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思考廻廊


 ルビカンテに連れられバブイルの塔に現れたセリナは、立ち尽くす私を見上げて気まずそうに頭を掻いた。
「えっと……た、ただいま」
 かけるべき言葉の無いことが自分でも不可思議だった。
 セリナは私の日常だ。彼女が私を辛うじて人間たらしめていたのだ。そのセリナを手離すようなことがあれば何もかも崩れ去るような気がしていた。しかしゾットの崩壊と共にセリナを見失っても、私の心は小波ひとつ立たず静かだった。
「ゴルベーザ、怒ってるの?」
「……いや」
 あれほど執着していた記憶があるのに、セリナと離れても感じるものがないのだ。今の私にあるのは無感動に過ぎる己への疑念と不審、そしてそれを掻き消す焦燥のみ。

 なにゆえ今までセリナの不在を気にも留めなかったのか。違和感の根源を突き詰めようとするたびに頭の中で声が響き、まとまりかけた思考が霧散する。
 私には、もっと考えなければならぬことがある。クリスタルだ。クリスタルを手に入れなければ。そしてあの月に行くのだ。
 たかが手駒に過ぎない小娘の動向に気を取られている暇はない。
 鼓動が早くなる。重要なものを見落としている気がしてならなかった。ゾットの塔で過ごしていた時とは何かが決定的に違っている。バブイルに満ちた月のエネルギーが私の中に眠る破壊衝動を駆り立てるせいか。

「あのさ、ドワーフの城でのこと、覚えてる?」
 セリナが私に向かって話しかけている。よほど集中せねば彼女の存在を忘れてしまいそうだった。
「リディアが参戦してゴルベーザが撤退した時だよ。……私もあそこにいたんだけどなぁ」
「そうだったか」
 バルバリシアが崩れゆくゾットからセリナを逃がしたのだと、漠然とそう理解していた。しかし違ったのだ。セリナはセシルと行動を共にしていた。ルビカンテからも報告があがっている。
 私はセリナがいなくなっても衝撃を受けず、よりにもよって宿敵のもとに身を寄せた彼女の裏切りに憤ることさえしなかった。
「私、話しかけたんだけど、ゴルベーザは聞こえてないみたいだった」
 そう、セリナがセシルと共にあったのならば、確かにあの場で再会していたはずだ。私はなぜ彼女に気づかなかったのだろう? 注意深く思い出してみても、記憶の中のクリスタルルームにセリナの姿は見当たらなかった。

 返事もせずに呆けている私をしばらく見つめてからセリナは肩を落としてため息を吐いた。
「心ここにあらず、って感じ?」
「……そうかもしれぬ」
 心がここにない。その表現は正確だと素直に思う。
「あと少し……あと少しなのだ、セリナ。クリスタルさえ揃えば月に手が届く」
 他のことに気を取られていてはならぬ。だが、セリナの言葉が初めて鎧を突き抜けて私の耳に届いた気がした。
「月に行って、どうするの?」
「……月に、行って……」
 どうするのか?
 何を成したいのか?
 それはもちろん、月の叡知を手中に収めて忌々しい青き星の人間どもを滅ぼすのだ。……何のために?
 私はなぜ、いつからそれを望むようになったのか?
 不意にとりとめのない言葉が浮かびかけたが、実体を成さぬまま消えてしまった。セリナはいつも私を動揺させる。考えもしなかったことに目を向けさせる。

「あのね……私はゴルベーザを裏切ったりしないよ。どこにいても、何をしてても、私はゴルベーザの味方だから。それが私の意思だって、しっかり覚えてて。私自身がそうしたいと思ったから、ここにいたんだってこと」
 どこにいても、何をしていても、決して揺らぐことはない。魔物の巣窟にあってさえ彼女は闇に染まりもせずに、あるがまま自由に生きてゆける。
 私から離れても裏切らぬとはつまり……私から離れようとしている、ということではないのか。

 セリナをこの世界に呼び寄せた時のことを思い出していた。
 異世界への入り口となる魔法陣の紋様、そして鍵を開く呪文も、どうやって彼女を見つけたのかも……記憶になかった。私は意思の命じるままに手を伸ばしたに過ぎない。
 呼びかけに応じて淡い光が舞う。幻が肉を持ち実体となって現出した瞬間、この時をずっと待っていたと、感じたのだ。
 一人でいることに不安はなかった。仲間が欲しいと求める気持ちもなかった。しかしセリナが現れ、心の奥に忘れかけていた虚ろな穴が埋まった。
 私が名を尋ね、彼女はセリナと答えた。

――その出会いは間違いだった。

 誰かが嘲笑う声を聞いた。遠い昔に求めたものは永遠に消え去った。この手に掴んだように見えてもいつしか儚く零れ落ちる。
 闇に生きるものに、光は決して訪れぬ。虚しく求め続けてのたうち回るがいい。

 ……最初に彼女を呼んだのは何故だった? セリナに尋ねられた時にも私は答えられなかった。今もまだ分からない。分からないという事実がなぜか、心の奥で鈍い痛みを生み続ける。
 あるいは「ただそうしたかったからだ」とでも答えていれば、何かが変わったのだろうか。

 まるで時間を過去へと遡るかのように、慌てふためくセリナの姿が光に溶けて消え去った。
 彼女を手に入れた時から私は一体何を恐れ続けていたのか。塔に押し込め、外界に住まう人間との関わりを禁じたのは……いずれこうなることを知っていたから。
 どれほど厳重に押し隠したところでいつかは彼女を失うことになると、最初から分かっていた。




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