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急勾配な丘を登りきり、チェスのルークの様に奇妙な縦長の家を見上げながら、ここに来た事を私は酷く後悔していた。
"ザ・クィブラー編集長 X・ラブグッド"
"ヤドリギは勝手に摘んでください"
"スモモ飛行船に近寄らないでください"
そう書かれた三枚の看板がこの家に住む住民が変わっている人だと語らずとも教えてくれている。私は途端に目眩がしそうになった。
叫び声に似た金属音を響かせている今にも壊れそうな門を押し開くと、玄関までジグザグと道が続いていた。右にも左にも道なりに奇妙な植物が植えられており、私は極力どれにも誤って触れてしまわない様に縮こまりながら玄関へ進んだ。
黒い扉の前に来ると、私は鷲型のドアノッカーを掴んでコンコンと数回ノックした。するとバタバタと走り寄る音が家の中から聞こえ、それからゆっくりと扉が開いた。
「……あんた、誰?」
眠たくなるようなゆったりとした声で、中から顔を覗かせた少女が私に尋ねた。私を見つめるその目は、普段からそうなのかびっくりしたようにまん丸だ。
「私、ナマエ・ミョウジです。今日来る事、お父様から聞いてない?」
「パパは今旅行の準備で忙しいんだ。だってガルピング・プリンピー避けにガーディルートを沢山持っていかなきゃいけないでしょ?」
彼女は何故か最後の方は内緒話をするように少し小声で話した。まるでそれが何か重大な任務であるかのような口ぶりだ。私は彼女が話している事を何一つ理解する事は出来なかったが、「ああ、そうなの」と適当に相槌をうった。
「あんたも私達と一緒にしわしわ角スノーカックを探しに行くの?」
「しわしわ……なんですって?」
「しわしわ角スノーカックだよ」と彼女は至って真面目な顔でそう答えた。彼女が会話するのと合わせて、オレンジの蕪のようなイヤリングが小さく揺れる。玄関に続く途中で見かけた植物と同じ物だ。
「ルーナ、ダメじゃないか客人をこんな所にいつまでも立たせていては」
「ああ、ラブグッドさんこんにちは」
彼女の後ろから音もなくぬるりとゼノフィリウスが現れた。彼は何とも奇妙な柄のローブを纏っており、おまけに裸足だったので、私は初め寝巻きのままなのかと思ってしまった。彼に笑顔で挨拶をすると、「ミョウジさん、お待ちしてました。どうぞどうぞ、お上がりください」といやに丁寧に私を迎え入れた。
ラブグッド宅は外観から想像した通り、家の中も妙ちきりんだった。円形のキッチンで、色鮮やかに花や鳥などの絵が至る所に描かれている。私はまるで不思議な場所に迷い込んでしまったかのような感覚を覚えた。
「今、お茶を入れますから」
「あ、いえ、お構いなく」
「ガーディルートのハーブティーだから飲んだ方がいいよ。リラックス効果があるし、飲むと頭が冴えるんだ」
ルーナは夢見るようにそう言った。その瞳は私に向けられていたが、私の遥か後ろを見ている様に思えた。
「それじゃあ、いただきます」とルーナが引いてくれた奇抜なペインティングがされた椅子に座ると、ゼノフィリウスがキッチンからティーカップとポットをお盆に載せて現れた。
ティーカップとソーサーは色も柄もちぐはぐで、お盆の上で危うげにカチャカチャと音を立てながら揺れている。それからカップに注がれた赤紫色をハーブティーを見た瞬間、私はいただくと言ってしまったことを少し後悔した。見るからに不味そうだ。
口を付けないのは悪いと思い、ティーカップに手を伸ばすと、ルーナが「待って!」と私からティーカップを奪った。
彼女はへんてこな眼鏡を徐に取り出して掛けると、ティーカップを色々な角度から観察し、それから杖でカップを2回コンコンと叩いて何やら呪文を唱えた。ハーブティーはブクブクと泡を吹き出し、次第に落ち着くとルーナは満足気に「これで大丈夫だよ」と私にティーカップを渡した。
「今なにしたの?」
「ラックスパート避けだよ。魔法省がラックスパートをばら撒いてるの」
私は面食らった様にルーナを見た。しかしルーナは気にも止めぬ様子で魔法省が小鬼を虐殺している等というとんでも話を続けた。きっとゼノフィリウスが普段からルーナに魔法省の悪行をあることないこと吹聴しているのだろう。
「ところで、お伝えした通りカメラは無音の物にしてきてくれましたかね?何せスノーカックは恥ずかしがり屋で臆病なもので……」
「ええ、フラッシュの問題も解決しましたよ。そっち専門の方に協力してもらいながらどうにかこうにか……少し大変でしたけど」
