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ラブ・バズーカ


 バブイルの塔ではマコトの手により各人の居住区画が振り分けられていた。私と配下に与えられたのは、ドワーフの住まう地底にも地表にも近い地下1〜5階だ。
 今のところはそれで収まっているのだが、クリスタルを巡る戦いも終わった今や私の可愛いアンデッドが人間に倒されて目減りすることもない。
 どちらかといえば新たに死んだ者たちを加えてじわじわと数を増やしているのが現状だった。このままではいずれアンデッド部屋からも溢れるだろう。
 それはマコトも見越しているようで、配下の数が変動してもいいよう我ら四天王の居住区と居住区の間は空白地帯として無人となっている。
 そして幸いにも最下層に暮らすルビカンテの奴めはやたらと手勢を増やさない。私の配下が更に増えれば、地下6階から先もアンデッド居住区になるだろう。
 今のところ、バブイルの塔を支配しているのはアンデッドだ。数で言うならば、の話だが。そして死体が増えれば同時に集まってくるものもある。

 私の部屋でゾンビーたちにもたれかかりながら読書に励んでいた彼女は、天井からポトリと落ちてきた黒い虫を目にして身を強張らせた。そして……、
「い……にやああああああ!!」
 よく分からない悲鳴をあげつつ書物を取り落として背後に飛び退いた。
「マコト! どうした?」
 悲鳴が聞こえると自動で転移するようにでもなっているのか、ちょうどマコトが飛び退いた先にルビカンテが現れてその身体を抱き留める。 
「ご、ご、き、あれが、あれがーー!!」
「あれとは何なんだ?」
 言語機能を失ったマコトの代わりに私が指差し、ルビカンテに知らせる。
「そこにいる虫のことだ」
 黒光りする体に長い触覚。いわゆるゴキブリという虫は、人間の生活空間によく出現し、害虫として嫌われている。
 例に漏れずマコトもこの虫が嫌いらしい。これまでずっと無関心だったと思ったら、ただ単にそれがいることに気づいていなかっただけのようだ。
 腐乱死体に溢れた私の部屋で、よくもまあ今まで遭遇しなかったものだな。死体と虫は切っても切れぬ縁で結ばれているというのに。
 ……いや、好きで結ばれているわけではないが。とにかくアンデッドのいる場所に、虫がいないはずもないのだ。

 マコトは虫のいる地面に降りるのが怖いらしく、ルビカンテの首に縋ってぶら下がるかのように抱きついていた。
 それを支えるルビカンテの腕がさりげなく触れてはいかんところに触れている気がしたが面倒なので無視しておく。
「ううっ、ひどいよ、ゾットの塔は浮いてるから大丈夫だったのに……やっぱりここ地上に接してるから……!!」
 塔とは普通、地上に接しているものだが。浮遊しているから虫などいないと思っていたのだろうか?
 しかしながらゾットの塔にもゴキブリはいた。塔内には地上から持ち込んだものが多数あったのだから当然だ。
 ただゾットではパープルババロアが食い尽くしていたのでマコトは見つけなかったのだろう。このバブイルは広すぎる。だから駆除と清掃が追いつかない。
「たかが虫ごとき、騒いでいる間に殺してしまえばよかろうが……」
 さわさわと周囲を探りながら床を這う虫に向かって本を振りかざすと、マコトは更に悲痛な声をあげて制止した。
「本で潰さないでええええ!!」
 ……それほど怯えて嫌悪するくせに殺すのも駄目とは、面倒くさい奴だ。
 私から見れば、泣きながら縋りついてくるマコトに無表情で興奮しながら抱きかかえているその男の方が、虫よりもよほど害悪だと思うのだがな。

