不安
残るクリスタルの在処を探るためにカイナッツォさんがドワーフの城に仕掛けを施していたようだ。
スパイを潜り込ませ、情報が届いたらすぐにでも強行突破でクリスタルを奪いに行く。そうしたらあとはセシルたちに封印の洞窟に行ってもらうだけ。
目まぐるしく時が過ぎていく。そのせいで気が急いているのかもしれない。
ゾットの塔を脱して以来、自分でも元気がなくなっているのが分かる。エブラーナから戻ってきたルビカンテさんが不審そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫か?」
「はい」
心配させまいと即答したらなんだか素っ気なく聞こえてしまって、慌てて言葉を付け足した。
「ちょっと疲れてるけど平気ですよ!」
まあ、べつに心配なんてされてないだろうとは思うけれど。
仮にルビカンテさんが心配するとしたら疲労が蓄積しているゴルベーザさんの体を案じているだけであって、私のことは気にしてないと思う。
……なんて、卑屈なことを考えちゃう時点でかなり弱ってるみたいだ。
バブイルの塔で活動を始めてから、南東にあるエブラーナ王国が攻撃を仕掛けてくるようになった。
大陸からは離れた孤島なので“ゴルベーザ”の悪名が届いているかどうかは分からない。単に活発化した魔物に警戒しての行動だったのかもしれない。
あるいはエブラーナにもバブイルの塔や月に関する伝承が残っていて、その封印を解こうとしている私たちの邪魔をしているのか。
なんにせよ、すぐ近くに敵国があるのは困る。ゾットの塔と違ってバブイルはエブラーナから歩いて攻め入れるのだ。
今後の本拠地となる塔を守るため、ルビカンテさんは早速エブラーナに赴いて、一日で城を壊滅させてきた。
「で、忍者の城ってどんな感じでした?」
「忍者を知っているのか」
「そりゃもう日本人ですから。やっぱりお城はからくり屋敷ですか? 屋根のうえ走ってました? お土産の手裏剣は?」
「マコトの中で忍者とはどんな存在なんだ……」
忍者村のような感じなのか、それとも見た目はバロンや他の国と同じヨーロッパ風なのだろうか。
詳しい報告を聞くのが怖くて、そんなどうでもいい話ではぐらかしている。
今エブラーナの城に生きている人はいない。逃げ去った残党を牽制するために捕虜を捕らえたというルビカンテさんに連れられて、牢獄代わりの研究室を訪れる。
「今回もスカルミリョーネを送らないのか?」
「ええ、まあ……」
降伏しないために腹を切るのは忍者ではなく武士だけれど、ゲームの設定としてここの忍者もジャパニーズサムライの心を持っているであろうと思われた。
アンデッドになりにくい気がするんだ。それでなくてもエブラーナはとても閉鎖的な国だというし。あえて仲間に加える必要もないだろう。
だからこそ、一つの城が壊滅して無人になっている状況が怖いのだけれど。
研究室には壮年の男女が気を失って倒れていた。
「この人たちは?」
「エブラーナの王と王妃だ」
「え……お、大物を連れてきたんですね」
最高責任者が殺されていなかったことを意外に思う私に、ルビカンテさんはエブラーナとの戦いの様子を話してくれた。
「最初に城内で目についた強者を何人か殺した。王がすぐに民を避難させたので非戦闘員の死傷者はいない。その後、城を焼き払って破壊した。あとは王夫妻を救出しにやって来る精鋭に対処すればエブラーナは脅威になるまい」
凄まじく鮮やかな手際だ。これをドワーフと戦いながらの片手間にやってのけるのだから尊敬を通り越して呆れてしまう。
てっきり魔物の数に飽かせて虐殺したものと思っていたので、国民の大半が見逃されたことにホッとした。
「彼らを人質として丁重に扱えば、無駄な交戦は避けられますね。ありがとうございます、ルビカンテさん」
ゼムスを倒すまでは王と王妃の命を盾にして戦いを遠ざけておける。すべてが終わって解放すれば、報復を受けるとしても僅かで済むだろう。
それにしても人質を研究室に置いておくのは不安だな。ルゲイエさんが妙なちょっかいを出さないように注意しておかないと。
バブイルの塔にはまだ私の部屋しか人間の暮らせるスペースがない。もうバロン城を手放したので、ローザの時のように部屋を貸すこともできなかった。
一国の王と王妃をどこに泊めようかと悩んでいた私はルビカンテさんの鋭い視線に気づいていなかった。
いよいよ地底に専念できる。セシルたちは今頃、マグマの石を掲げに地底へと繋がる火口を目指しているだろうか。
もう国との争いはなさそうだと密かに安堵する。そんな私の心を見抜いたかのように、ルビカンテさんが低い声で囁いた。
「ゾットの塔で愚かなことをしたそうだな」
「え……」
「人間に情けをかけて危うく死ぬところだったと聞いた」
私が身を守らずテラにリレイズを唱えたこと、バルバリシアさんから報告されていたらしい。