そう言いながら鞄からカメラを取り出して掲げれば、ルーナはそれを見て「あ!」と素っ頓狂な声をあげた。
「あんた、日刊予言者新聞をクビになったカメラマンだ」
ルーナは不躾にそう言った。彼女は相変わらず焦点の定まらないような夢見る表情で私を見つめている。恐らくゼノフィリウスが彼女にペラペラと話したに違いない。恨みを込めた視線をゼノフィリウスに向けたが、彼は何処吹く風でガーディルートのハーブティーに舌鼓を打ちながら、窓の外の景色にうっとりとしている。
それからルーナは悪気がちっとも無い様子で「何でクビになったの?」と続けた。
「……ハリー・ポッターを支持していたからクビになったの」
「でも、結局ハリーは正しかった。あいつらパパから記事を買ったよ」
「結果としてはそうだね。でも私は無職になった」
ぶつけようがない憤りを飲み込んだ。結局ハリー・ポッターの話していた事が事実だったと世間に知れ渡った後も、日刊予言者新聞から私に戻ってくるように声は掛からなかった。結局彼等はハリー・ポッターの一件を理由にただ私をクビにしたかっただけなのかもしれない。
「でもそのおかげでここに来てくれた。私あんたが来てくれて嬉しいよ」
ルーナは嘘偽りの無い澄んだ目で私をみた。
◇◇◇
「あなた、レイブンクローだったの?」
夏のスウェーデンは夜だと言うのにまだ夕方かの様に明るかった。その北部にある森の奥深くをゆっくりと歩きながらルーナに尋ねると、彼女は「うん。"計り知れぬ英知こそわれらが最大の宝なり!"」と宙を見ながら答える。
私はルーナがレイブンクローにいる姿を一瞬だけ想像した。とてもじゃないがあの寮に馴染んでるとは到底思えなかった。と言うか、きっと彼女はどの寮にいてもきっと浮いていると思う。私は思わず「浮いてるでしょ?」と喉元まで出かけた言葉をすんでのところで飲み込んだ。
「でも私、変わってるって言われてるんだ」
ルーナは呑気にそう言いながら急に立ち止まり、近くに生えていた木の樹皮を心底興味深げに見ている。考えていた事を見透かされてしまった様に感じて私は何と言えば良いか分からなくなり、同じようにルーナの隣に立って樹皮をじっと見つめた。ルーナが熱心に見つめる程の興味深さを私はその樹皮に見出すことが出来なかった。
「あっ!」
ゼノフィリウスが、突然抑えた声量で声をあげた。ルーナと同時にそちらに振り向けば、彼は一際大きな木の影に身を潜めながら、此方にゆっくり手招きをしている。私達は足音を立てないようにしながら早歩きで向かった。
「今スノーカックの角が見えた様な気がするんです、さぁミョウジさん、シャッターチャンスを逃さないで……」
ゼノフィリウスが囁く横で、私は静かにゆっくりとカメラ越しに木の向こう側を見た。確かに、湖の畔に角の生えた何か生き物の群れが見える。私はカメラをズームアップした。
しかしあれは……
「パパ、あれユニコーンだ」
「おや?……ユニコーンだ」
「……ユニコーンですね」
カメラが捉えたのは、ユニコーンの親子だった。毛が金色なのを見ると、子の方は産まれたばかりの様だ。
「ユニコーンの赤ちゃんだ」
「あれとっても珍しいですよ!中々見れません。私ちょっと写真撮ってていいですか?」
ゼノフィリウスはスノーカックじゃないと分かると途端に興味を失ったのか、「どうぞお好きなように……私は今日の寝床の準備をするよ……」とフラフラどこかへ行ってしまった。
私はひとしきり写真を撮ると、ふぁーと大きな欠伸をした。時計を確認すると、既に夜の12時を回っている。空が明るくて、全然気が付かなかったのだ。
「ルーナ、もう夜遅いしお父様の所に行こう」
「……うん」
ゼノフィリウスを探しながら湿り気の多い土を踏みしめる。星のひとつない明るい夜空を仰ぎながら、私は「スノーカック、いるのかなぁ」と半ば諦めに似た呟きをこぼした。
「いるよ。だからパパと私が最初に見つけてそれを証明するんだ」
ルーナの瞳はオレンジの光を浴びてキラキラ輝いている。きっと彼女達が信じ続ける限り、しわしわ角スノーカックはこの世界に存在し続けるのだろう。
私は呆れより先に、その揺るぎない信念に心が動かされていた。ハリー・ポッターの発言を信じてクビになった私にとって何かを信じる事自体、今や躊躇いがある。しかしこの親子は自分達が信じている物を臆すること無く口に出し、探求し続けている。私はこの親子を信じたい。その結果がどちらに転ぼうと最早関係が無かった。
「その時は私も一緒に」
そう伝えると、ルーナは私を見て微笑んだ。その時初めて瞳がしっかりとかち合った気がした。
一角獣