第9話 試験と犬。






レイブンクローとのクィディッチの試合があった日の夜、グリフィンドールの寮は一時騒然とした。なんと、男子寮に指名手配中の脱獄犯、シリウス・ブラックが現れたのだ。ネビルが合言葉を書いた紙を落としたのがいけなかった。
ラベンダーとパーバティは身を寄せ合い、今にも殺されてしまうとでも言うような面持ちで震えていた。談話室に集められてマクゴナガル先生を待っている間、誰一人として声を出さなかったし、その日は一睡も出来なかった。
そのうえ、次の日から城の警備がより一層厳しくなってしまった。私は完全にクロに会いに行けなくなってしまったのだ。




「フクロウ便って、動物にも荷物を届けてくれると思う?」
「……君何言ってるんだ?」

『元気の出る呪文』が終わった後の昼食の席で、高揚した気分のまま目の前にいたロンに訊ねると、先程までにこにこしていたのが一変、訝しげな表情に変わった。
本当はハーマイオニーに聞きたかったが、彼女の姿が呪文学の時からずっと見当たらなかった。

「ハーマイオニーは?」
「僕達も心配していたところなんだ」
「もしかしたら……」

ロンは何か不穏な事を考えているようだ。せっかくの『元気の出る呪文』も、すっかり効果が無くなってしまっていた。

「ハリーは?どう思う?」
「さあ、僕、動物相手に手紙や荷物を送ろうと思ったことも無いから……」

ロンもハリーも、何だか気もそぞろだった。きっと呪文学に出席しなかったハーマイオニーの事を心配しているに違いない。ハーマイオニーが授業に出ないなんて、未だかつて無いのだから。
そう、三人はいつの間にやら仲直りしていた。ペット事件は、何がどうなったのかロンとハーマイオニーの中で解決したようだ。
ペット……そうだ、ペット。クルックシャンクスがいる!彼はちょっとした物なら、届けてくれるのではないだろうか?でも、本当にちょっとした物だ……ヌガーとか、チキン一つだけとか……彼が運べる物……

私は弾かれたように食べ物を口に頬張ると、談話室に急いで戻った。私はクロに一週間近く会えていない――その間、彼は何を食べているのだろうか?きっとお腹を空かせているに決まってる。

談話室に戻ると、ハーマイオニーが机に突っ伏して眠っているようだった。相当疲れているらしい。きっと眠ってしまって、さっきの授業に出られなかったのだろう。

クルックシャンクスは探し回らずとも彼女の足元で大人しく丸まっていたので、すぐに見つかった。私はハーマイオニーを起こさないように細心の注意を払ってクルックシャンクスを呼んだ。彼はぐーっと伸びすると、私の元へブラシのようなしっぽを左右に振りながらやって来た。

「クロの所までお遣いを頼みたいの、いいかな?」

勿論、返事はない。二つの丸い目が、私を見つめ返すだけだ。しかし私はクルックシャンクスを抱きかかえて、寝室に向かった。それからこの間のホグズミード行きで買ったヌガーと、サンドイッチひと切れを新聞に包んだ。

「うーん……これ持てるかなぁ、やっぱり少し重いかも……」

そんな事を一人でぶつぶつ呟いていると、クルックシャンクスが徐ろに新聞の包みを口に咥えてみせた。その顔は心なしか得意気に見える。それからそれを咥えたままひらりと身軽にベッドから飛び降りると、しっぽをブンブンと振りながら寝室を出て行ってしまった。どうやらクロのところへ届けてくれるみたいだ。
私はあの包みが無事にクロの元へ届く事を祈りながら、次の占い学の教室へ急いだ。






それから暫く、クロの所へ行けない日々が続いていた。一人で外を出歩けなくなってしまったのと、そして何より試験がすぐそこまで迫っていたのだ。前以上にお城に箱詰め状態で勉強に取り組まなければならなかった。
勿論、行けない間は時々クルックシャンクスにお遣いを頼んでいたし、一度クィディッチのスリザリン戦があった日に、こっそり抜け出してクロに会いに行ったこともあった。その時のクロの喜びようときたら、千切れんばかりにしっぽを振って私を勢い良く押し倒すと、顔中よだれまみれになるまで舐め回して熱烈大歓迎をしてくれた。おかげでスタンドへ戻る頃には服は泥まみれだし髪の毛もボサボサ、顔はよだれでビチョビチョだったので、それを見たグリフィンドール生は私を見る度に目をむいた。

「今日は大事な試合だし興奮してしまう君の気持ちも分かるよ――でもいくらなんでもそれは暴れすぎだ」

ロンの言葉に、隣に座っていたディーンが激しく頷いていた。私はそんなロンの言葉を無視して顔のよだれをローブの袖口で拭うと、ハーマイオニーから応援旗を受け取った。グリフィンドールのシンボルであるライオンの描かれた、真っ赤な旗だ。ハーマイオニーも旗を渡す時に一瞬ギョッとした顔をした後、「何をどうしたらそんなになるって言うの?」と呆れたように目を回した。













