方だ。わたしとは違う、まるでセッカの雪のようなその美しい白肌が赤く染まっていく。そもそも人種が違うのだからそれもそうだが。
「えっと…い、良いんですか?」
「君さえ良ければ…だが」
「もっもちろん!ありがとうございます!」
「そんなに畏まるな、恋人一人家に泊めるだけだ」
「こっ」
恋人、かあ、ふにゃふにゃとした柔らかな笑みを浮かべたアーティにわたしまでなんだか嬉しくなってしまった。
愛を囁きながら計画を立てたのは、たしかに半年程前の話だ。何故こんなに間が空いてしまったのかと言えばそれは忙しいからに他ならない。わたしはジムの仕事を第一に自身の修行やジムトレーナーの育成など、殆どセッカから出ることは無いもののアーティはと言えばそうもいかない。何せ多忙を極める。ジムを営む一方で画家として個展を開き有名ブランドのプロモーションに参加しテレビや雑誌のインタビューに出演、あの広いヒウンに留まらず各地に出向き自身のインスピレーションを養いそれをキャンバスに向ける。彼の絵は素人目に観ても美しく、抽象的であるのに具体的である。それこそこんな芸術に於いてさっぱり理解の出来ないわたしから、まさに芸術を好むあのモデルまで魅了するほど美しい絵画だ。そんな絵を描くことにだって勿論時間が掛かるのだから、こんなに間が空いてしまうのも致し方ない。楽しみはゆっくりとやってきた方が気持ちが良いのも確かだと感じる性分がこんなところで役に立つとは思わなかったが。



「…なんだか低いですねえ」
「日本家屋だからな」
「あう、頭ぶつけちゃいそうですね」
天井の低さが不安なのか随所で頭を下げて歩くアーティを微笑ましく親のような目線で見つめている自分に気付きすぐにその考えをやめる。こうして見るとアーティという青年は本当にこの日本家屋が似合わないことに気が付いた。すらりと伸びた長い手足に折れてしまうのではと心配になる細い腰は無駄な脂肪どころか必要な筋肉すら付いていないのではと考えるほど。そして軽やかに揺れる淡い茶色の猫の毛のような柔らかさと小さな頭も相俟ってこうした言い方は失礼にあたるかも知れないが女性のようだと思った。物珍しいらしく、そこかしこを興味深げに見て回っていたアーティが一点を見つめていることに気付く。視線の先には、一人用にしては少し大きい炬燵と籠蜜柑。
「んー、なんでしたっけ、これ、知ってるんですけども」
「炬燵だな」
「ああそうだ、コタツ!」
テレビで見たんですと言うやいなやトートバッグを部屋の隅に置き意気揚々と炬燵に入ったアーティに茶を用意してくると声をかけ台所へ向かう。自分のものと来客用の湯呑みに緑茶を淹れ、用意してあった茶菓子を盆に乗せ部屋に戻ると幸せそうな、それでいて困ったような表情を浮かべたアーティが湯呑みを受け取り微笑む。
「コタツとおミカンと茶菓子って、素敵すぎて困っちゃいますねえ」
「ああ、そうだな」
「窓の外の雪原も綺麗だなあ、ジャパニーズビューティフル!っていうか」
「気に入ってもらえて何よりだが…アーティ、蜜柑はわたしが剥こう」
炬燵テーブルの上に散り散りになった蜜柑の皮に照れたアーティがあまりにも耽美的で見慣れたはずのその顔に鼓動が逸る。別に蜜柑の皮むきがあまりに下手くそであったから提案したわけではない。蜜柑何て食べられればなんだって良い。ただ、
「君のきれいな指先が黄色くなってしまうのは惜しい気がしてな」
そう言ってさっさとその掌の内から蜜柑を奪い去って皮を剥き始める。そんなわたしを呆然と見つめていたかと思うと顔を赤くし悶絶したように足をばたつかせたアーティに冷気が入るからと叱ろうとしたが、耳まで赤くした反応があまりに初々しく、何かおかしなことを言ったかと疑問に感じていると両手で顔を隠していたアーティが長い指の隙間からわたしを見つめて言う。
「ジーザス…格好良すぎますよハチクさん」
「そんな反応でこれから大丈夫なのか?」
暗に夜事を囁けば頭からこたつ布団に入ってしまったアーティに中から膝頭を蹴られ、散々な悪態をつかれた。「変態!エッチ!嫌い!」「…嘘です、好きです」その言葉にわたしこそ面食らってしまった。ああなんて殺し文句だろう、暫くこんなにも愛しい恋人と一緒に暮らさねばならぬなど、幸せの他ならない。

剥いた蜜柑を一つ、口の中に放り込む。酸味の強い果物も今はそれが丁度良かった。








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