賢者テラはバルバリシアさんがシルフの洞窟へと送ったそうだ。気まぐれな風の精霊たちは時に人間を助けることがある。
尤も、相当な深傷を負っていたから幻獣の力を借りてさえ助からない可能性もあるけれど。今どうしているか、生き延びることができたのかは知らない。
「……私も人間なんで、さすがに目の前で人が死にそうになると、いろいろ考えてしまうんです」
それは本心だけれど嘘でもある。曖昧に濁して誤魔化したことをルビカンテさんは容赦なく突いてきた。
「これまで散々殺してきたじゃないか。今更くだらない同情心でも芽生えたのか?」
この世界では魔物が私の仲間、私の守るべき同胞だ。彼らが自由に生きていくために邪魔になるものは排除する。ゼムスも、青き星の人間も。
直接この手にかけたわけじゃないけれど、私は多くの人を死に追いやってきた。仲間を守るために。
でもアンナは……本当に私たちとは何の関係もない、ただの巻き添えを食った被害者だった。好きな人を一途に想っていただけの普通の女の子。
テラには私を憎み、復讐する権利がある。“ゴルベーザ”ではなく“マコト”を殺す権利が。だから彼の憎悪に目を背けることはできなかったんだ。
誰かに憎まれるのが怖いなんて、ルビカンテさんに言っても甘えるなと怒られるだけだろう。
でも私は……平穏に生きてきた私は、身勝手だと分かっていても、殺意を向けられるのが恐ろしくて堪らない。
「ダムシアンであれファブールであれ、エブラーナであれ、我らの目的とは無関係な死者などいくらでもいた。お前たち人間は殺しを正当化しようとするが、そんなものはただの偽善に過ぎない」
「そんなこと言われなくても分かってるよ!!」
「……マコト?」
頭が沸騰する。“ゴルベーザ”になると決めた時から分かっていたはずのこと、どんな言葉を並べ立てても本当は正当化なんてできないのに。
「アンナだけじゃない、他の誰だって、同じだ。本当は私が殺していい理由なんかない」
「だが、お前はゴルベーザ様のために人間の敵になるのだろう?」
「そんなの詭弁です! この世界にいる間だけの……」
単なる建前、ただの言い訳だ。それらすべてを引き剥がして残るのは、私が人殺しだという事実だけ。
今はいい。家畜を屠るように青き星の人々を殺してもそれは“ゴルベーザ”にとって必要なことなのだから。でも元の世界に戻ったら?
ごく普通の小娘でしかない“マコト”としての私は、無力な人たちを殺した事実を忘れて今まで通りに生きていけるだろうか。
あれは異世界の生き物だから、私と同じ人間ではないと。仲間を守るためにやったんだから私は悪くない、と。
向こうの世界で平和な暮らしに戻っても自分を誤魔化し続けられるんだろうか。
不安定に荒れ狂う精神を圧し殺すように俯いて、じっと床を睨みつける。ルビカンテさんの静かな声も、今日ばかりは心を落ち着けてはくれない。
「……お前は本来、何の力も持たぬ人間の娘、だったな」
今その瞳に浮かぶのは、器を満たせない未熟な精神への侮蔑だろうか、諦念だろうか。
「ええそうです。ゴルベーザというアバターの力を借りて身を守っているだけの、卑劣で矮小なただの人間です。本当の私には目的のために誰かを殺す力なんてない」
「いや、そういう意味で言ったのではない」
「構いません。本当のことですから」
そうやって誰かを殺し、害して、返ってくる悪意に耐える心の強さだって持ってはいない。ゴルベーザさんの力がなければ私一人で何もできないくせに。
「人形がクリスタルルームを見つけ次第ドワーフ城へ行きます。それまで……少し休ませてください」
「マコト」
「一人にして……」
こんなこと早く終わらせたい、殺したり殺されたりしない生活に戻りたい、そう思うのに、終わらせたくないと願う自分もいる。
クリスタルはあと二つ。死ぬはずだった皆は生きているけれど、本当なら残っているのはルビカンテさんだけ。
もうすぐ終わってしまう。もうすぐお別れなんだ。それを、思うと……。
ふと顔を上げるとルビカンテさんはじっと私を見つめていた。怒っては、いないみたいだ。
「……ごめんなさい、八つ当たりしました」
「しばらく誰も部屋に近寄らないようにする。だから今は“ゴルベーザ様”でいるのをやめて休むといい」
彼らしくもない優しげな声でそう告げると、ルビカンテさんは姿を消した。
やけに寒々しく感じる部屋に戻り、変身術の呪文を唱える。もう忘れてしまいそうな自分の姿、ちゃんと形作れているのか確認する方法もない。
私はどんな顔をしていただろうか。
ゴルベーザさんのものとはまったく違う手のひらを見つめた。魔法を宿すことなく、剣を握ったこともない、殺戮を知らない私の手。
……私は本当に、マコトに戻れるんだろうか。
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