57 わたしの名前、あなたの名前




なんと奇妙な光景だろうか。
私のベッド脇の椅子に、シリウス・ブラックが今日も今日とてボウトラックルのようにスラッとして長い足を偉そうに組んで、"闇の魔術に対する防衛術"の教科書をパラパラと捲っている。昨日と同じようにお見舞いに来てくれたリリーや同室のマーニー達は、困惑した様子で心底居心地の悪そうな表情である。そんな沈黙もちっとも気にしていない様子で、ブラックが「で?」と声を上げた。

「勉強、どっからやる?」
「……ちょっと待ってブラック、私達全く状況が読み込めないんだけど」

リリーが眉を吊り上げてブラックを制止した。リリーは鼻の穴を膨らませて、説明しろと言わんばかりに私とブラックの顔を交互に見ている。これは、面倒臭い時のリリーだ。

「えーっと、何か良く分からないけど、ブラックが闇の魔術に対する防衛術の勉強を教えてくれることになった……のかな?」
「いちいち説明なんか必要か?兎に角そう言うことだからエバンズ、お前はそれ以外の勉強でも教えてやってくれよ」

尚も眉を吊り上げて何か言おうとしたリリーの言葉を遮るようにマーニーが「そう言うことなら私達はまた後で来るわ!」と言うと、リリーの腕を引っ張るように医務室を出て行ってしまった。
去り際、リリーは声を出さずに「あ・と・で!」と口をぱくぱくさせた。

「……で?」
「あー、何だっけ、どこからやるかだよね、えーっと……」
「ちげーよ。……で、お前はいつになったら俺のこと名前で呼ぶわけ?」
「は?」

教科書を捲っていた私は驚いて思わず顔を上げ、ブラックの灰色の瞳とばっちり視線がかち合った。ブラックは今まで何度も見た高慢ちきな表情で、ニヤリと笑っている。

「……な、名前?」
「なぁナマエよ、俺は今までずっとちゃーんとお前のこと名前で呼んであげてたよなぁ?」
「バカ、って余計なのが付いてたけどね」

じとっと睨み付けたが、ブラックは素知らぬふりだ。
名前で呼べだなんて、急に何なんだこの男は。昨日の夜から、ブラックとの距離感が良く分からない。今やブラックは頬杖なんかついちゃって、期待するように此方を見ている。名前で呼ぶまで勉強は始まらなさそうだ。

「……シリウス
「んー?聞こえねぇなぁ」
「……シリウス!もう良いでしょこれで!早く勉強!」
「おうおう、それじゃあやるか」

シリウスは満足そうに笑うと、「ここの復習からやろうぜ」とまね妖怪ボガートのページを開いて見せた。

……全く、なんでこんな辱めを受けなきゃいけないんだ。顔が沸騰したみたいに熱い。

その後、ブラックと言いかける度にシリウスと言い直しを強制されて、その度に私はまね妖怪ボガートの説明文を何度も読み返して、必死に冷静さを取り戻そうとしていた。




その日の夕方、マダム・ポンフリーに「月曜日には授業に戻って宜しい」と告げられた。
医務室での生活はまさしく刑務所だったので、グリフィンドールの寮に戻れると聞いた時は心の中で狂喜乱舞した。それもそのはず、マダム・ポンフリーは起きている限り私の様子を逐一監視して、少しでも無理な動きをしようものなら看守よろしくすっ飛んでやって来るからである。彼女はきっとアズカバンの看守になっても上手くやっていけるだろう。
その後、案の定と言うべきか、リリーが眉毛を吊り上げながら医務室にやって来た。

「昼間のこと、説明してくれる?まさかだけど、また何か脅されてるんじゃ無いでしょうね?そもそもあなたに怪我を負わせた諸悪の根源はあいつなんだし……」
「ま、まさか!違うよリリー、あのね、シリウスは私にちゃんと今までのことを謝ってくれて……」
「……ちょっと待って、私の聞き間違いかしら?シリウス?ナマエ、あなた今シリウスって言った?それに、謝ったですって?」

リリーは信じられないと言った様子で、口をあんぐりと開けて呆然としていた。そのままその顎が外れてスリザリンの地下牢まで突き破ってしまいそうだ。リリーは暫く呆然としていたが、それからひと呼吸おいて冷静さを取り戻すと、改まって「……そう」と呟いた。

「……そう、そうね、そう言うことなら、うん、まあ私からは何も言わないわ。それに、教える教科がひとつ減ったんだもの。確かに、闇の魔術に対する防衛術は彼の方が私よりもより上手くナマエに教えてあげられると思うし」

リリーは何やらまるで自分に言い聞かせるようにそう言った。

「リリー、ごめんね。教えてくれようとしてたのに相談もなく決めちゃって」
「いいえ、良いのよ!ただびっくりしちゃって」
「……でも月曜日になったら授業に戻れる予定だし、それまでの間の話だから」

「それは良かったわ!」とリリーは笑顔でそう言ったが、私の目にはまだ動揺しているように見えた。





***




日曜日の昼休み、いつものようにシリウスが教科書と羊皮紙を抱えてやって来た。

「よう、お前すっかり元気だな」
「うん。明日から授業に戻って良いって」
「そりゃ良かった。じゃあ今日は試験に出そうな問題でもやるかな」

そう言いながら教科書を捲っているシリウスに、私は入院中にずっと思っていた疑問をぶつけた。

「ねえ、ずっと思ってたんだけど……ポッターは?」
「……はぁ?ジェームズが何?」
「いや、いつも一緒なのにそう言えば一回もここに来ないなぁって」

そう、ジェームズ・ポッター。運命共同体のようにシリウスといつも一緒のあの男が、私が入院している間、一度も医務室に現れなかった。リリーなんか、シリウスが医務室に来ていると知ってから毎日ポッターに警戒しながら私に会いに来ていたのに。

「なんだナマエ、お前ジェームズにここに来て欲しかったのか?」
「いや!そういう意味じゃなくて……」
「まぁ、あいつは"空気の読める男"だからな」

思わず眉根を寄せてシリウスを見た。
ポッターが空気を読める?アルファベットが読める、の間違いではないだろうか?彼に空気を読むなんて概念があるとは到底思えない。空気は吸って吐くものだ、という脳みそしか無さそうなのに。

「でも一応ジェームズもお前の"頭"の心配はしてたぜ。テスト前なのに頭をぶつけた衝撃で全部呪文を忘れちまったんじゃないかーってな、っておい、マダム・ポンフリーが見てるぞ」

ケラケラ笑っているシリウスに枕を投げつけようとしたが、マダム・ポンフリーが目ざとく此方を睨み付けていたので手を引っ込めた。それを見てまたシリウスが愉快そうに笑っている。この男、意地悪を言うのはこの先も止めるつもりが無いらしい。

「月曜日に退院するんだろ?そしたら今度は実技だな」
「……実技も?退院するまでの間だけじゃ無かったの?」
「いや、O.W.L.試験まで折角だし教える。俺が教えるんだからナマエ、ちゃんと良い点取れよ」

シリウスはそう言って私の頭を小突いた。
勿論、それを見ていたマダム・ポンフリーにシリウスが怒られたのは言うまでもない。







「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -