憎悪
セオドアは十三歳になり、赤い翼の一員となるため騎士の証を取りに旅立った。つまり今日にも“月の帰還”が始まるということだ。
このバブイルの塔では既に住民を避難させ終えている。ルゲイエさんが研究室を放棄することに少しゴネたけれども全員が野に散らばってその時に備えていた。
そんな中で私は一人、塔に戻ってきた。
ゴルベーザさんは事が始まる前にバブイルの塔を離れるよう忠告してくれたから、おそらくここにも敵が来るのだろう。
といって次元エレベーターを破壊するのはいけない。彼が帰ってくるためにも必要だ。新たな敵がこれを使うのだとしても。
逃げるのが本当に正しいのか。危機が青き星全体に及ぶのなら、むしろ敵の出現場所で迎え撃った方が安全なのではないかとも思う。今の私ならここで敵を殲滅することだって不可能ではないはずだ。
単独のラスボスと戦うだけならともかく、敵が大勢になると皆を守りきるのは難しい。四天王やドグさん、ラグ辺りは殺る気満々だけど、私は彼らを戦わせたくなかった。
だって正規の“物語”では死んだはずの彼らと戦うことになるというのだ。
前作の定められたシナリオから逸脱している彼らが、今回どのような運命を辿るのか、誰にも分からない。
敵から逃げて、戦闘を避けさえすれば安全だなんて……言えないじゃないか。ゼムスだって封印の中からゴルベーザさんを操ることができたのに。
仲間全員を敵の脅威から守るためには、逃げるよりもここで籠城した方が……。
私が次元エレベーターと睨み合っていたところ、背後で足音がした。ここは無人のはずだ。確かに何の気配も感じられない。にもかかわらず、後ろには何かがいる。
振り返るとそこには緑髪の少女が立っていた。ちょっと顔立ちがリディアに似ている気がする。彼女を幼くして感情と可愛いげを引いたような娘さん。見る限りまったく友好的な態度ではない。
彼女は無表情のまま口を開いた。
「お前たちは何者だ」
いやそれどちらかと言えば私の台詞なんですけど。と内心で突っ込みつつ、引っかかったのは“お前たち”という言葉。
もう他の皆に接触したのか? それとも、離れていても私を通じて彼らの存在が分かるのか?
彼女がシナリオに沿って動いているなら、矛盾を解消するため前回の戦いで死んだはずの者たちを殺そうとするかもしれない。
「他人の家に勝手にあがり込んでおいて何を言ってるんですか。そちらこそ何者?」
「……」
答えはない。彼女は何事か考え込んでいるようだ。いまひとつ目的がハッキリしないので対処法に迷う。
無言の少女と対峙すること数分、私の隣にルビカンテさんがテレポしてきた。塔には近寄らないでと言っておいたのに。
「マコト」
謎の少女を警戒し、ルビカンテさんが私を庇うように眼前に立つ。その彼をじっと見据えて少女が呟いた。
「やはり、クリスタルに記録されていない存在だ」
感情が乏しいというよりそもそも心を与えられていないのか。単なる人形、精神を持たない器だけの存在。戦うにしても倒すのは簡単そうだ。
彼女のことはさておき、ルビカンテさんに向き直る。
「どうして戻ってきたんですか」
「セオドアの乗った飛空艇が墜落したんだ」
「え?」
それは規定のシナリオなのだろうか。セオドアは今作の主人公だから無事だとは思うけれど。でも、前作の影響からもし筋書きが変わっていたら?
話している間にも月が近づくのを感じる。やはり始まっているらしい。
このリディアもどきのお人形さんを早急に片づけて、セオドアの無事を確認したい。
「変異種か、あるいは闖入者か。お前の世界はクリスタルの記録にない。何者だ?」
少女はさっきと同じようなことを繰り返している。感情がないので思考も苦手なのだろう。
こちらから攻撃すべきか。彼女に何が有効なのかは分からない。これがイベントバトルだとすれば“絶対に勝てない”可能性だってあるのが不安といえば不安だった。
「いかなるイレギュラーか。お前たちの力、一先ずもらい受けることにしよう」
「勝手なことを。謹んでお断りします」
彼女の目的は私および四天王の力を奪うこと? シナリオを無視して生き延びた者を殺しに来たのではなく、ただ力ある者を連れ去りに来たのだ。その意思にかかわらず、利用するために。
その瞬間、私の中に敵対心が膨れ上がった。皆と戦うはめになるのは、こいつが連れ去ったから? ならば殺す。誰一人として敵に渡しはしない。
少女が手を翳すと同時に私も魔法を発動した。
「マコト!」
最後に悲鳴じみたルビカンテさんの声が聞こえ、目も眩む閃光がバブイルの塔を覆い尽くした。
ふと気づけば私はバロン近くの野原に倒れていた。空には十数年前と同じように二つの月が浮かんでいる。
そしてその空を隠すかのように魔物の群れが飛翔し、バロン城を襲撃しているのが見えた。その群れの中に知った顔は見当たらない。
「……ルビカンテさん」
一体どうなったのだろう? 少女が使ったのは精神支配の魔法のようだった。対して私は攻撃魔法で彼女を破壊し、自分と仲間を守るために更なる魔法を発動した。
しかしなぜバロンにまで飛ばされたのか。なぜ一人でここにいるのか。……自分が何をしたのか、思い出せない。
バロンも気になるけれど、それよりもまずはバブイルの塔にテレポすることにした。
でも塔はもぬけの殻だった。ルビカンテさんの気配もない。
「皆……」
呼びかけに誰も答えない。各地に散り、召集すればすぐに召喚できるはずの仲間が誰も応えない。青き星のどこに魔力を投げかけても……、
四天王も、メーガスたちも、ベイガンさんも、ルゲイエさんも。誰もいない。どこにもいない。
あの少女の背後にいる者が奪っていったのか。皆の力を利用するために。
私は生まれて初めて抱く憎悪の感情に戸惑っていた。今すぐにでも敵を八つ裂きにしなければ気が済まなかった。
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