夢が見れる機械が欲しい
朝、目が覚めたら見知らぬ場所にいたとか、自分が自分ではなくなっていたとか。生まれてからずっとそんな日が来ることを恐れていた。
ゼムスの思念から逃れたい。この心を支配されないためならば何でもする。何でもできる。いっそのこと夜が明けぬまま永遠に眠り続けてもいい。
だが、願わくは誰かに救ってほしい。その一心で遠く遠くへと助けを求め……、伸ばした手が何かを掴んだ瞬間、私はどこかへ引きずり出された。
目覚めたのは見知らぬ部屋だった。慣れ親しんだベッドではなく、私はエブラーナ王国の“フトン”に似た寝具にくるまっていた。
起き上がってみたが、体がとても軽い。それに心もだ。絶えず精神を蝕んでいたあの“声”がまったく聞こえなくなっていた。
それはずっと願い続けてきたこと、喜ばしい奇跡だというのに、なぜか嫌な予感がおさまらない。
一体何が起こったのか、寝ている間に無意識でテレポでも唱えたのか、ひとまず状況を把握するべく仲間の名を呼んでみる。
「ルビカンテ、ここは……」
どこだと続けることができなかった。何だ今の可愛らしい声は。思わず掴んだ喉は細い、その腕すらも細い。まるで少女のようではないか。
当然ながらルビカンテは来ない。やはりここはゾットの塔ではなさそうだ。それどころかエブラーナでも、他のどこの国でもないだろう。
四天王もルゲイエも気配を感じられない。世界のどこにも彼らの存在を感じない。おそらく先ほど私の声帯と思われるものが発した声に謎をとく鍵がある。
だが、認めたくない……!
背中を冷や汗が伝うのを感じながら、渋々と己の体を見下ろしてみると、そこには。
「……胸がある」
それはまあいい、許容範囲だ。いや、そうでもないか? どうも混乱しているようだ。しかしそれよりも重大なことは。
華奢すぎるほどに細い右手を恐る恐る動かして触れてみる。
「ない……」
やはり私は、私の肉体は、少女のものへと変貌していた。これも私を絶望へと追い込むためのゼムスの呪いなのか。
あまりにも酷い。
こんなことならバルバリシアとでも寝ておけばよかった、いや駄目だ仲間を不埒な目で見るなど、だが躊躇してる間に男を失うとは、と思考がせめぎ合う。
あれほどの美女と二十年近く共に時間を過ごしてきたのに、男として何もできぬまま、まさか女にされてしまうとは!
ああやっぱりこんなことならバルバリシアと……くそ……くそが……、ゼムスめ。絶対に、絶対に許さんぞ。もはや憎しみに心を捧げても構わぬ。
「あいつの逸物も切り落として殺してやる」
「おはようマコト。朝っぱらからすげえ寝言だね」
「……」
なぜか独り言に返事があった。顔を上げればドアを開けて少女がこちらを覗き込んでいる。
その竜鱗のような輝く黒髪に闇夜のごとき黒目が、黒竜っぽいなと思った。そういえば黒竜も召喚できなくなっているな。声が幻界へ届かない。
四天王の気配が感じられない時点で薄々そんな気はしたが、私は魔法が使えなくなっているようだ。
そしてここはゾットの塔どころか元いた場所とは異なる次元に存在しているように思う。いわば……異世界というやつだ。
察するに、私の肉体が少女のものと変貌したのではなく、私の精神がこの少女の肉体に入ってしまったのではないだろうか。
では何が起きたのかは分かるぞ。かねてより試し続けていた魔法が遂に成功したのだ。ゼムスを倒し得る強き魔道士の召喚に。
「おいおい、寝惚けてんのかい。大丈夫?」
黙っている私に不審な顔をするでもなく、その少女はこちらに近づいてきて私の額に手をあてた。
「具合悪いってわけじゃなさそーね」
……彼女はこの肉体の持ち主の家族だろうか。目の前の娘が別人に乗っ取られていることなど知らず、とても親しげな調子で話しかけてくる。
愛情と優しさ以外の何も感じない態度が胸を締めつけた。
「今日はパンにする? ごはんにする? それともわ・た・し?」
ごはんというと食事のことか。パンか食事か彼女かとはどんな選択だ。
いや待てよ、エブラーナでは炊いた米のことを“ごはん”と呼ぶと聞いたことがある。ではパンか米か彼女かという意味だろうか?
