侮蔑憤慨
魔法陣により召喚された異界の存在。未知の魔法や異質な知恵を与えてくれる頼もしき仲間となるに違いないと、期待した私が浅はかだったのかもしれない。
我らが主は、その者を手駒とするため召喚したのではなかった。
セリナを傷つけるなというゴルベーザ様の言葉を思い出すにつけ苛立ちが募る。今にして思えば、その命令を耳にした時に気づくべきだったのだろう。
私が引き合わされたのはただの子供だった。体は細く小さく貧弱で、精神も強靭とは言い難い、そのうえ魔力のかけらも持っていない人間の子供だ。
黒竜のごとく幻獣として使役するわけでもない、まして我々のように手足となって仕える配下でもない。ゴルベーザ様が何のためにあの娘を呼んだのか、私には分からなかった。
傷つけてはならないという曖昧な命令に守られて、何の使命も負うことなく彼女はここにいる。
それでも、用途を考えるのは私の役目ではない。彼女はゴルベーザ様の客人なのだと考えて無視していれば、さしたる戸惑いもなかったのだ。
しかし彼女の方が私を放っておいてはくれなかった。どうやら好奇心だけは強いらしく、セリナは誰にでも干渉してくる。
微かな不快感は彼女の存在を侮蔑の対象へと変えた。へらへらと臆面もなく弱味を曝し我々に近づいてくる、理解に苦しむ性情だ。
セリナは、我々のような魔物を恐れない。しかし警戒心がないのは腕に自信があるためではなく、この場で自分が傷つけられることはないと高を括っているからだ。
他者に追従して生きる、それを苦にもしない彼女が、理解できないうえに不快だった。
人間ごときに多くを求めるつもりはないのだが、彼女は特別だ。たとえ戦う必要がなくとも背負っているものがある以上、ただの人間であってはならない。
もちろん私もただ耐えていたのではなく、せめてゴルベーザ様の配下として恥じぬよう剣を持たせ初歩魔法を教えようとはしたのだ。しかし、
「戦うための強さなんていらないよ」
……それがセリナの答えだった。躊躇なく言い放たれた言葉に呆れ返り、もう何も言う気になれなかった。
強さなどいらない? それはまともに力を持ってから言うべき台詞だろう。この塔を出た瞬間に一人では生きていけなくなる、そんなか弱い人間の言葉ではない。
彼女は自分の立場を理解していない。我々は対等ではないのだ。にもかかわらず、ゴルベーザ様が彼女の増長を甘受しているという事実が、たとえようもなく不快なのだった。
時折、カイナッツォと戯れる姿を見かける。スカルミリョーネに纏わりつく姿、バルバリシアに何かをねだる姿を。
個人的に親しむのはいいだろう。しかし侮られては四天王の名折れだ。ゴルベーザ様だけではなく、他の者も皆して彼女を甘やかしすぎではないだろうか。
あの娘が一体何の役に立つのか? ……何の役にも立たないに決まっているじゃないか。分かりきったことだ。
傷つけないように注意を払わねばならない弱者など、この塔にあり我々と同じ位置に立っていることさえ厭わしい。
どうにか受け入れようと苦心もしたが、強さはいらないと断言した彼女を見て、限界だった。
セリナには強さを得ようという意志がない。ゴルベーザ様のお役に立つための努力をしないということだ。ならば何のためにここにいるんだ。
ーー私まだ何もできないけど、戦えないけど……ここにいさせてね。
出会ってすぐに冗談めかして言われた言葉。いや、彼女は本気だったのだろう。役立たずだがゴルベーザ様のお気に入り、だから守ってくれと。
そんな価値が自分にあると思っているのか。自らの力で立てない者が何故ここにいるんだ。強さへの誇りもない者が、私と同じ位置に。
最初は本当に、関わらなければいいと思っていた。私にはその価値を理解できなくともゴルベーザ様には意味があるのだと。
しかし放っておけばセリナの奔放さは増すばかりだった。
「じゃあさ、町に入らなきゃいいんだよね?」
「付き添いを連れて行くなら構わぬ」
「やった! 暇つぶしできるー!」
「だが、あまり無謀な行動は控えるように」
「うん!」
張り切って頷くと、彼女はそのまま振り返りもせずに走り去る。カイナッツォにでも外出の付き添いをせがみに行くのだろう。
四天王ともあろうものが小娘の使い走りか……情けない。
いなくなった影から目を逸らして殊更おおきく溜め息をつくと、ゴルベーザ様は振り返りもせずに仰った。
「不満そうだな、ルビカンテ」
……まあ、不満を隠しているつもりはない。
「セリナは近頃付け上がっているように思います」
来たばかりの頃こそ今よりは控えめな態度でこちらを窺っていたのだが、身の安全を確信してしまった今では我が物顔で塔内を歩き回り、ゴルベーザ様の庇護をいいことに好き勝手な振る舞いを続けている。
私の抱く不満、魔物としての在り方とは矛盾する彼女の存在を、訴えればゴルベーザ様は聞き入れてくださるだろうか。
できることなら彼女を……。
「お前はセリナにどうして欲しい?」
「は? どう、とは……」
尋ねようとした言葉は遮られ、逆にこちらが疑問をぶつけられた。
どうして欲しい、と言うなら私は彼女に出て行ってほしい。人間であるのは後々どうとでも変えられるが、弱さを良しとする者など仲間とは認められない。
「……戦う力が無いのならば鍛えれば良いのです。そのつもりがない者を仲間とは呼べません」
「今更セリナ一人が力を得ても、私にとって大した意味はない」
では何のために飼っているのか……とは聞けなかった。感情がない、それ故に深刻なゴルベーザ様の声が疑問を押し止めた。
一理あるかもしれない。彼女を鍛え上げて力をつけさせても所詮は人間、それで戦闘の役立つようになるわけではないんだ。
しかし、だから鍛錬を放棄してもいい、とは思えない。実際に強くなるか否かではなく、セリナに向上心のないことが気に入らないのだ。
何にせよ、ゴルベーザ様が彼女を望むならば彼女がどのような者であろうと拒絶することは許されない。
「ルビカンテ、弱さにも意味があるのだ」
「私には……」
分からない。あるいは、その意味を知ってしまえば憤ることもないのだろうか。
自分の貧弱さを諦めと共に受け入れ、それ以上の力を恐れるセリナに……歩み寄れるだろうか。できるはずがないと投げ出しそうになる。
「分かりました。努力はしましょう。しかしどうしても許容できない場合、私は彼女とは関わりません」
「好きにしろ」
気のせいか? ゴルベーザ様は今、笑われたようだ。感情などなかったはずの黒き甲冑の内側で、とても穏やかに。
それをもたらしたのが、彼女なのだろうか。
たとえ不快感が増すだけだとしても、私はセリナの存在の意味を知らなければならないのかもしれない。
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