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独白波紋


 ゴルベーザ様の元へ戻って以来、どこからか妙な声が響いてくる。耳を塞いでも聞こえるのに何を言っているのかはっきりとは聞き取れず、とても不愉快だった。
 底冷えがするような声はいつも不気味に囁き続けている。
 この声をどこかで聞いたことがある気もするんだが、思い出そうとすると頭が混乱した。確かに聞こえているのに声の主が男か女かもよく分からないんだ。

 バブイルの塔に来て、俺に与えられたのは何もない部屋だった。
 一応は人間が暮らすための設備が整えられていたゾットの塔とは違う。牢獄ですらない……本当に、文字通りの何もない空間だ。これを部屋と呼べるものかも怪しい。
 ゴルベーザ様が過ごしているのも似たような空き部屋で、バブイルには“生活”を送るための場所がまったくない。
「セリナは、いないんですか」
 俺の質問にゴルベーザ様は答えてくださらなかった。物凄い目で睨まれた気がするが、兜で見えないのが幸いしたようだ。
 エブラーナの洞窟でルビカンテがセリナを連れ去った。だからてっきり手元に置いているのだろうと思っていたんだ。しかしセリナの姿はどこにもない。
 そして彼女をゴルベーザ様に引き合わせたはずのルビカンテも、もういない。俺には尋ねるべき相手が残されていないことに気づいた。
 まさか、もしやという思いはある。だがそれをゴルベーザ様に尋ねるのは憚られた。セリナは元の世界へ帰ったのではないかと。

 重苦しい沈黙が満ちる中、また例の声が聞こえた。
──押し込めても無駄だ。
 耳をすましてみたが聞こえるのは低く震える機械の作動音だけだった。ゴルベーザ様にはあの声が聞こえていないのだろうか。だとすればあれは、俺の頭で響いているのか?
 ……押し込めても無駄だと。一体何の話だ。

 俺はどうしてここに戻ってきたのだったか。一度は納得したはずだ。ローザが見ているのはセシルであり、俺は、そこにあるのがどんな形の愛でも彼女のそばにいられるだけで満足だ、と。
──お前が救われることなどない。
 だが……手に入らないと分かっているなら願うことに意味がないじゃないか。俺を見てくれない瞳など辛いだけだ。いっそ離れてしまった方が楽になれる。そう思ったからゴルベーザ様のもとに戻ってきた。
 この場所でならば、どんなに弱く醜い気持ちでも受け入れてもらえるような気がしていた。
──お前が望む時は訪れない。
 いや、違う……。俺は彼女が幸せになってくれれば、それでいいと……ずっとそう思っていた。幼い頃からずっと、セシルがローザを見つける前からずっと!
 おそらくは永久に叶わぬ願いでも抱えていくと決めたんだ。何を今さら苦しむことがある? 俺は彼女の、そしてセシルの良き友人として二人を見守っていればいいじゃないか。
 ……ではなぜ、俺はここにいるんだ。

 囁きが心を掻き乱す。うるさく喚き立てるわけでもないというのに、あの声は心の奥深くまで手を伸ばしてくる。
──お前が手放したものは還らない。
 それでも構わんさ。たとえ俺の腕に抱くことができないとしても、彼女のそばで彼女を守り、この目で見つめていられるならそれでいいんだ。ローザが笑っていてくれるなら、俺は……。
 それで本当に満足できるならば何のために願う。なぜ再びあいつらと袂を別ったんだ。
 また操られているというのか? こんなにも鮮明に愛情と憎悪が見えていながら、自分の心がどこにあるのかは分からない。
 まったく、セリナはどこに行ってしまったんだ。あいつがいてくれたら、くだらない話で馬鹿みたいに騒いで煩わしい声など掻き消してくれるのに。

 ずっとセリナに聞きたかったことがある。自分が操られていると思いもしなかった頃には尋ねられなかった。今なら聞けるだろうに、とうのセリナがゴルベーザ様のもとにいないとはな。
 お前だったら、どうする?
 もしもセリナが俺の立場ならどんな道を選ぶだろう。心を支配している他人のせいにもできず、自らの意思で……どこまで大切なものを裏切り続けられるんだ?
 人間でありながら、正義がセシルのもとにあると知りながら、あいつはどうしてゴルベーザ様のそばにいようとしたのか。彼女の答えが俺の道に繋がっている気がするんだ。

「ここにはセリナの部屋がない」
「は……」
「だからセリナはここにおらぬのだ」

 ゾットの塔にいた頃は……。洗脳され、本意ではない悪事に手を染めもしたが、正直に言ってあの塔での日々は忘れたいだけのものではなかった。
 ただ操られ利用されていたのだと今ではちゃんと分かっている。なのに、かつての記憶は未だ甘く脳裏に焼きついていた。
──お前は選ばれなかったのだ。
 セシルへの憎しみを認めるのとローザへの恋慕を認めるのは俺にとって同義だった。セシルが邪魔なのはローザが欲しいからだ。彼女を諦めない限り彼の存在を容認することはできない。
 魔物の中にあって邪悪に染まりもせず笑うセリナを見るたび……俺が抱いた憎悪も許されたように感じていた。

 黒い甲冑に阻まれてゴルベーザ様の言葉が聞き取りにくい。小さく掠れた声は、この御方から発せられたものとは思い難かった。
「あの娘は幻。初めからあのような者は存在しなかったのだと、声が囁く……」
 彼女がこの世界にいる意味はなく、ゴルベーザ様のもとに留まる理由もない。しかしだからこそセリナはいつだって痛切に願っていたじゃないか。
 あんたに、求められたいって。
 幻だと? 何を馬鹿なことを言ってるんだ。目の前にいて話をして、手を伸ばせば触れることもできた。そのセリナがなぜ幻だと思うんだ。
 ああ……、そうか。ゴルベーザ様はセリナに触れたことがないんだった。彼女の前で決して甲冑を脱ぐことはなかった。だからセリナは彼の顔を知らないし、彼は彼女の実在を確信できない。
 そして今、奇妙な声がゴルベーザの記憶からセリナを奪い去ろうとしている。

「月に行かなければ」
「月に……」
 阿呆のように主の言葉を繰り返して空を見上げた。いや、空なんか見えない。目に映るのは無機質な天井だけだ。
 低く呻いてゴルベーザ様が頭を抱えた。この人が何を見ているのか俺には分からない。何を聞いているのかも。当然だろう、他者と相容れることなど不可能だ。
 それとも、分かり合うことは可能なのか? もしも互いに同じ未来を望めるならば。

 昔……知り合って間もない頃、セシルが俺のことを「優しい」と言った。あいつは今でもそう思っているだろうか。
 幼かった頃、ローザも「カインは優しい」と言った。俺が二度までセシルを裏切った今もまだ同じ気持ちでいるのだろうか。
 ずっと聞きたかった。だが聞くことができなかった。
 変わってしまったものを見て、俺だけが取り残されているのを見ていたくなかったんだ。現実を受け入れれば憎しみを抑えられない。憎んではならないというならば離れるしかなかった。
 俺は優しくなどない。憎みきる強さがなくて、逃げ出しただけなんだ。




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