同情
砂漠の光を与えられてローザが目を覚ましたそうだ。今頃はセシルと共にファブールを目指してホブス山へ向かっているだろう。
俺はひとまず彼女の無事を知って安堵していたが、マコトはそのことで落ち込んでいた。
熱に冒されたローザを救うためにセシルたちはアントリオンの巣に入った。そこの主であったアントリオンは討伐されてしまったらしい。
大人しい性格で人間を襲うことは稀だというその魔物は、先日マコトが「必要になるかもしれない」と言っていた砂漠の光を守るためにセシルたちと戦った。
マコトにしてみればダムシアン王子が爆撃で死んだ時の保険だったのだろう。しかし結果的にアントリオンを死に追いやってしまったと落ち込んでいる。
そんなマコトに、慰めだか追い討ちだかよく分からん言葉を投げかけたのは陛下……の姿をした魔物だった。
「人間どもが宝石ほしさに殺しまくったんでアントリオンも凶暴化してるからな。お前が何も言わなくたってどうせ戦いになってただろうよ」
「どっちみち死んでたって言われても気持ちは慰められないんですが……」
「べつに慰めてるつもりもねぇよ。俺に同情心なんぞ求めるな」
「カイナッツォさんて性格が悪いですよね」
「魔物らしく邪悪だろ?」
がくりと肩を落としてため息を吐くマコトに向かって笑う表情は、陛下ではあり得ない冷酷さを滲ませている。
水のカイナッツォ。バロン王のふりをして玉座にいたのは変身の魔法を持つ魔物だった。
陛下の心が変わったのではなく別人が成りすましていただけだった。自分の行いを棚にあげて、そのことに喜んでしまう。
だがあの方は最期まで誇り高きナイトだったと、それは紛れもない事実だ。ただ……周りにいた俺たちが弱く、愚かだったに過ぎない。
主君が殺され、魔物にその姿まで奪い取られていたというのに、俺たちは気づきもしなかった。ベイガンが言っていたのはこのことだったのだろう。
城の奥、王の執務室でマコトはカイナッツォと今後の作戦を相談している。
俺は二人の会話を聞き流し、ダムシアンからの帰路に聞かされた“マコトとゴルベーザの事情”についてぼんやりと考えていた。
黒い甲冑を身につけている時はゴルベーザ、それ以外はマコト。あの謎がようやく解けた。ゾットの塔で聞かされたドグの言葉も確かに真実を告げていた。
浅黒い肌に銀髪を流した男の名はゴルベーザ。その体に宿っているのは、マコトという異世界の娘の精神だ。彼女は今この世界で起こっている“物語”を知っている。
飛空艇の上では荒唐無稽な戯言だと思っていたが、バロンに戻ってから改めて考えると不思議なことにマコトの言葉は真実だという気がしてきた。
いろいろと疑っても結局のところ、今まで不可解だった事柄はマコトの話を信じればすべて辻褄が合う。
それにあの時マコトは俺を洗脳しなかったんだ。そうするのが如何に簡単だったか俺自身が一番よく分かっている。
バルバリシアの指摘した通り、操られてセシルを憎めるなら楽になれた。自分の意思ではなかったと言い訳もできる。ほとんど「洗脳してくれ」と思ってさえいた。
それでもマコトは直前で伸ばした手を引いた。
操られて親友を裏切りローザを傷つけることになれば俺は……憎悪さえ、俺のものではなくなってしまう。抱え込んできた苦悩も痛みも他人に与えられた紛い物になる。
俺は自分の意思でローザを愛した。だからこそ軽やかに彼女の心を奪ったセシルを自分の意思で憎みたい。俺の理想を体現する親友に恥じぬ男であるために。
そして、自由を求める意思を守るべく戦っているマコトと、ゼムスの支配を振り切ったゴルベーザに敬意を表し、その目的を果たすために協力することにした。
物思いに耽っている間にファブールを攻める算段がついたようだ。
「まずダムシアンの人間にでも化けてファブールに偽の救援要請を出すんだな。あの二国は仲がいい。主力のモンク部隊を向かわせるだろう」
「そのモンクたちを罠にかけて魔物を送り込むわけですね」
ダムシアンへの爆撃でまたアンデッド兵が大量に増えている。ファブールの僧兵は屈強で知られるが、不死の魔物で波状攻撃でもすれば壊滅させることも不可能ではない。
「主力を引っ張り出しちまえば城内に入るのは簡単だ」
マコトはダムシアンの時と違って城内に町を抱えるファブールに爆撃を仕掛けるつもりはないようだ。突撃してから手痛いしっぺ返しを食らい兼ねない。
「籠城されると時間を食うぞ。町と城を抜けてクリスタルルームまで突っ走るのは難しい」
思わず口を挟んだが、俺の懸念をカイナッツォは一笑に付した。
「それも心配ねえよ。元バロンの海兵を何人か潜り込ませてるんでなぁ」
「……用意のいいことだ」
籠城されても内側から開ける準備はできているらしい。さすが何食わぬ顔で陛下に成りすましていただけあって、抜け目のない男だ。
