六花舞散
最近たまに思うんだけど、何も辛いことがないのってそれはそれで不満だよね。もし永久に幸せだけが続くとしたら、それってすごく不幸なんじゃないかな。
だって幸せも不幸せも相対的なものだから。それしかない平坦な日常じゃ、幸せを幸せとは感じられない。
……だから、言い訳がましいうえに図々しいけど、一切の不幸から遠ざけられてる私はたぶん幸せじゃないんだと思う。
塔にいる限り、暑いとか寒いとか喉が渇いたお腹が減った、そんな些細なことでさえ不満がないんだよね。だって不自由がないんだもん。
ゾットの塔はいつも適温、湿度管理もばっちりだ。空腹を感じる前に食事が用意されてるし、材料はアレだけどゴルベーザは料理がうまくて。
勉強しなくていいし、働かなくていいし、何にもしなくたって上げ膳据え膳で生きていけて。満たされすぎてて……苦しくなる。
平坦すぎる日常にいると喜びの実感も薄くなっちゃうんだ。だからね、ちょっとだけ。
ちょっと冒険したいな、なんて。それだけのつもりで言い出したことだったんだけど……私はもしかして間違えちゃったのかな？
「……さっむ」
どこか知らない高い高い山のてっぺんで呟く。目前に広がるのは銀世界、降り落ちる雪、息が白く染まって耳の先がヒリヒリした。
崖っぷちに立って下界を見下ろしても辺り一面真っ白で地面は見えない。
「さむすぎ」
「お前が連れてこいと言ったんだろう」
そうだね。すっごく寒いところかすっごく暑いところに行ってみたい、すっごく辛い目に遭いそうな、刺激的なところに。そう言ったのは確かに私だ。
今なら分かる、私が間違ってた。「ただし一般人レベルで」って付け加えるべきだった！
思い返せばスカルミリョーネは珍しく外出に乗り気だったよね。その時点で怪しすぎるし、中止すべきだったんだ。
ここはもう人の居ていい世界じゃないよ。魔物だから限度ってものを知らないんだ。ううん、知っててわざと限界超えてるとこに連れてきてくれたのかも。
「凍え死ぬぅ……」
「死体は有効利用してやるから安心しろ」
「何に使われるのか聞きたくないなー」
声を出すたびに白い息が、ふわっと広がってすぐに散った。
着込みに着込んでまんまるくなって来たけど、やっぱり寒い。寒いんだよ！ ここまでの寒さは求めてなかった！
でもスカルミリョーネは相変わらずのローブ一枚で平然としてる。なんで？ 寒くないわけ？ 人間じゃないって羨ましい。
ゾンビーたちだってあんまり寒いと凍っちゃって動けなくなるのに、さすがだね。四天王の貫禄だね。こんなしょーもないところでだけ「さすが」って言えるねスカルミリョーネ。
声に出さずに頭の中で考えてただけなのになぜか睨まれたよね。こわい。もしかしてスカルミリョーネも読心術が使えるのかな？
歩くと雪がサクサク鳴る。これじゃ不意打ちはできないや。だからもう諦めて、勢いに任せて、えいやっとスカルミリョーネに飛びついてみた。
「…………」
「……ぬるい」
「当たり前だ。私を何だと思ってる」
何というか動く死体だと思ってる。
体温が低いから寒さも感じないのかな？ そうだとしたら、ちょっとだけならアンデッドになってみてもいい、なんて思っちゃった。
だけど私があれだけ退屈してるのに、そもそも変化を感じられない体のスカルミリョーネの日常って、どれだけ平坦なんだろう。
「ねえねえ、ちょっと手、貸して」
「……？」
スカルミリョーネの手を取って宙に差し出した。ひらひらと雪が舞い降りて、枯れ木みたいな手に小さな白い花が咲く。体温がないから消えもせずいつまでもそこにある。
「……で？」
「で、って言われても。私の手だと体温で溶けちゃうんだよね」
試しに同じように差し出した私の手にも雪の結晶が落ちて来て、少しの間を置いたらすぐにじわっと溶けて消えた。分厚い手袋しててさえこんなものだ。
私の手で結晶が消えるのを見届けて、スカルミリョーネは鬱陶しそうに手を払った。
「くだらん……」
「あーあ〜」
せっかく消えなかった六花が落ちちゃった。浪漫の分かんないやつだなぁ。
こんな、息も凍っちゃうくらい寒いところに来てさ、きれいな結晶でも見てなきゃ馬鹿みたいじゃん。
スカルミリョーネに寄りかかったまま、手袋ごしに耳を揉む。そろそろ感覚がなくなってきた。
「帰るぞ」
「えー、もう？」
「寒いんだろう」
寒いけど、死ぬほど寒いけど、それはべつに嫌なことじゃないのにな〜。
鼻も頬も耳も真っ赤になって、少しずつ確実に、体の芯から冷えていく。……結構この寒さを堪能してるんだよねー。
今度は手袋をとって掬うように雪を乗せてみた。白くて冷たい花はその姿を確認できた一瞬で消えてしまう。私の体は、まだ熱い。
「はぁ〜」
「……セリナが風邪をひくと私が殺される。だから、さっさと帰るぞ」
嵐みたいに激しく怒り狂ってるバルバリシア様が容易に想像できて、ちょっと笑った。
「仕方ない、じゃあ帰ろっか。スカルミリョーネを守るために」
「機会があれば、また連れてきてやる」
差し出された手にまた小さな花が咲く。それが消えてしまわないように、そっと私の手を重ねた。
立ってるだけで死んじゃいそうなこんな場所だと、ちょっとした幸せでも倍増するんだ。ほらやっぱり、変化があった方が素敵なことが起きるよね。
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