***




試験最終日、
一番最後の試験は、占い学だった。

「どう?何か見えるかしら……さあ、見えたものをあたくしに教えて――」
「うーん、あ、何だか見えてきたような気がします――」

勿論嘘だ。私は占い学でちゃんとした予言が出来た試しがない。
適当に「あれは、えーっと、猫と――それから黒い犬」と呟くと、トレローニー先生はトンボのような大きな眼鏡の奥の瞳をギラつかせながら、興奮気味に「く、黒い犬?黒い犬って、あなた今そうおっしゃいましたの?」と食い付いた。

「はい、言いました――」
「それで?その黒い犬は何をしていますの?さあ――」
「猫と森の中を歩いています――楽しそうに」
「誰か苦しんだりはしていないかしら?眼鏡の少年とか――」
「眼鏡の少年?――いえ、見えません」
「そう、ではもうよろしいですわ――あと少しでしたのに……とても惜しかったわ……」

トレローニー先生は少し残念そうにそう言うと、興味をすっかり失った様子で羊皮紙に何か書き殴った。
どうせ適当なんだから、眼鏡の少年が見えるとでも言っておけば良かったかもしれない。そんな事を考えながら梯子を降りようとした時、思い出したようにトレローニー先生が「それからあなた、試験の内容を皆に話してはいけませんよ――もし話したりなんかしたら……ああ、とても恐ろしくてあたくしの口からは言えませんわ……」と演技がかった声で私にそう告げた。

梯子を降りきると、今にも倒れそうなくらいに顔を真っ青にしたネビルと目が合った。教科書を握る彼の手は、緊張からか僅かに震えているように見えた。それから皆の「どうだった?」の質問に何も答えずに肩だけ竦めると、軽い足取りで螺旋階段を降りた。

試験が終わった――日が沈む前の少しの時間、クロに会えるかもしれない。
私は大急ぎで階段を降りた。校庭を横切り、いつもの場所へ見つからないようにコソコソしながら向かう。校庭には試験が終わってひとときの息抜きを楽しもうとする生徒で溢れ返っていたが、誰も私の姿に気が付いている様子は無かった。

禁じられた森と校庭の境目でいつものようにクロの名前を呼ぶと、隣にクルックシャンクスを携えてクロは現れた。私はそのまま森に入ると、近くにあった大きな木の幹に寄りかかるようにして座り込んだ。
膝に飛び乗ってきたクルックシャンクスを撫でながら、僅かに森を吹き抜ける心地よい風に思わず目を閉じる。風に吹かれて森の木々が騒めく音と、遠くから聞こえる笑い声がやけに耳触りが良くて、まるで子守唄のようだ。それは試験で疲れ果てていた私を自然と眠りの底へ誘っていった。



――どれくらいの時間、そうしていただろうか。
フーッと威嚇する猫の声に驚いて、私ははっと目を覚ました。辺りはすっかり日が暮れてしまっていた。こんなところを見つかってしまったら、間違いなく大目玉だ。
立ち上がろうとしたが、どうもクルックシャンクスとクロの様子がおかしい――クルックシャンクスは毛を逆立てて威嚇した声をあげながら目を爛々とさせて、校庭の方をじっと見つめている。隣のクロも同じように、耳も背筋もピンと立てて何かを警戒するように見ていた。
それから「あっ!」と思った時にはもう遅く、クルックシャンクスとクロは校庭に向かって走り出していた。

「ま――まって、クロ!!」

私も無我夢中で走り出していた。何度も足がもつれて転びそうになりながら校庭の芝生を駆け抜け、追いかけた先にはハリー、ロン、ハーマイオニーの三人がいた。

「ナマエ――?!」

ハリーが驚いて声を出した瞬間、クロは三人に飛び掛かっていった。高く飛び上がったクロの前足が、ハリー達を後ろに勢い良く押し倒した。三人はドミノ倒しのようにその場に倒れ込んだ。
兎に角、何故か興奮状態になっているクロを今すぐ止めなければならない。しかし、私が「だ、だめ――!」と飛び出すよりも先に、クロはすぐさま急旋回をして今度はロンへ襲い掛かっていた。クロがロンの腕に噛みいたので、ハリーも必死にそれを引き剥がそうとしたが、それも虚しくロンはズルズルと引きずられて行ってしまった。

「クロッ――クロ!!」
「ナマエ!危ない――っ!!!」

激しい痛みが私を襲った。全身を何か大きなハンマーのような物で殴られたような感覚だ。私の身体は宙を舞っていた。
あまりの衝撃に、私の意識が遠のき初めていた――遠くで「助けを呼ばなくちゃ――」と言うハーマイオニーの叫び声が聞こえる――私はそこで意識を手放し、全てが真っ暗になった。






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