しかし海兵部隊からも魔物化した者がいるのか。……赤い翼の台頭で割を食ったヤツばかりがマコトの元に集まっている気がする。
その一人としてはなんとも複雑な気分だ。
作戦が決まるとマコトは魔法を唱え始めた。ゴルベーザの姿が奇妙に歪み、髪や肌の色から体格に至るまで似ても似つかぬ人物に変わっていく。
「じゃあとりあえず変身してファブール王に会ってきますね」
現れたのは金髪碧眼の町娘だった。心なしかバルバリシアに似ている。
「お前が行くのかよ」
「非力な人間の役は得意です!」
「んなこと自慢気に言ってんじゃねえ」
賢者と呼ばれるほどの才能ある魔道士でも人間である限り変身魔法だけは使えない。それは肉体と精神の境が曖昧な魔物だけの能力だ。
しかしマコトはその魔法を習得していた。ゴルベーザには使えない、彼女だけの技だ。器である肉体と中にある魂が一致しないから別の姿をとることができるのかもしれない。
彼女は非力な町娘に見えるその姿でもって自らファブールに潜入するつもりのようだ。僧兵は油断ならない。だからこそ彼女自身が行くのが最適だろう。
本物の“マコト”は魔法も使えない異世界の娘。
ゴルベーザの厳めしい外見と結びつかなくて正体を聞かされても違和感が拭えないんだが、こうして人間の娘に化けていると外見と言動が一致して安心できる。
そう思ったのは俺だけではなかったらしく、見事に変身してみせたマコトの町娘姿を眺めてカイナッツォはため息を吐いた。
「変身魔法が使えるんだから普段から元の自分にでも化けとけよ」
「それはやめておきます」
「なんでだ。ゴルベーザ様の姿でお前の言動されると気色悪ぃんだがなぁ」
俺は心の中で密かにカイナッツォを応援していた。もっと言ってやってくれ。
本来のマコトの姿も年齢も分からないが、言動からローザくらいの娘のように思える。だがゴルベーザの見た目は三十路も近そうな男だ。
三十路近いオッサンが十代の小娘のように振る舞っている姿は、気色悪い。本当に。
変身魔法が体に負担を与えないならせめて今の町娘姿のように、常に同性に化けていてほしいと切に思う。
だが彼女はどうしてもそれはできないと首を振る。
「かけ離れてた方がいいんです。戻る必要性を感じなくなったら困るので」
これにはカイナッツォも意味が分からんと首を傾げていた。
何にでも変身できるならゴルベーザの姿でいる必要はない。
黒い甲冑に汚名を被せてゴルベーザの名誉を守るくらいなら、最初から虚像の悪役を作り上げておけばよかったんじゃないか。
しかしマコトはあくまでも“ゴルベーザ”として活動している。
「自分が本当は何者で、この体は誰のものなのか、忘れちゃいそうで怖いんですよね」
別人に変身してその姿に慣れてしまえば、ゴルベーザの精神を呼び戻そうという意思が薄れてしまうかもしれない。……そういう、ものだろうか。
「それに、慣れると男性の体の方が楽なんですよ。元の自分よりタフだし筋力もあるしブラジャーつけなくていいし化粧しなくていいし月経もないしおっぱい蒸れないし」
男には共感しにくいことを次々と挙げられ俺もカイナッツォも固まってしまった。
女の身より頑丈で力も強いのが便利だというのは理解できる……が、そのあとは……。胸が蒸れる? 何のことかさっぱり分からんな。
「まあとにかく、ファブールに行ってきますね」
「あ、ああ……」
男二人に多大な困惑を与えたことなど素知らぬ顔で、マコトはファブールへと転移していった。
魔方陣が消えて静けさに満ちた部屋でカイナッツォがぽつりと呟く。
「マコトが言うには、ゴルベーザ様は異世界であいつの体に入ってんじゃないかって話なんだよなぁ」
そうか、精神が入れ替わったのだからそういうことになるな。こちらとはまったく違う世界のようだ。ゴルベーザの方もいろいろな苦労があるのだろうか。
と、異世界に思いを馳せていたが続くカイナッツォの言葉でぶち壊された。
「ってことはゴルベーザ様は今、体力なくて筋力なくてブラジャーつけて化粧しなきゃならない月経もあっておっぱい蒸れる体で苦労してるってことか?」
「お、恐ろしい想像をさせるな!」
本物のマコトの姿を知らないからゴルベーザのまま想像してしまったじゃないか。夢に出てきたらどうしてくれる。
「うっかり慣れちまったら大変だな、確かに」
「……」
あったはずのものがなくなり、ないはずのものがある。俺がもしどこかの女と入れ替わってしまったらと考えてみる。
もしかしたらマコトよりゴルベーザの方がずっと大変な気苦労を負っているのかもしれない。異世界にいるであろう男に同情を禁じ得なかった。
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