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01


 ごく普通のおじさんに見えた人間は、私の目の前で溶けるようにするすると形を変えた。
 深い青色をした体に、お世辞にも美しいとは言えない顔。それはどう見ても立派なモンスター。
 四つ足の鈍重そうな風貌は亀のようだと少し親近感を持っていたら、彼はおもむろにその頑強そうな甲羅を脱ぎ捨て立ち上がった。
 亀でもなかったわ。

 せめて今の状況を説明してもらえないだろうか。
「あの……」
「うるせえ」
 それなりに勇気を振り絞って問い掛けようとしたのだけれど、私の言葉は理不尽に遮られた。
 魔物が人間に化けていた、ということなのだろう。もしかして知らなかっただけで村にも何人か魔物がいたんじゃないかと不意に思う。
 まあ、魔物でも人間でも似たようなものだし、どうでもいい。
 生まれ育った家を捨ててこのバロンにやって来たのには、特にこれと言った理由もない。何となく、だ。何となく逃げるように訪れたこの国で、私は彼に出会った。
 希代の賢王とか讃えられているバロンの王様。私の住んでたド田舎にまでその名が響いてきたのだから、どんなものかと思ってたのに。
 彼は私が思い描いてたような人物ではなかった。そもそも人じゃなかった。あと性格も最悪だった。
「うっせえぞクレア。オレは黙れと言ったはずだ」
 ぶん、と投げつけられた巨大な甲羅を、避けようとして失敗して激突した。痛い。下手したら死んでたよ。

 性格最悪なバロン王は、人間に化けた魔物だった。そしてこちらが黙ってるのにうるさいとか理不尽なことを言う。
 なんでも彼はヒトの心が読めるらしい。そりゃあ確かにうるさそうだ。
 噂なんかあてにならないものだね。人格者と評判のバロン王様は、街中で出会った初対面の娘をいきなり誘拐するような男だったのだ。
「俺が魔物だってことよりそっちが重大なわけか」
「直接私に害のあることだし」
「害ねえ……」
 有無を言わさず城に連れ込まれて第一声が「お腹すいた」だった奴が何を言ってもな、と白けた表情で吐き捨てる。返す言葉もない。
 彼は巨大で豪奢な寝台に縮こまって腰掛ける私の隣にやって来て、私を押し退けるとそこへごろんと寝転がった。
「……あの、それでカイナッツォ様?」
 先程聞いた名前を恐る恐る口に出す。ちらっと返された視線はすぐに去って、ものを尋ねていいのか分からなくなる。
 あっちは私の思考が透けて見えるのに、私には何も分からない。なんだかずるい。

 もう一度話し掛けるための勢いがつかなくて、さっきぶつけられた巨大な甲羅を手持ち無沙汰に弄り回した。
 体躯に見合った大きさだ。床に置いておかなきゃ、私には支えるだけで精一杯。
 こんなの背負ってて疲れないのかな。鎧の代わり? 魔物にも鎧が必要なんだろうか。見たところ、全て剥ぎ取ってもまだ丈夫そうな姿をしてるけど。
「おい……お前なあ。なんで攫われたのか聞くんじゃなかったのかよ」
「あっ」
 つい目の前の甲羅に気を取られてしまって忘れていた。集中力がなくて申し訳ない。
 すでに相手が口に出したことを繰り返しても仕方ないから、私は黙ってカイナッツォ様を見つめる。
「お前は何故バロンに来たんだ」
「え」
 そんなこと私の心を読めばすぐに分かるだろうにとか考えていたら、不精をせず言葉で答えろと怒られた。ごめんなさい。
「家にいる必要がなくなったので」
「親父はどうした」
「死んじゃったけど」
 その瞬間カイナッツォ様の顔にあらわれた表情は、不思議なものだった。ちょっと怒りが見えた気もする。
 どうしてあちらが私のことを聞くんだろう。この国に私が来たのは偶然だったけど、彼が私を誘拐したのは必然だったのかな。
「……まあ、どうせ暇になったら行くつもりだったがな」
「どこに?」
「お前の家」

 私の家は一国の主が訪ねて来るような何か重大な物事なんて秘めてなかったはずだ。たぶん、魔物の血筋とかも入ってないと思うし。
「どうすりゃそういう展開になるんだ。阿呆か」
 遠い親戚だったりするのかな、と思っただけ。だって訪ねて来る予定があったんでしょう?
 まあ、魔物と関わりがないわけじゃないけど。うちの畑は少し前までずっと同じ魔物に荒らされていた。
 毎年毎年、収穫の時期を狙って誰も殺さずただ壊しまくるだけの地味にムカつく嫌がらせを繰り返した性格の悪い魔物だ。
 お父さんの話では私が生まれてすぐから、ずっとずっと続いてたらしい。もはや喧嘩友達だと言っていた。
 それも突然ぱったりと来なくなって、私はついぞその姿を見ることがないままだったけど。
「見たかったのか?」
「少しだけ」
 どうして家に来るのか知りたかった。ああ、もしかしてカイナッツォ様はその魔物の知り合いだったのかな。
 浮かんだ考えに目を輝かせてたら、カイナッツォ様に変な目で見られた。これはたぶん、阿呆だと言いたいらしい。
「俺がその魔物だって考えは浮かばんのか」
「おお!」
 言われてみればその可能性は高い。すごい発見だ。バロンの王様はカイナッツォ様で、私の家はずっとバロン王による嫌がらせを受けてたんだ!
 そして家を出た今に到ってなお、私は彼に誘拐監禁されている始末。なんてこと。
「うちに何か恨みでもあるのでしょうか」
「目の前に美味そうな赤子がいたのに食い逃したら腹立たしいだろう」
「はあ。誰の話?」
「お前」
 最初は亀のようだと思った。でも甲羅を脱いだ彼はなかなか身軽そうで、ごつい体からも鈍重さは感じられない。
 カイナッツォ様は勿体振るようにゆっくりと起き上がる。瞳に宿る獰猛な光。筋肉質な巨体が私の視界を塞いでいる。
 魔物は私が生まれてから何度も繰り返し襲って来たらしい。私は、そいつに一度食べられそうになったことがある、らしい。生まれてすぐに。
「わざわざ自分からこっちに寄って来るとはな。危機意識が足りねえぜ、クレア」
「じゃあカイナッツォ様は始めから私が目的だったってことだ」
「……ハァ?」
 誘拐してここに連れ帰ったのは私だったからだ。かつて逃がした獲物、追い続けていた獲物。だから、手に入れようとしたんだ。私を。
 まだ、食べられそうになるくらいには価値があるんだ、私。

 カイナッツォ様の目から不穏な輝きが消えて、危機感のない私に呆れたように頭を掻いた。
「いいか、クレア」
「うん?」
「ここにいろ」
 囁かれたのはあまりにも淡白な言葉で、私は呆気にとられた。
 ここにいろってどういう意味? いや、意味は文字通りなんだろうけど。意図が全然分からない。
「あの、」
「とりあえず黙れ」
 それは一体何の理由があって、と問おうとした口が塞がれる。味見だろうか。
 でも、私を認識してくれるなら、もう唯一私を知ってるこの人になら、食べられてしまっても構わないかな。




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