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ありふれた風景


 人間は顔じゃないとはよく言ったもんで、顔の造詣ってのはその人を見極めるのにあまり役には立たないらしい。
 目の前にいる人物は間違いなく従妹と同じ顔面をしているはずなのに、時々まったく知らない人に見えるのだ。
 歩き方とか視線の動かし方、声の抑揚、笑う時の口許だとか考え事をする表情。何かがいつもと違う。些細な仕草のひとつひとつが彼女を別人たらしめている。
 中身が違うだけでこうも変わるんだ。きっと私がゴルベーザと従妹を見間違えることはないのだろうなと思う。
 従妹はどちらかと言えば小動物系でかわいらしい代わりに、カッコよさというものからは縁遠い女の子だった。
 造りだけはまったく同じ顔形で私の隣に立つ従妹は言動の端々がどこかおっさん臭い。なんせ中身は異世界出身30歳男性だからな。
 ゴルベーザは、元の姿であれば渋くて凛々しかったであろう表情でなにやら思い悩んでいる。
 両手に持ってるのがトイレットペーパーだから凛々しさも台無しだけど。

 彼が悩み始めてからそろそろ五分くらい経つのではないだろうか。
「もう早く決めちゃってよ。一番安いやつでいいでしょ」
 トイレットペーパーごときでそんなに悩まないでほしいと思いながら私が特売のワゴンに手を伸ばそうとしたら、慌てたゴルベーザは私を制止して叫んだ。
「待てユカリ、それは臭い!」
「でかい声でそんなこと言うな!」
 急いで周りに人がいないかを確認した。幸いにも聞き咎められることはなかったみたいだ。なんか私が臭いように聞こえる言い方するなと言いたい。
 私が手に取りかけたトイレットペーパーを親の仇かってくらいに睨みつけながらゴルベーザは吐き捨てる。
「なぜ近頃はトイレットペーパーといい柔軟剤といいやたらと芳香を放ちたがるんだ? 匂いがきつすぎて鼻が曲がりそうだ……」
 近頃ってあんたはこの世界に来たの最近じゃん。とは思いつつ、脳裏にある従妹の記憶が蘇るたびに臭さも想起されて大変らしい。
 ゴルベーザは自分で臭いものを避けられるけれど、体が“かつて感じた匂い”からは逃げられない。
 マコトはべつにそんなの気にしてなかったんだけどな。同じ体なのに感じ方が違うのは不思議なものだ。

「芳香剤ほど強くないし、トイレの匂いが消せていいじゃん」
「だが包装を突き破ってくるほどの匂いは尋常ではないぞ。見ろ、高級感溢れる黒檀の香りなどと言ってこんなにも大量に特売品になっているではないか……」
 何なの、口喧しい主婦なの? スーパーに因縁つけるのが生き甲斐のクレーマーなの?
「人気あるから特売品なんでしょ。なんかこう、和風っぽいし」
「馬鹿を言うな。皆も買わぬから売れ残っているということだ。一体誰得なんだ、この臭いトイレットペーパーは」
 まあ私もトイレットペーパーに香りはいらないと思うけど、需要があるから供給もあるのでは? としか言えないよそんなの。
 どうもゴルベーザは芳香剤や町行く人の香水なんかも苦手としているようだ。嗅覚が過敏なのだろうか。特にケミカルな香りがダメらしい。
 もちろん気持ち悪いものを無理に使えと言う気もないけど、そんなことで五分も迷うなよ。
「じゃあもう、こっちの無臭のやつにしたら」
「それは薄すぎる。オブラートかと思うほどだ。安ければいいという問題ではない」
 あーもう、めんどくさいな!!

