62 クソ爆弾とにっこり男




グリフィンドールの談話室に戻ると、談話室はホグズミードに行けない下級生の子達で溢れ返っていた。普段は上級生に占拠されている暖炉の前で宿題をしたり、呪文の練習をしたり、皆思い思いのことをしているようだ。
しかしそんな中、突然上級生の私が談話室に戻ってきたものだから皆が一斉に私の方を見た。何人かは私の姿を見て驚いて縮こまり、小さい身体が更に小さくなってしまったように見えた。
私はそそくさと下級生の間を縫って寝室に向かった。水曜日に提出しなくてはならない天文学の宿題に取りかかるためだ。きっと、こんな下級生だらけの談話室では落ち着いて勉強も出来ないだろう。

私にとって、気を紛らわすには勉強をするのが一番良かった。必死に宿題のことを考えていると、一時的にだが嫌なことを忘れられる。苦手な勉強がこうして役立ってくれているというわけだ。気が紛れるうえに宿題も終わらせられる。まさに一石二鳥だ。

ちょうど星座図を書き終えるタイミングで、寝室のドアが開く音がした。途端に騒がしい話し声が聞こえてきて、リリー達が戻って来たのだと分かった。

「あらナマエ、早かったのね?」
「……うん、まぁね……バレンタインデーの限定メニューどうだった?」
「最高だったわ、"メニュー"はね!」
「もー右も左もカップルだらけで本当に最悪よ!」
「あ、ナマエ、パトリシアって子覚えてる?レイブンクローの!あの子もいたのよ。レイブンクローのクィディッチ選手のジョージとよろしくやってたわ」

皆が皆矢継ぎ早に話し始めるので、私は目を白黒させながら「えー、へぇ、そうなんだ」と間の抜けた相槌を打った。

「……それよりナマエはどうだったの?宿題の進みを見るに随分早く帰って来たようだけど」

リリーの鋭い質問に私は思わず目を泳がせた。リリーには何でもお見通しというわけだ。すぐさまそれにマーニーが食いついた。

「まーた喧嘩したのね?ほらね、言ったでしょ?どうせ喧嘩して帰って来るって」

マーニーが同意を求めるように3人の顔を見回した。私がいない間にまたしてもそんな話を好き勝手にしていたらしい。マーニーのその口振りに何だかムッとした私は少しだけ反論した。

「別に喧嘩ってわけじゃ……今日は奢らなくて良いって言って帰って来ただけだよ」
「それで一方的に帰って来ちゃったってわけ?」

4人は呆れたような表情で私を見た。
確かに、シリウスの厚意を無下にしてしまったのは悪かったと思っている。でも、あのままあの場に居てももっと口喧嘩になって関係が悪化していたような気がする。寧ろこの程度で収まって良かったと言えると思う。それに、あの1年生の頃の話はお互いに譲らず水掛け論で終わりそうな雰囲気だった。


「……あのさ、私って1年生の頃、シリウスと仲良かったっけ?」
「何、急に」

私の問いかけに、4人はキョトンと目を丸くした。

「どうだったかしら……私は最初のコンパートメントで彼等と一緒になってからずっと嫌いだったけど……」
「そうね、リリーがジェームズとシリウスを嫌っていたのは私も間違いなく覚えてるけど……ナマエはどうだったかしらねぇ」

そうなのだ。リリーは初めからあの2人が大嫌いだった。何でも、最初のコンパートメントで一緒になった時に嫌なことを言われたらしい。リリーと仲良くなった時に、その話をされたことはなんとなくだが覚えている。
しかし自分はどうだろう。1年生の頃を思い出そうとしても、薄もやがかかったように全く思い出せないのだ。いつでも思い出すのはシリウスの傲慢な顔と、「ブス」のあの一言だけだ。
もしかしたら、私は1年生の頃の記憶を無意識のうちに封印してしまっているのかもしれない。防衛本能というやつだ。

「……それがどうかしたの?」
「んーん、何でもない」
「ふーん……あ、ナマエ、エウロパの綴りを間違えてるわ」

リリーは訝しげな視線を私に向けた後、私の星座図を覗き込んでそう言った。「EauropaじゃなくてEuropaよ」

その後は皆で協力しながら来週提出分の宿題の山を片付け、何やかやしているうちにあっという間に夕食の時間になっていた。


大広間に着いて、目の前のミートパイに真っ先に手を伸ばす。今日はホグズミードに行ったというのに何も飲まず食わずで帰って来てしまったから、すっかり腹ぺこだった。
美味しそうな湯気を立てている焼きたてのパイを切り分けて口に運ぼうとした時、向かいに座っていたキャシーが大広間の入口の方を見ながら「あ、」と突然声を上げた。思わず視線をそちらに向ければ、ちょうどシリウスがポッターと並んで大広間に入ってくるのが目に飛び込んだ。

