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貫通動揺


 今のところ、想像していたような悲惨な目に遭わされる気配はない。むしろあまりの待遇の良さに驚いたくらいだった。
 けれど私が俘虜の立場であることには変わりなくて、だから……「弓使ってるとこが見たいです」っていうのは、おかしいと思うのよ、セリナ。

 私は結界の中にいるらしく、ここでは魔法も使えない。もちろん見張りに立つ魔物やゴルベーザを排除する方法も持ってはいない。
 無力だからこそ今までセリナとも自由に会話することが許されていた。
 そんな私に彼女は弓を使ってみせろと言う。見張りがいるとはいっても、武器を持ってしまえばこれまで保たれていたバランスが崩れるのではないかしら。
 セリナは満面の笑みで私の前に立っている。その手には大きな弓矢が握られていた。
 彼女の隣に立つ四天王がこちらを睨んだ気がした。鋭い視線の意味を計りきれない。私のことを快く思っていないのは間違いなさそうだけれど。

 彼女の持ってきた弓矢は見慣れないもので、私の愛用の弓ではなかった。そう言うと彼女は不満そうに隣のアンデッドを見上げる。
「ローザが持ってた弓、なかったの?」
「捨てた」
「ええっ、人のもの勝手に捨てるなんて! ひどーい!」
「……お前な」
 呆れ果てた様子のアンデッド。でもこればかりは彼が正しいと思ってしまう。
 だって、そもそも俘虜である私に武器を持たせようとしていることが変なのよ。私がセリナを人質にして逃げようとしたらどうするのかしら。
 他人事ながら……ううん、他人事ではないけれど、俘虜という立場を忘れて、なんだか心配になってしまうのよ。
「……で、ローザの弓の代わりがコレなの?」
「他になかったのだから文句を言うな」
 用意された弓はあまりにも大きくて、引けるかどうか、まして矢を真っ直ぐ飛ばせるかも分からなかった。
 というよりも、この侮蔑もあらわに見下ろしてくるアンデッドは多分、私には引けるわけがないと思っている。それが悔しい。

「ローザ、これで大丈夫? もっと普通のヤツ探してこようか」
「塔内でいくら探しても無駄だ。人間の小娘ごときに扱える武器など何処にもありはしない」
 ということはこれ、モンスターが使うものかしら。
 弾力性のかけらもなさそうな頑丈すぎる弓幹が視界を占める。こうあからさまに馬鹿にされると、びくともしないなんて間抜けな姿だけは曝したくないわね。
「スカルミリョーネ、イヤミっぽいな! もっと普通に言えないの?」
「っぽいもなにも厭味を言っているんだ」
「むっ……ムカつくぅ……!」
 ……私の前で仲良くしないでほしいわ。困るのよ。敵愾心を持ち続けてなきゃいけないのに。
 モンスターは皆とても凶悪で残虐で、人間の彼女はただ捕らえられているのだと思わせてほしい。
 当たり前のように魔物を許容する、セリナ自身の価値観はそれでもいいわ。でも私はダメなの。白魔道士が闇を受け入れてはいけないのよ。
 だって、暗黒の力に染まることを誰より恐れてるのは、私じゃなくセシルだもの。だから私は光の側にいなくてはいけない。
「いいわ。それ、貸してちょうだい」
「う、うーん……怪我しないでね」
 始めの内はとても心が強張っていて、彼女が訪ねて来ている間は少し安らげるようになって、今は……なんだか段々、馴染んでしまいそうで怖い。

 いつの間にか、なんとしても逃げ出さなくてはいけないなんて思わなくなっていた。安穏として歪な平和に慣れてしまった。
 セリナと話していると、今はこのままでもいいと思ってしまいそうで、それが敵の狙いなのかと疑うくらいに。
「おい、小娘」
 矢を引き絞ろうとした瞬間に声をかけられ、私が返事をする前にセリナが割って入る。
「小娘じゃなくてローザだよ」
「……貴様がもし、」
「ローザだってば」
「何かを企み、こいつに危害を加えるつもりなら」
「ローザっていうんですけどぉ!」
「喧しい! 少し黙っていろ!!」
 いいなぁ、楽しそうで。
 この人達は敵なのに、羨ましいなんて思ってはいけないのに。私も早くセシルのところに帰りたいわ。つまらない喧嘩をしたり、他愛ないことで笑い合いたい。

「いいか、ローザ……」
 あ、負けてしまうのね。
 いかにも不満そうに、けれどセリナの言いつけを聞いて名前を呼ばれる。私が小さく笑うとアンデッドの声が余計に苛立たしげになった。
 セリナに勝てる四天王は誰なのかしら。彼女もバルバリシアには甘いみたいだけれど、このひとは逆らえないのね。
「こいつに危害を加えたり、その武器を持って逃げ出すようなことがあれば、ただでは済まんからな」
「そんなことしないわ」
 このスカルミリョーネやゴルベーザや火のルビカンテはセリナに弱いみたい。他のマイペースな魔物たちを見ていると、良識がある者ほど逆らえないのかもしれないわ。
 ……ああ、良識ですって? ダメね、随分と毒されている。モンスターに良識なんて認めてはいけないのに。

 ゆっくりと矢をつがえる。私の身長ほどもある弓。部屋の入口に据えられた的を見ながら、「誰か入って来たら危ないな」なんてどうしようもないことを考える。
 弦を引き絞る手が震えそうになって、見透かしたアンデッドが嘲ったような気がした。それで体中から底知れない力が沸く。
 ぐっと気を引き締めて、放った矢は大きな音を立てながらまっすぐに飛んでゆき、
「あっ……」
「うぉわ……」
「…………」
 的を貫通して、部屋の壁を打ち砕いた。長い崩壊音から考えるに廊下の向こうの壁まで抜いたかもしれない。
 弁償なんて要求されないわよね? なんだかとても居心地が悪くて、恐る恐る二人を見た。
 あのマイペースなセリナですら顔を引き攣らせ、スカルミリョーネはただ呆然としていた。
「す、すごい威力ね、この弓」
「そっ、そうだね、さすがケンタウロス製だよね」
 そんなものを楽々と使えてしまってよかったのかしら、私。モンスター並の怪力女だと思われたかしら。
 力の入れ方にコツがあるだけなのよ。そんなこと言い訳しても虚しいけど。

「あ、はは。見事に壊れたね! すごいよね!」
 セリナは気まずい空気を払うようにスカルミリョーネの肩を叩いて、仏頂面のアンデッドはそんな彼女を睨みつける。
「……誰が直すと思って……」
「あなたが直すの?」
「…………」
 意外な言葉が気になって、つい聞いてしまう。そっと吐かれた溜め息は怒りよりも疲労の色が濃い。
 彼らと関わっていたら、容易に馴染んでしまいそうな自分に気づいて怖い。……でも。
「じゃあ私たちも修理手伝おっか。ね、ローザ」
 気晴らしにもなるからと笑うセリナに自然と頷いてしまう。
「そうね。私に何ができるか分からないけれど、壊してしまったのだから手伝うわ」
 ここにいるのはなんだか楽しいんだもの。染まってしまっても構わないなんて。……セシル、どうか早く助けに来て。




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