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 湖の端のブナの木陰から、ナマエ・ミョウジは口論する男女の姿をじっと見つめていた。すっかり日が沈み、夕食時だと言うのに二人の男女は激しく言い争っている。一際大きな声で女の方が罵声を浴びせると、右手を大きく振り上げて男の頬を叩いた。それから女は涙を流しながら、温かい光の灯るホグワーツ城へ走り去って行った。

「彼女、泣いていたわ。可哀想」

 ブナの木陰から音も立てずに男に近付き、ナマエはそう小さく呟いた。男はその声に甚く驚き、頬を押さえながら二、三歩後ろによろめいた。

「……立ち聞きなんて、随分悪趣味なゴーストもいたもんだ」

その男はそう言うと、ぶすっとした顔でその場にしゃがみ込んだ。

「しょうがないじゃない。喧嘩している男女を見ると、どうしても気になってしまうんだもの。あなたお名前は?」
「……シリウス・ブラック」

 シリウスは尚もむくれた顔で湖を睨みつけていた。頬をぶたれたことに、納得がいかないという様子だ。ナマエはそんなシリウスを見てクスクスと悪戯っぽく笑うと、すーっと近付いて隣に同じように座った。

「俺、あんたのこと初めて見た」
「そうね、私いつもは女子寮のバスルームに居るもの」
「へえ、それがなんでこんなとこまで?」
「さっきも言ったけど、喧嘩している男女がいると気になっちゃうの」

ナマエはそう言いながら悲しげな表情でシリウスを見つめ返した。半透明な彼女の身体は、遠くのホグワーツ城の灯りを受けて不思議な光を帯びている。

「私、ボーイフレンドに振られたことがあまりにショックで、バスルームで死んだの。そしたらゴーストになっちゃった。だから仲違いしてるカップルを見ると居てもたってもいられなくなって……」
「あんた、随分な大恋愛してんだな」
「私、好きになったら一途なの」

ナマエはまたしても悪戯っぽくふふふと笑った。

「俺はそこまで誰かを愛せるあんたが羨ましいよ」
「あーら?そんなことないわ。あなたにもきっと現れるわよ、そんな人が。……それに、私と違ってあなたはちゃんと生きてるんだから」

ナマエは寂しげに目を細めて湖を見た。水面には満月になりかけの月のシルエットがキラキラと漂っていてとても幻想的だった。

「だからさ、さっきの彼女にも謝ってきたらどう?後悔する前に」
「俺は振られたんだよ」

シリウスの予想外の返答に、ナマエは「こんなにハンサムなのに?」と驚いて、ふわっと数センチだけ飛び上がった。それに対してシリウスは「ああ、そうだろ?」とニヤっと笑った。

「でもきっと、あなたならすぐにかわいいガールフレンドが出来るわね」
「そーだと良いけど」

シリウスはすっかり気分が良くなっていた。ぶたれた頬も、全然痛みを感じない。シリウスのお腹が、思い出したように「ぐー」と鳴った。

「ふふふ、そろそろ夕食の時間ね。私も戻らないといけないわ」
「……あのさ」
「なーに?」

ナマエはくるりとシリウスに振り返った。シリウスは何やら良いことを思い付いたとでも言うような、悪戯好きな子供のような顔をしていた。

「名前、なんつーの?」
「ナマエ・ミョウジよ」
「ナマエ……よし、じゃあナマエ、もし俺が死ぬまで独り身だったら、俺がナマエを引き取ってやるよ」

シリウスはそう言って、ニヤっとナマエに笑いかけた。





***





 一年後、またしても男女の口論を聞きつけてナマエは堪らずにバスルームを飛び出していた。ぴゅーっと飛んで行った先はまたしても湖のあのブナの木の近くで、「まさか」と思ったナマエはあの時と同じようにブナの木の陰に身を潜めた。


――バチンッ


 乾いた音が静まり返った湖に反響して聞こえた。女が泣きながらわっと走り出し、ナマエの身体をすり抜けて行った。

「また女の子を泣かせたのね?」

 ナマエは思い切り顔を顰めながら腕を組んでその場にいた男――シリウス・ブラックに近付いてそう言った。

「別に泣かせたくて泣かせたわけじゃねーよ。それに俺はまた振られたんだ」
「もっと大切にしてあげなさいよ」
「大切にって、どうやって」

シリウスは本気で分からないという顔でナマエを見つめ返した。ナマエはそれに対して信じられないという表情を浮かべると、それから「あなたハンサムなくせに女心のひとつも分からないのね!」と憤慨した。

「良い?きっとさっきの彼女はあなたに引き止めて欲しかったのよ。それなのにあなたときたら……」
「だからってぶつことあるかよ?」

ナマエはそんなシリウスに向かってはぁーと深くため息をついた。
 それからナマエはシリウスに辛抱強く一つ一つ女心の何たるかを言って聞かせた。シリウスはその度にうんざりしたような声を上げていた。

「私、もしかしたらあなたと一緒になるかもしれないから今からこうして女心を教えてるのよ?」
「あー、はいはい。うんざりするような女心の話聞いてたらなんだか本当にナマエと一緒になるような気がしてきたよ」
「何でそんなに嫌そうなのよ?」

ナマエはそう言ってむくれた顔をした。
シリウスが「そうならないように少しは努力しねーとな」と言うと、ナマエは「シリウスひどい!」とシリウスに向かって拳を振り上げた。しかしナマエの半透明な拳は虚しくもシリウスの身体をすり抜け、そのことでさらに悲しくなったナマエは、泣きながらホグワーツ城の方向にすーっと消えていった。





***





「随分時間がかかったのね」

 あの日のブナの木の陰でしゃがみ込んでいたナマエは、不貞腐れた顔で傍らに立つシリウス・ブラックにそう投げかけた。

「おいおい、寧ろ早かっただろう?」

そう笑いながら言うと、シリウスはあの日と同じようにナマエの隣に座った。あの頃と違うのは、シリウスがナマエより歳を取っていることと、彼の身体もナマエと同じようにホグワーツ城の光を受けて輝いているということだ。

「私、あなたが本当に来ると思わなかったわ」
「俺だってまさか本当に死ぬまで独り身だとは思わなかったよ」

シリウスは懐かしむようにホグワーツ城を見た。初めて出会ったあの頃と違って目元に皺が刻まれてはいるが、それでもシリウスは相変わらずハンサムだった。

「それにこんなに年上になっているなんて想定外ね」
「俺より何十年も長く生きてるくせに良く言うよ」

先程からブーブー文句を言っているナマエに、シリウスは呆れた顔で肩を竦めた。

「……遅くなって悪かったよ。まあ、約束通り仕方ないからもらってやる」
「仕方ないってどういうこと?それに"もらってやる"って、私の台詞だわ」

ナマエの言葉に、シリウスはアッハッハッと大口をあけて笑った。確かにそうかもしれない、とシリウスは思った。随分長い間彼女を待たせてしまった。あの日の約束をすっぽかしてしまう可能性も十分にあったというのに、彼女は一途に待っていたのだ。
 シリウスは、ナマエが「私、好きになったら一途なの」と微笑んで言ったあの日を思い出して、自然と笑みがこぼれていた。

「まぁ、これから先ずっと一緒なんだから仲よくしようぜ」
「うーんそうね、でももしあの日あなたに私が教えてあげたことをちゃんと覚えているなら、今私がどうしたら喜ぶか分かるはずだわ」

ナマエはシリウスに悪戯っぽくニヤっと笑った。
それから二つの透明な影がゆっくり近付き――重なり合い――溶けた。




さよなら、やっと会えるね
title by … すいせい様

Happy birthday



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