どちらにせよ何が何だかよく分からないのは同じだが、見知らぬ少女の口から覚えのある単語が出てきたことに安堵した。安堵したら、腹が減った。
「……パンで」
「めっちゃ真顔で考え込まれた挙げ句ツッコミなしとかもうね。恥ずかしすぎるわ」
笑いながら部屋を出て行く彼女を、私は呆然としたまま見送った。
この体の持ち主は……さきほどあの娘が名を呼んでいたが、確か“マコト”といったか。……マコトは無事に私の肉体へと渡れたのだろうか。
とても気掛かりなことがある。この肉体、どう考えても魔法が使えぬのだ。それどころか人並み以下に貧弱だった。
これで本当に私の目的を達成し得るのか? ゼムスを倒すなど夢のまた夢ではないかと思う。彼女が殺されれば私の肉体は死に、精神もまた消滅するだろう。
……まあ、それでもいいか。抵抗だけは試みることができたのだ。あとはせめてマコトが、私の代わりにあの憎き男へ一矢報いてくれることを願おう。
しばらくすると先程の娘が“マコト”を呼びに来た。どうやら食事の準備ができたようだ。おそらく同居人であろう彼女には話しておかねばならないな。
食卓には香しい朝食が並んでいた。こんな時になんだが、素晴らしい世界へ来たと感動してしまう。
「いただきまーす」
「……待ってくれ」
しかし話が先だ。彼女にとってマコトが大切な存在ならばできる限り早く現状を説明してやらねばならない。
「今から突拍子もないことを言うが、悪ふざけだとは思わず聞いてくれないか」
手にしていたパンを皿に戻し、彼女は腕を組んで物々しく頷いた。
「うむ。申してみよ」
「私はマコトではない。ゴルベーザという名で、こことは違う異世界からやって来た」
「あー、はいはい、うん。FF4やったの? にしてもなぜゴルベーザをチョイスした。リディアとかじゃダメなん?」
……妙な反応だな。まるで私を知っているかのようだ。しかしとりあえずは聞き流して説明を続ける。
「私は元いた場所からどうしても逃れたかった。助けを求めて手を伸ばした先に、この肉体があった。……信じてもらえるだろうか」
見知った者の中身がある日突然、別人に成り代わっていた。我ながら、まるでカイナッツォのごとき所業だな。
あいつがバロンを乗っ取ることに難色を示していたくせに私は、見知らぬ少女に己の業を押しつけるのか。
彼女は漆黒の瞳でじっと私を見つめていた。この身の内にあるものの正体を計ろうとしているかのようだ。精神魔法でも使っているのかと思う。
「急に中二病に目覚めるとしても食事中にふざけたりしないよね」
マコトが普段から戯言で人を惑わすような娘でなくてよかった、というところだな。彼女はなんとか私の話を信じてくれたようだ。
「あんたがゴルベーザってのは置いといて、マコトはどうしたの?」
「私は、私の敵に抗う力を持つ魔道士を召喚し、肉体を明け渡すつもりだった。私がここにいるということはマコトが私の肉体の中にいるはずだ」
「入れ替わった、ってわけね」
理解が早くて助かる。マコトがゼムスを倒すのがいつになるか想像もつかないが、彼女には迷惑をかけることになるだろう。なるべく穏便に接したいものだ。
さしあたっては彼女の名が知りたいのだが、問う機会を逸してしまった。
「もう分かってるかもしれないけど、マコトは魔道士でも何でもないよ。あんたが今いる世界には魔法なんてないし、魔物もいない」
やはりそうか。だが、仮にゼムスに負けたとしても彼女はこちらの世界に戻ってこられる。危機に瀕すれば死よりも先に転移できるようにしてあるのだ。
「誰かと喧嘩したこともないマコトがゼムスを殺せるわけないよ」
「それでも構わぬ。“ゴルベーザ”が死ねばある程度の目的は達せられる。事が済めば彼女の精神はこちらに……」
無事に戻って来るからと言いかけて、口をつぐんだ。
彼女は射抜くような目で私を見ていた。
「なぜ、ゼムスを知っている?」
思えば先程も“ゴルベーザ”という名を知っているようだった。それだけならまだしも、ゼムスの存在を……誰も知っているはずがないのに。
「……名前を聞いても?」
「ユカリ」
簡潔に答えるとユカリはパンを食べ始め、私にも朝食を勧めてきた。
「とりあえずさ、これ食べちゃってよ。片づけたらFF4のタイムアタックね」
「言ってることが分からないのだが」
「お互い説明しなきゃいけないことはいっぱいあるでしょ」
確かにそうだな。ユカリが望むなら長い話は飯の後でもいいだろう。
そして私は用意された朝食に手をつけた。それは、遠い幼少の頃に食べた母の手料理のごとく、素晴らしい美味だった。
マコトは……料理が得意であればいいのだが。でなければきっとあちらの世界で泣くことになる。
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