プラトーの日々
試練の山で修行を始めて数日後、土産を片手に訪ねてくる者があった。一瞬それが誰だか迷ったが、ややあってマコトだと分かる。
これが彼女の本当の姿。月でも確かに見たんだが、どうにも慣れなくて戸惑いが大きい。
「差し入れです。日持ちする食糧と回復薬をちょっとだけ持ってきました」
「……すまんな、気を使わせて」
妙な感じだ。言動は見知ったマコトのものなんだが、つい先日まで彼女が入っていたゴルベーザの姿と目の前にいる女性とが結びつかない。
まあ、容易く結びついたら困るとも言えるんだが。それくらいマコトとゴルベーザはかけ離れている。
異世界でこの体に入っていたというゴルベーザの苦労も推して知るべし、だな。
追い払っても追い払っても増えるアンデッドの他には何もない山を見下ろして、マコトはうんざりした表情で立っていた。
「カインさん、本当にこんな辺鄙なとこで暮らすんですか?」
「ああ」
「まだ若いのに隠居なんて」
いや、隠居ってわけじゃないんだが。ただしばらく人の住む町で暮らす気にはなれないだけだ。
ゴルベーザは月で倒されたことになっているが、俺は彼に従っていた身。表舞台から去らねば無用の混乱を招くだろう。
あのベイガンでさえバロンのことはセシルたちに任せて国を去ったのだから。
俺も、少なくとも自分で自分が認められるようになるまでバロンには戻らないつもりだ。今の俺では素直にあの二人を祝福してやれないだろうしな。
セシルがパラディンとなった場所……試練の祠の中にはモンスターも入ってこない。夜はあそこで過ごすことにしている。
鏡が張り巡らされ、常に静謐さの保たれる祠の中は自分の精神と向き合うにはちょうどいい場所だった。
俗世から離れて無心に鍛練を続けていれば、今の有り様を受け入れられる日も来るだろう。
だがマコトは、俺が一人でいることに不満があるらしい。こいつも面倒見がいいというか、無意識に苦労を背負ってしまう性格なのかもしれない。
「ここアンデッドばっかりだし、食べ物とかどうするんですか? ミシディアに泊まったら毒を盛られたりカエルにされたりしますよ?」
いくらなんでもそんなことはされないとは思うが、どっちにしろ町へ下りて宿に泊まる金はない。食事を買うのも厳しいだろう。
「野宿でも生きていけなくはないさ」
今のところは適当に山を降りて狩りでも釣りでもしているが、それを続けるしかないだろうな。
正直なところ、国を出た当初は再びマコトのもとに身を寄せようかとも思っていた。
彼女は今、ゴルベーザが戻ってくるという十数年後を待つために、四天王や配下の魔物たちを引き連れてバブイルの塔に住み着いている。
あそこなら部屋など有り余っているし、居住空間も用意されている。何より魔物だらけの塔だ。手合わせの相手に事欠かないのだけは間違いないだろう。
しかし俺にとって都合が良すぎる場所だと思い直し、塔には向かわず俺を知る者のないここへやって来たんだ。
まるでセシルとローザから逃げるように暮らしたくはない。やはり俺はあの二人のそばにいたいと思う。だから、それを受け入れられる男になるまでは……。
……とは思いつつ、マコトが持ってきた差し入れから漂う香りに心惹かれる。
元の世界では身の回りのことをすべて一人でやっていたというマコトは、料理がうまい。ゾットの塔での暮らしを思い返すとなかなかに未練が募った。
試練の山に居着いていたアンデッドの大部分は以前スカルミリョーネが配下に加えて連れ帰っている。
残った奴らは生への執着と怨念に染められた意思なきモンスターばかりで、人間だろうが魔物だろうが関係なく手当たり次第に襲いかかろうとする。
だから俺が鍛練代わりに打ち倒したところでマコトの恨みを買うこともない。
この地にはパラディンの試練に敗れた死者だけではなく、各地から怨霊が集まっているようだ。
月の民の遺産はエネルギーに満ちているため問答無用で魔物の気を惹く。ここの祠も同じだ。
これまでは祠に奉られていた光が試練の山を見守っていたお陰で、外まで魔物が溢れ返るようなことはなかったらしいが……。
セシルをパラディンにした際に力を授けて弱っているのか、今はその光が餌となってアンデッドを呼び集めてしまっている。
放っておくとミシディアの方にまでモンスターが溢れ出し兼ねない。修行のためでなくとも、誰かがここにいるべきだろうと思っている。
マコトは「塔に住め」とは言わない。おそらく、俺が自ら言い出さない限りは誘ってこないはずだ。
彼女は俺のくだらないプライドを守ってくれる。それがありがたくもあり、どこまでも甘えてしまいそうで怖くもある。
たまには彼女を頼るかもしれないが、バブイルの塔で暮らしてしまうのはとても危険だ。堕落の気配がする。
ただ……、俺にも、少しくらいの癒しは必要だ。
「その、……たまにこうして顔を見に来てくれればありがたいんだが」
「それはもちろんそのつもりですけど」
……そのつもりだったのか。
まあ、ずっと一人でアンデッドを相手にしていると人間との接し方を忘れてしまいそうだからな。
それに十数年はただ待つには長すぎる時間だ。来客があれば、時の流れを確実に感じられるだろう。
立ち去り際、マコトは何か小型の機械を手渡してきた。
「これは?」
「量産型非常口の試作機です。バブイルの塔に繋がってるので、食糧が尽きた時にでも使ってください」
よく見るとセシルがどこぞで拾った脱出用アイテムと同じものだ。あれは“非常口”という名前らしい。
洞窟の入り口などに仕掛けておけば魔道士でなくても疑似テレポを発動できるという逸品だが、莫大なエネルギーを必要とするため一度使うと壊れてしまう。
月の民の遺産だったのか。それをルゲイエが改良し、量産もしくは永続的な使用を可能にすることを目論んでいるようだ。
「私が言うのもなんですけど、人間から離れて暮らしてると人間の心を忘れちゃいますよ? エブラーナとかなら顔も出しやすいでしょうし、修行一辺倒じゃなくたまには遊びに来てください」
「……ああ、胆に銘じておくさ」
俺が顔を出す頃には新しい非常口を用意しておくとマコトは力強く言った。とはいっても、実際に製作するのはルゲイエだろうが。
人間の心を忘れる、か。マコトが言うと異様に説得力があるな。あいつは人の心を忘れてなどいないが、それでも魔物と共にある方を選んだ。
俺は、人であることを捨てようとは思わない。
いずれあいつらのところに帰るために強くなりたいだけだ。
しかしローザへの恋慕とセシルに対する友情と、どちらかのバランスが少しでも狂っていたら、俺もマコトと似たような道を歩んでいたかもしれない。
俺にとってはマコトもまた姿見に映る別の自分のような存在だ。
このアイテムはありがたく使わせてもらうとしよう。
マコトがなぜ其処にいるのか、俺がなぜ此処にいるのか。それは大切な者の元へ帰るため……。
自分の本当の望みを忘れないために。
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