 付き合ってられないので先に食料品を買い込むことにした。店内をぐるっとまわって戻ってきたらまだ悩んでいたので会計を済ませ、袋に詰めて再び様子を見に行く。
「いつまで悩んでんだよ!」
「無臭かつ柔らかいやつが売り切れなんだ……」
「もういいよコンビニで買えば」
 トイレットペーパーくらい贅沢のうちには入らないわ。
 香りつきのペーパーに憎しみを滾らせるゴルベーザを引き摺って店を出るとなんかすごく疲れた気がした。
 最近は一緒に買い物にも出られるし、知り合いに会わないようにさえ気をつければゴルベーザも一人で行動できる。
 それは純粋に嬉しいんだけど、馴染みすぎてこういう生活の細々したことに拘り始めたのが地味に鬱陶しくもある。

「……あっちの世界ってトイレットペーパーあるの?」
「あるぞ」
「マジで」
 ふと思い立って聞いてみたら意外な答え。いわゆるトイレットペーパーがあるなら、向こうの世界には各ご家庭に水洗トイレがあるってこと?
 私が疑問に首を傾げていると、少し戸惑っていたゴルベーザが更に続ける。
「正確に言えば、ゾットの塔にはあったという意味だ。他の国のことは知らぬが、月では水洗トイレを使用しているのだろうな」
 ……なんだろう、ちょっと微妙な気持ちになる。トイレ事情とか聞くと一気にファンタジー感が薄れるせいだろうか。
「こちらのようなトイレットペーパーではないにしろ、水道設備の整っているバロンやファブールならば紙を利用しているかもしれない」
 確かに、あの辺はちょっと都会っぽいかも。逆にミシディアとかは汲み取り式かつ葉っぱとかで拭いてそう。偏見だけど。
 ダムシアンなんて、そんなに紙を作ってる余裕もなさそうだもんね。砂漠だし。……こんな話するとなんか夢がないなー。アイドルもうんこするのだと実感させられた気持ち。
「バロンには製紙工場があり、印刷技術も進んでいるな。トロイアでも紙は作っているが、あそこは閉鎖的だから印刷技術はあまり発展していないようだ」
「ふーん。なんで?」
「書物を国外に出さない……量産する必要がないからだ」
「あー、なるほどね」
 まず紙が庶民に浸透しないとトイレに紙を使うなんて発想は出てこない。現実でもトイレットペーパーが普及したのは新聞が発行され始めてから、と聞いた気がする。

 異世界のトイレ話に花を咲かせつつ、のんびり向こうの世界のことを話すゴルベーザに馴染んだものだと感慨深くなる。
 始めの頃は知らない人間を巻き込んでしまった後悔とか罪悪感とか、ゼムスから逃げられた安堵とかいろんなものでいっぱいいっぱい、って感じだった。
 それが今では、あっちのことを思い出すのに緊張感がなくなってきつつある。話題がトイレのことだから緊張しようがないってのもあるのだろうけど。
 異世界トリップとか逆トリップとかもっと世界のギャップに戸惑うものだと思うんだけど、精神が入れ替わっただけだからあまり困らずに済んでいる。
 ゴルベーザは従妹の、こっちの世界の人間の脳で思考することができる。言語の壁もないし「鉄の猪が町を走っている!」みたいな定番ギャグもなかったし。
 入れ替わっただけでよかった、と思ってしまうんだ。自分の体ごと来てしまっていたら、こんな風に寛げなかったんじゃないかな?
 本物のゴルベーザの容姿はこっちですんなり受け入れられるような平凡なものじゃないから。逃げた先でまで疑われて拒絶されるなんて気分悪いもん。
 それに、従妹がどうしているのか私には知る由もないけれど、ゴルベーザがのんびり暮らしているからには向こうもそれなりにやってると思える。
 巻き込んでしまったなんていつまでも悲観せずに、あっちの“ゴルベーザ”では得られなかった日常を楽しむ手助けになれていればいいな。

 従妹は腫れ物に触るような扱いをされない、自分を知る者のいない世界で羽を伸ばすことができる。
 ゴルベーザはゼムスの脅威に晒されずにいられる平穏な日常を手に入れた。
 たぶんきっと、彼らが入れ替わったのには意味があったのだと思いたい。二人ともが楽に生きていける世界に暮らしている。
 彼にとって、彼女にとって、この偶然は不幸ではなく幸運だった。そう言えるような、当たり前に幸せな日々であればいい。
 ……今日という日だって、いつ終わってしまうかも分からないものだからこそ。




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