転換
一度は地上へ出たものの、ダムシアン方面へ抜けるためにはまた地下水脈に入って滝を越えなければいけない。
マコトさんはテレポを使うか迷っているみたいだ。きっと彼女の膨大な魔力を使えばダムシアン城までだって飛べるのだろうとは思う。
でも、僕も彼も魔法を使ってほしいとは言わなかった。魔物だから無尽蔵だと自分では思ってるみたいだけど、彼女の心が疲弊してるのは明白だ。これ以上マコトさんを疲れさせたくない。
サイトロで確かめたところ飛空艇部隊は牽制のようにダムシアン上空で待機していて、今のところ火の手のあがる様子はなかった。
急げばきっと、テレポを使わなくたって間に合うはずだ。
再び地下水脈に入ると、入り口の真正面が断崖絶壁になっていた。ダムシアンに行く時は海路か空路を選ぶものだから、誰もこの道を拓こうとしなかったんだろう。
「飛び込めるか?」
彼に問われて曖昧に頷くけれど、強張った顔は隠せない。見ればマコトさんも怯えているようだった。
「滝って……飛び込んでも大丈夫なんでしょうか? 滝壺の底で押し潰されたりしません?」
そう、上から落ちてくる水の圧力は凄まじく、滝壺に巻き込まれたら溺れる前に潰れて死んでしまうかもしれない。
以前、トロイア城に忍び込もうとした男性が滝から落ちて行方不明になり、バラバラになって発見されたという話を聞いた。……のを思い出してしまった。
僕とマコトさんが涙目で見つめると彼は困ったように頭を掻く。
「この程度の水量であれば……」
「大丈夫ですか?」
「微妙だな」
「……」
彼の無情な一言を聞いて、マコトさんは意を決した顔で腕捲りをして言った。
「ちょっと危ないので二人とも外に出ててください」
中で何が行われているのかハラハラしながら洞窟の入り口で待っていると、五回ほど地面が揺れた。
「何をしてるんでしょうね」
「分からん。アイツの魔法は独特だからな」
確かに、マコトさんの魔法は白魔法や黒魔法といった枠に嵌まらない。
僕も白魔法を学び始めてから彼女に術の秘密を聞いたことがあるのだけれど、「知り合いに魔法開発が得意な人がいるから独自の魔法を作れる」と言っていたっけ。
今にして思えば天から授かるはずの魔法を“開発するのが得意”という時点で尋常じゃない。彼女が魔物だって、もっと早くに気づくべきだった。
地面の揺れがおさまるとマコトさんがひょっこり顔を出して「どうぞ」と手招く。おずおずと中に入ってみれば洞窟内の景色が一変していた。
「す、すごい……」
断崖絶壁が崩れてなだらかな坂になっている。水の流れから突き出た岩の上を歩いて行けば、下まで楽に降りられそうだ。
隣で呆然と見下ろしていた彼も、彼女の超人的な魔法に顔を引き攣らせている。
「マコト……地形まで変えられるのか?」
「今初めて試したんですけど、死にそうなくらい疲れました」
二度とやりたくないと彼女は言っているけれど、これは徒歩でカイポとダムシアンを行き交う人の大きな助けになるだろう。
感嘆と呆れの入り交じる奇妙な気分を味わいながら、やっぱりマコトさんは賢者になるべきなんじゃないかと思った。
こっちの方はカイポ側よりも下流にあるから水量が多い。もちろん水棲モンスターも多くて普通なら苦戦するところだ。
……そのはずなんだけど、マコトさんが水属性の強力な魔物だからとかでさっきから襲ってくるモンスターはほとんどいなくなっていた。
べつに信じてなかったわけじゃないけど、こうなると彼女は本当に魔物なんだって実感する。
生まれる前からの付き合いなのに、マコトさんのことを何も知らなかったんだ。
父さんたちを見つけてこの事態をおさめたら、彼女の家に行ってみたいな。きっと魔物に対する見方も変わるはずだ。
白魔法の極意は見せかけの正義に囚われないことだって母さんも言っていた。正義も誰かを傷つけることがあり、悪も誰かを守ることがあるのだと。
人間でも魔物である彼女と接していたら、答えに近づける気がする。
しばらく洞窟を進むとまた大きな滝が目の前に広がっていた。水のベールの向こうに出口が見える。
「待て、セオドア」
駆け出そうとした僕の腕を彼が慌てて掴んだ。立ち止まった僕のすぐそばに巨大な触手が突き出てくる。
「魔物!?」
剣を抜くと同時にイカのような姿をしたモンスターが姿を現して、出口の前に立ちはだかった。
これがここの主だろうか。振り回す触手が近くの岩を次々に砕いていく。かなり気が立っているみたいだ。
