「俺? 俺は、んー、あいつの同業者みたいなもん」
 状況の説明もそこそこに店内へ通されると、ボーイは手近なテーブル席をどんどんと通り過ぎていき、その奥にある重厚な扉を開けた。おそらくVIP席とか高級な個室みたいなものだろう。沢田さんの正体がますますわからなくなっていく。常連さんは自己紹介なんて全くせずに、誰かと思ったらお前かよ、とか、まあ適当に頑張ろうぜ、とか、意図のよめないことばかり言っている。
 緊張は全く解けないばかりか今の状況がつかめなさすぎて喉がひゅうひゅういっている。ほぐれない喉をむりやり広げて、沢田さんのお友達なんですか、とだけ尋ねると、あいつの同業者みたいなものだと返事が返ってきた。ということは常連さんもマフィアなのか。

 ボーイが一礼して扉を閉めると、かなり広々とした個室にいよいよ二人きりになった。
 上着も鞄もボーイに預けてしまったから、逃げようと思ったって逃げられない。いやまだ逃げようと思ってるわけじゃないけど…、ああもうどうしよう。と、焦りからくる堂々巡りが止まらない。彼は早速リラックスしきって足を組み、背もたれに寄りかかりながら、白いメニュー表をぺらぺらと捲っている。
「別に殺されるわけじゃねーんだからさ、もっとリラックスしてくんない?飯不味くなるっての」
 常連さんはメニュー表に視線を落としたままそう言った。殺される?そんなことは思っていない。ただ沢田さんが来ると思っていたからこの状況をまだ飲み込みきれていないのだ。
「あ、あの」
「んーなに?」
「お名前、おしえてもらっても…」
「相手の名前を聞くときは自分から名乗れって言わない?」
 常連さんは顔を上げてまたにっと笑い、ちょっと首をかしげた。ああ、この愛嬌の使い方は確かに今日の朝ラテを頼んできた男のそれだ。わずかに緊張がほぐれる。
「…青山ユキです」
「うんまあ知ってるけど。俺はベル。ベルフェゴール」
 知ってる?思わず鸚鵡返しに聞き返せば、うん知ってるよ、沢田に青山をよろしく頼むって言われてここに来たから。と、当たり前のように言ってから、お前もほら何頼むか決めろよ、とメニュー表をぐいと差し出してきた。
 受け取って静かに表紙を開く。常連さんの名前はベルフェゴールというらしい。


*


 私は昔、「天使」と呼ばれていた。
 昔の私は、私は本当に天使なのだと思っていたけれど、どうやらそうではないみたいだった。身寄りのない子供を天使と名付け、働き手にして、彼らは「夢」を売っていた。
 私はまだ小さかったからあまり詳しくは覚えていないけれど、彼らは「この世」の人間を、「あの世」ではなく「それ以外」に送っていたらしい。それを彼らは第三の世界と呼んでいて、お客には「夢」と説明していた。
 私たち人間は子供の頃からよく、死について考える生き物だ。
 私だって例に漏れず、人は死んだらどこへ行くの、と、彼らにそう尋ねたことがある。一度だけ。そうしたら「天使」の管理人であった若い男は私を哀れむように悲しい目で見て、「ふつうは『あの世』へ行くよ」と言った。

「あの世ってどこなの」
「さあね。ここじゃないどこか」
「なんで知ってるの」
「知りたいと思ったからかな」
「ふつうじゃなかったら、どこに、」
「この世とあの世のまんなかへ行くんだ」

 まんなか。
 私は彼の言葉を繰り返した。

「まんなか?」
「そう。どちらでもないところ」
「まんなかはどこにあるの」
「うーん、そうだな、結構近くにあるよ」

 でもそれ以上は秘密。そう言って頭を撫でてきた手のひらがどうしてだかとても怖くなって、私はそれ以来、彼らに死について質問することはなくなった。

 まんなかへ行くには、「西の施設」で施術を受ける必要があった。
 私とあと数人の子供たちは皆「天使」と呼ばれていて、西の施設で働いていた。東の施設には研究室と私たちの家があって、それと対をなすように建てられた西の施設には、安置用の白いベッドが置かれた部屋や大きなコンピュータだけが置いてある部屋、適度にきれいでどこかよそよそしい面会室、それと、いくつかの手術室があった。
 私たち天使の仕事は、選ばれた客を電車で西の施設の入り口まで連れて行くこと。神聖なことだから、そういう仕事は子供がやる方が絶対にいい、らしい。私は毎日のように夜の電車に乗り、終着駅のもうひとつ先にある「西の施設」の駅へと、客を連れて行っていた。

 西の施設へと客を連れて行き、面会室の扉が閉まるまで、その客と話をするのが私の楽しみだった。その人の人生を、本人が物語にして聞かせてくれているようで、幸せな時間だと思った。そうして一生を聞き終えて、面会室の扉が閉まると、彼らの姿を二度と見ることはないのだ。





 メインディッシュが運ばれてきた時点で、私はかなりお腹いっぱいになっていて、ベルさんはどうしてそんなにぱくぱくと休みなく食べ続けられるんだろう。緊張したせいで胃が縮んだままなのかもしれない、とグラスを傾けて水を飲んだ。胃がきゅう、となる。
「詳しいことは俺も聞いてないけど、お前以外のやつらは全員死んだらしいな」
 ベルさんは高そうなワインをぐいぐいと飲み進めている。まるで水のように飲む人だ。
「それは、施設の人間のことですか」
「んー、あんとき殺した大人のことじゃなくて。ボンゴレが拾ってきた子供のこと。最後の一人は3日前に変死体で見つかったってさ」
 きゅうとなった胃のさらに上あたりが、胃と同じように緊張するのがわかった。心臓がどきどきしてきた。それって多分、私以外の「天使」のことだ。
「…どうして」
「さーね。お前が命拾いした理由もよくわかんないし」
 俺があのカフェ通ってたからかもね、なんてちょっと肩をすぼめてみせる。首をかしげると、私の真似なのか、同じ方向に首をかしげたまま笑う。
「俺同業者って言ったじゃん」
「あ、あー、はい」
「同業者だけどちょっと違えんだよ」
「違う?」
「俺は殺し専門だから」

 あいつは別に人殺したことないよ。クソ穏健派だからさ。と続けざまに言って、ベルさんはパンをちぎりはじめた。どうしてだかその仕草から目が離せない。ああ綺麗な手をしている。

「怖くなった?」
「はは、」笑うことしかできない。
「安心していーよ。お前殺すのは契約違反だし。それに俺はもっと殺しがいのあるやつ狙う」
 殺しがいのあるってなんだ。図体がでかいとかそういうことなのだろうか。数分前から私の分の皿は全く手をつけられていなくて、きっとベルさんもそれをわかっているのだろうけど、特に何も言ってこない。
 品よく盛り付けられた肉には濃いソースがかかっていて、もう見るだけでギブアップしそうだ。ベルさんはもうひとかけら、パンをちぎりながら、俺がボディーガードなんて相当ついてるよなお前、と言って身を乗り出してきた。私の皿の脇に手をついて、さっきちぎったパンで皿をなぞる。濃いブラウンのソースがパンに移って持って行かれた。パンを持った右手がなぜか私の口元へ差し出されて、唇に触れる。それはひんやりとしている。

「だって絶対死なせないもん、俺」





 結局すべて食べきることができなくて、目の前の残飯に心の中でごめんなさいと謝ってから店を出た。まだ余裕そうなベルさんに代わりに食べてくれと頼んだけれど、人が口つけたもん食べたくない、と一蹴された。

「そういえば、ベルさん引っ越すらしいですね」
 一緒に食事をしたからか、緊張も解けた。ふと思い出した話を口にできるくらいには打ち解けていた。
「ああうん、きいた?」
「ききました」
「ていうかもう引っ越したんだよね」
「まさか、」予想が当たって欲しくないと思いつつ、いやでもやっぱり当たったらそれはそれでいいかも、とも思う。
「言っとくけどお前の家の近くとかじゃねーからな」
 予想以上に落胆した自分に、さらに落胆した。
「ああそうですか」
「そんなうまい話あるかっての。別に四六時中一緒にいろとかそんなことは言われてねーから」
「でもボディーガードって本来そういうものなんじゃ」
「本来ってなんだよ。ボディーガードつけたことでもあんのか」
「ないですけど」
「俺ちょっと前までフリーのヒットマンやってたんだけど、一時とはいえボンゴレに戻るからさ、まあ堂々としてられるってこと。あの辺以外で狙われにくい土地なかったから仕方なく住んでただけだし」

 ベルさんは元々ボンゴレの人間だったらしいが、事情があって1年前にボンゴレを離れたという。フリーのあいだはボンゴレの権力もないのでかなりの人数に命を狙われていたようだ。はじめのうちはスリルがあって楽しかったそうだが、次第にめんどくさくなって引っ越しを繰り返すうち、ちょっと不審に思うほど狙われない土地を発見した。それが私のバイト先のエリアだったらしい。

「ボンゴレが本部直轄で守ってる女の生活圏だったら、そりゃ踏み込むのも勇気いるよなって話」
 ベルさんは右手でちょいちょいと前髪をいじりながら歩いている。ベルさんの足が長いせいでどうしても私と歩幅が合わず、数歩ごとに私はちょっと小走りになって彼に追いついていく。気遣う気はないらしい。
「1年前までボンゴレにいたんですよね?ベルさんも」
 そう背中に尋ねると、ベルさんは振り返り、やっと私の小走りに気がついたみたいな顔をして、すこし歩を緩めてきた。そうして私を左隣に置くと、こっちを見て口を開いた。
「そのベルさんっていうのやめね?なんかきもちわりー」
「じゃあどうしろって言うんですか」
「ベルでいいよ」
「あー、ああ、はい、じゃあそうします」
「へんな返事」
 そう言ったそばからふわあ、とあくびをして、じゃあ俺こっちだから、と、駅までの直結通路脇にある階段を指差した。そりゃそうか。マフィアが電車なんて乗りそうにない。
「タクシーでも使って帰るんですか」
「冗談。俺の家すぐそこ」
「はあ」
「そんでさぁ、俺が1年前までボンゴレだったとかいう話だけど」
「違うんですか?」
「違わないけど」
「じゃあなんですか」
「べつにあいつの仲間になった覚えはねーから。俺ヴァリアーだし」
 ヴァリアー?そう呟くと、そう、ヴァリアー。と特に説明する気もないようで、指差した右手をそのまま上にひらひらと振って、じゃーねばいばい、と笑って去っていった。
 彼が階段を降りていって、頭の先まで見えなくなってしまうまで、私はそこで突っ立ったまま彼の後ろ姿を見ていた。急に、今日の出来事は全て嘘だったんじゃないか、と思った。沢田さんは別の場所でずっと私を待ってたんじゃないかって。それくらい、私の体にはなにも残っていないような感じがしていた。膨れている胃と、唇に触れたソースのつめたさだって、もしかしたら幻なのかもしれない。
 シャネルの5番が私に似合わないように、きっとこの格好も、綺麗な顔の殺し屋も、フレンチのフルコースも、レストランの窓から見えた絵画みたいな夜景も、今立っているこの場所ですら、私にはありあまる。そんな居心地の悪い浮遊感から早く抜け出したくて、私は向こうに見える改札を目指して走っていった。



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