シリウスは明らかに私を見ていた。それも恐ろしく不機嫌な顔で。目が会った瞬間に心臓をぐっと掴まれるような何とも言えない感覚に陥り、私は咄嗟に視線を目の前のミートパイに落とした。その後も何だか見られているような気がしたが、私は頑なにシリウスに視線を向けなかった。そのせいですっかり縮こまって落ち着かなくなり、せっかく美味しいはずのミートパイも何だかゴムを食べているかのようだった。



それでなくても不機嫌なシリウスを、更に不機嫌にさせる出来事が起きた。
クィディッチのグリフィンドール対ハッフルパフ戦が控えた土曜日の朝食の時間に、ハッフルパフのモーリスが私に声を掛けてきたことがきっかけだった。

「やあナマエ!」
「モーリス!おはよう」

モーリスとはクリスマスパーティー以降は顔を合わせたら挨拶を交わすぐらいの関係値だったので、突然話しかけてきたことに心底驚いた。

「今日は正々堂々、よろしく!」
「……え、ああ!そう言えばモーリスってクィディッチの選手だったね!怪我しないように、頑張って」

我ながら薄情だが、モーリスがクィディッチ選手だということなど、すっかり忘れてしまっていた。私が笑顔でモーリスにそう言うと、彼は歯を見せながら親指を立てた。

「対戦相手を応援するより、まず自分のチームの選手を応援するべきだよな」

嫌味ったらしいその物言いに、思わず振り向く。
すると予想通り、シリウスがまるで今のは独り言だったとでもいうような顔で斜め前の席でトーストを齧っていた。頑なにこちらを見ることなく、表情は相変わらず恐ろしく不機嫌そうだ。
反論したくても、何か言ったところで「さっきのはただの独り言」として片付けられてしまいそうで、何も言い返すことが出来なかった。
そのままシリウスの左隣に座っていたリーマスと目が合うと、彼は困ったような顔で笑って肩を竦めた。

ただなんとなく、今日の試合はグリフィンドールが勝つような気がしていた。勿論、グリフィンドールの選手が"今年は絶対に勝つ"という執念に燃えているのをひしひしと感じていたというのもあるが、何よりポッターの気合いの入りようが違かったからだ。
その気合いはポッターの髪の毛にも現れていた。いつもは無造作にぴょんぴょん跳ね上げている髪の毛が、今日の朝見た時には別人級に綺麗に収まっていたのだ。まるで髪の毛までもが、冷静に落ち着き払っているかのようだった。

そして案の定、その日の試合はグリフィンドールが勝った。
例年の如く、グリフィンドールの談話室はお祭り騒ぎだった。誰がどこからくすねてきたのか、バタービールの他に、糖蜜パイやファッジまでもが振る舞われた。
最初こそクィディッチの代表選手を称えてのパーティーだったのだが、いつしかただのどんちゃん騒ぎとなり果て、私達が寝室に戻ったのも深夜1時過ぎだった。




***


「マーニー、いつまで寝てるの?」
「起きないんだったら私とリリーは先に図書室に行ってるからね!」

次の日の朝早く、図書室で勉強をする約束をしていたマーニー達を揺すり起こしたが、彼女達はまるで死んでいるかのように熟睡してピクリともしなかった。それもそのはず、彼女達がベッドに入ったのは私達よりも更に遅い時間だったからだ。リリーは呆れたように肩を竦めると、「もう置いて行きましょう」と寝室を後にした。

長い階段を何段も下りて、時々抜け道を通りながら図書室に続く廊下に出た。その瞬間、ドーンと地響きのような爆発音が廊下に響き渡った。前方を見れば、数メートル先の図書室近くの廊下でもくもくと煙が立ち上っている。私とリリーは顔を見合わせ、その煙の元へ駆け寄った。その煙は近付けば近付く程にひどい異臭を放っていて、すぐにクソ爆弾だと気が付いた。