「ただでは通してくれんようだな」
「めちゃくちゃ人間を警戒してますね。話を聞いてくれません」
マコトさんにも説得できないとなると倒すしかないだろうか……。念のために強化魔法を唱えつつ、ふと思いついてマコトさんに尋ねる。
「動きを止めて、その隙に駆け抜けるのはどうでしょう」
「倒さなくていいんですか?」
「各地で魔物が凶暴化してるなら、原因を突き止めればコイツも落ち着くと思うんです」
「うーん。元から人間嫌いっぽいので微妙ですけど」
それなら落ち着いてから日を改めてバロンで討伐隊が結成されるだろう。その時は僕も責任を持って戦闘に加わるつもりだ。
僕がそう言ったらマコトさんは嬉しそうに頷いた。
「では、ちょっと大人しくしてもらって私たちはさっさと出ましょうか」
言うや否や魔物が凍りついたように動きを止める。えっと……ここまでキレイに止められるとは思わなかった。
石像のように固まっている魔物の横を通り抜け、僕たちは無事に地下水脈を脱した。
地上に出て山を降りればダムシアン城が見えてくる。ちょうど飛空艇が離陸しようとしているところだった。
「間に合わなかったか!」
「でも、まだ攻撃は受けていないみたいです!」
話し合いができたのか、それとも白兵戦で追い返せたんだろうか。城に向かって駆け出したところ、空に轟音が響いた。
「あれは、エンタープライズ!?」
猛スピードで飛んできたシドの船が体当たりをしている。バロンの飛空艇部隊が退散していく。
「砲撃を体当たりで阻止って……無茶苦茶ですね」
「急ぐぞ!」
地下水脈の地形を変えて消耗しているマコトさんに今度は僕が回復魔法を唱えて、三人で城に向かってひた走る。
飛空艇が狙ってるということは、きっとあそこに母さんたちがいるはずだ。
なぜかほとんど無人のダムシアン城に駆け込み、辿り着いた王の間ではシドがギルバート王の手当てを行っていた。
「シド!」
「おお、セオドア! 無事じゃったか!」
飛空艇部隊の到着前に避難を済ませていたのか、ギルバート王の他には城内に怪我人もいない。……バロンから避難してきたはずの人たちもいない。
ひとまずギルバート王にケアルをかけながら、居ても立ってもいられず尋ねた。
「母さんは……、母上は、どちらに?」
痛みに顔をしかめながらも立ち上がったギルバート王は、悲痛な表情で僕に頭を下げる。
「すまない、セオドア……」
「待て、おぬしのせいではない。わしがローザと一緒におればよかったんじゃ」
「どういうことですか!?」
やはり母さんはここにいたんだ。……いた、はずなんだ。
「ローザは、……カインに連れ去られてしまった」
父さんの親友で、稀代の竜騎士でもあるというカインさん……、そんなことをするはずがないと思うと同時に、何か引っかかるものがあった。
ミストの洞窟を抜けた時、彼は「命に代えても倒さなければならない男がいる」と言っていた。それはバロンの元竜騎士だと。
思わず彼の顔を見ると、端正な顔立ちが苦痛に歪んでいた。まさか本当にカインさんが母さんを……?
「セオドア君」
マコトさんに呼ばれて振り返ると、彼女は青褪めた顔でテレポを唱えていた。
「すみませんが私はここまでです」
「え!?」
「彼のところに行かなくては……」
どこへと尋ねても彼女は聞いていないようだった。空を、月を見上げて必死で何かに耳を傾けている。
「マコトさん!」
既に魔力は底をつきかけている。なのに、息を荒げながらも無理矢理テレポを発動してマコトさんはどこかに消えてしまった。
呆気にとられて彼女のいなくなった床を見つめていたら、僕を安心させるように彼が肩に手を置いた。そのぬくもりと感触が焦る心を宥めてくれる。
「心配するな。アイツの守るべき人が帰ってきたのだろう」
「それは誰なんですか?」
「おそらく、じきに会える。私たちもバロンに行かなくては」
そうだ。カインさんが何のために母さんを連れ去ったにせよ、追いかけなくちゃいけない。マコトさんは……とにかく無事を祈ろう。
彼の声を聞くとシドは驚いて顔をあげた。じっとこちらを見つめて何かを言いかける。
「おぬし……」
「話は後だ。エンタープライズを出してくれ」
彼もマコトさんも僕を信じてくれている。僕なら進んでいけるはずだと。
今はどこにいるか分からない父さんの代わりに、僕が母さんを守るんだ。
← | →