 本にくっついたら嫌だとか雌だったら卵が飛び散って悲惨なことになるだとか喚きつつ、ルビカンテの首元に顔を埋めてマコトは必死で視界から虫を隠している。
 彼女が怯えるものの正体が単なる虫だと知って困惑していたルビカンテだが、その炎でゴキブリを軽く焼き殺すとようやくマコトも泣き止んだ。
「マコト。また見かけたら私を呼ぶんだ。すぐに焼き払ってやろう」
「でも一匹いたら二十匹はいるんですよ!」
「ならば何十回でも呼べばいい。奴らがいなくなるまで私がお前を守ろう」
「ルビカンテさん……」
 マコトはなにやらときめいているようだがよくよく聞けばあまり格好のつく台詞ではないと思う。なにせ敵が虫だからな。
 それにしても、彼女の眼前に虫が出るたびまたルビカンテが現れて炎を放つとすれば非常に迷惑だ。
 私のアンデッド部屋には結構な頻度でゴキブリが出る。そのたびに焼き払っていては私の配下まで死滅してしまう。
「ルビカンテ」
「何だ、スカルミリョーネ」
「……ゴキブリが滅びぬ限り何度でも同じ想いができるぞ?」
「!」
 混乱したマコトに泣かれ、抱きつかれ、助けてと縋られる。私であれば鬱陶しいとしか思えんが、ルビカンテには嬉しい出来事だろう。

 つい今しがたまでは救世主にも等しく思えていたルビカンテの顔を見上げ、マコトは頬を引き攣らせている。
「る、ルビカンテさん……? 何か怖いこと考えてません?」
 そうだな、マコトのためを思うならばゴキブリなど駆逐してしまうべきだが、塔に虫が出るたび怯えた彼女に抱きつかれるならば役得だという顔だ。
「いや、何も、妙なことなど考えていない」
「妙なことって何なんですか!」
 危険を察知したマコトが腕を振りほどいてスッと離れていくと、ルビカンテは慌てて弁解を始めた。
「待て、今のところ実行する気はない!」
「何をですか!?」
 おそらくあれは、虫を集めてけしかければマコトは更にイイ表情を見せるのではないか、とでも企んでいる顔だ。鬼畜め。
「も、もういいです! ルゲイエさんにホウ酸団子を作ってもらうから、ルビカンテさんには頼りません!」
「何だと? 私よりもルゲイエの方が頼れるとでも言うのか」
 それはそうだろうな。少なくともルゲイエならばマコトを弄って悦に浸ることはない。興味がないからだ。
「私だって服の中に虫が侵入すれば服を脱ぐのではとかあまつさえ服ごと焼き払っても許されるのだとか、そんなことを実行に移すつもりはないぞ?」
「る、ルビカンテさんのバカ!!」
「マコト!」
 うっかり想像してしまったのか、鳥肌の立つ両腕を抱き締めて涙目になりながらマコトは転移魔法で逃げた。ルビカンテもその後を追う。

 やれやれ、まったく騒がしい限りだ。さっきまで存在を感じさせぬほど静かに本を読んでいたのが、虫一匹でまるで怒濤のようだった。
 あれほどの騒がしさのなか炎まで舞っていたというのにゾンビーたちは終始無反応で寝転がっている。奴らに防衛本能は備わっていない。
 実際のところ、マコトが虫を駆除するために炎を撒き散らして私の配下どもを傷つけるとは思えん。だからルビカンテがアンデッドを巻き込むこともないだろう。
 混沌として塔に暮らしていた頃は衝突も多く、気づくとアンデッドが減っていることもままあったが、せっかく居住区画を分けたのだから穏便にいきたいものだ。
 それにしても……魔物にも、私のようなアンデッドにさえ不快感を示さぬマコトが、虫は嫌っているとは意外だった。
 彼奴には嫌悪感というものが欠落しているのではないかと疑っていたほどだ。しかし違っていたのだな。
 マコトであっても醜く不快に感じられるものには明確な拒絶を示す。ただそれが、我らには向けられなかったというだけのこと。
 彼女は我らを醜いとも不快だとも感じていない、ただそれだけのことだ。
 ちょっとした喜びのようなものが胸に去来したが、高鳴る心臓もないので気にしないでおこうと思う。




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