「ピーブスがここでクソ爆弾を大量に爆発させたの!」

近くにいた3年生のハッフルパフの女の子が鼻をつまみながらそう言った。臭すぎて、涙をヒーヒー流している。暫くすると、どこからともなくフィルチが「ピーブスの奴、今日という今日は……」とブツブツ言いながら現れた。

「ナマエ、私先生を呼んでこないといけないから、先に図書室に入っててくれる?」
「うん、分かった」

リリーは困ったように眉毛を下げてそう言うと、すぐさま職員室のある方向へ駆け出して行ってしまった。

監督生は大変だなぁ、なんて呑気なことを考えながら図書室に入り、今日の宿題に使う本を探し始める。今日は変身術の「消失呪文」に関するレポートを仕上げる予定だった。それに使えそうな本を本棚を見回して探し出す。
Vanishing消失だから「V」の棚、「V」の棚っと――

暫く目を走らせ、やっとの思いで背を伸ばせばギリギリ届きそうな場所に「消失と出現の原理」と書かれた本を見つけ出した。よいしょ、と本を取るために背伸びをする。刹那、その本は虚しくも私の手に収まることはなく、突然私の後ろから伸びた大きな手に奪われてしまった。
驚いて振り向けば、ポッターが腹の立つ表情を浮かべながら本を掲げて私のすぐ真後ろに立っていた。

「私が先に見付けたのに」
「でも僕の方が取るのが早かった」
「……返してよ」

ポッターは私の伸ばした手から逃げるように後ろにひょいっと下がると、それから急に鼻をくんくんと鳴らし始めた。

「ん?何だか君、臭わないか?」

なんとデリカシーのない男だろう。私はすぐさま「さっき廊下でピーブスがクソ爆弾を爆発させたからだよ!」と反論した。

「あー、僕がさっきあげたクソ爆弾、そんなすぐに使っちゃったんだ」
「あなたがあげたの?」

……信じられない。呆れと驚きの入り交じった表情でポッターを見れば、彼は「だって持ってるのがフィルチに見つかりそうだったからさ」と悪びれることもなく言ってのけた。
昨日の試合で感心したというのに。そんなんだからリリーがいつまで経っても振り向いてくれないんだ、と心の中で悪態をついた。

「……そんなことより、君のこと探してたんだよ。シリウスとまた喧嘩したんだろう?君達も懲りないね」

またそのことか、とうんざりした。

「……別に喧嘩はしてないよ」
「いーや、そんなはずないね。君とホグズミードに行ってからシリウスの機嫌がずっと悪いんだから」
「彼の機嫌が悪かろうと、私の知ったことじゃないわ。そもそもシリウスが訳の分からないことを言い始めるから……」
「訳の分からないこと?」

そのタイミングで、マダム・ピンスのおっほんという咳払いが聞こえてきた。ちらりと見遣ると、マダム・ピンスが苦々しい表情で此方を見ているのが分かった。私は声を潜めて続けた。

「……シリウスが、1年生の時に私と仲が良かったって言い始めたの」

そう言うと、ポッターは驚いたようにハシバミ色の目を瞬かせて私を見た。思わず私もポッターを見つめ返す。

「君覚えてないのかい?」
「……何が?」
「君が突然シリウス……というか僕達のことを避け始めたんだろう?」
「そんなはず……!」

ここで二度目の大きめなおっほんが聞こえた。マダム・ピンスが腰を上げて立ち上がりかけている。
私はイライラしながら防音呪文を唱えると、「そんなはずない!」とポッターに言い返した。

「わお、君いつの間に防音呪文なんか出来るようになったんだい?」
「バカにしてるの?……兎に角、私が先に無視するなんて有り得ないよ。私はシリウスに"ブス"って言われたから――」
「本当にそれがシリウスの一番古い記憶かい?」

そうポッターに問われて、私は言い返せずに押し黙った。
記憶が曖昧なのは事実だった。――もしかしたら、今までの私はシリウスに"ブス"と言われたから避けるようになったと思い込んでいたのかもしれない。認めたくは無いけれど……もしシリウスやポッターが言うようにそれが事実なのであれば、謝るのは私の方なのでは無いだろうか。

依然だんまりとしている私に、ポッターは呆れたようにため息をつくと「まあ何でもいいからさ、さっさと仲直りしてよ」と私の頭の上に「消失と出現の原理」の本をポンと乗せた。

「そういや僕、変身術は得意なんだった。それ返すよ」

そう言いながらにっこりとムカつく笑顔を浮かべ、ポッターはさっさと図書室を出て行ってしまったのだった。







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