眩しき空
魔法の効かないミズキがケフカの注意を引きつけて、その隙に私たちはすべての幻獣を召喚し、一斉攻撃を仕掛ける。それが彼女の作戦だった。ケフカは光の中に消滅し、彼が作り上げた異形の神々も斃れ、そこにはミズキだけが立っている。血を流し傷ついたミズキが。
「ミズキ! どうして……」
「大丈夫だ、問題ない」
「バカ! 問題だらけだろうが!」
神々と戦うため散らばっていた仲間たちが駆け寄ってくる。マッシュが止血しようとすると、立っていられなくなったミズキはその場にへたり込んでしまった。三闘神のエネルギーを取り込んだケフカは魔法攻撃しか使えないと彼女は言っていたのに。あれはおそらく、この作戦を止めさせないための嘘だったんだわ。
「いやマジで、咄嗟にユラが庇ってくれたから、見た目ほどヤバくないんで大丈夫よ」
確かに彼女の言う通り一つ一つの傷は浅いみたいだった。でもこのまま血を流し続けていては危ない。すぐに治療しなければ……、無意識に手を伸ばしかけた私を制するように地面が揺れた。あちこちで壁が崩壊し始める。
「塔が崩れるぞ!」
「三闘神と……ケフカがいなくなったせいか」
壊れた世界の瓦礫で作り上げられた塔を支えていたのは神の力。彼らが滅びた今、危ういバランスで建っているこの塔は長く持たない。セリスがミズキの手を取り、抱き起こした。
「皆で脱出を……! ウーマロ、ミズキを抱えてあげて」
「あー無理ごめん。動いたら目眩する」
止血したそばから布が赤く濡れ、青褪めたミズキはセリスに支えられても立っていられなかった。
回復しないと。ミズキを助けないと。ケアルを……、
「ティナ! どうしたの?」
何をやってるんだろう。ミズキに魔法は効かないのに。でも……。
「ケアルが、唱えられない……」
もしも目の前で誰かが死にかけていたらどうする? 私に魔法が使えなかったらどうする? 大切な人を失いそうになったら。今、ミズキを助ける力を差し出されたら、私はきっと受け取ったに違いない。
魔法の創造主たる三闘神が斃れた。この世から魔導の力が消えていく。そして、幻獣も。愕然とする私たちの顔を見渡してふと笑いかけ、ミズキは静かに告げた。
「私はここに残る」
「ミズキ……?」
「大丈夫、ティナは消えたりしないよ。その命は神様なんかにもらったもんじゃないからね」
「でも、ミズキは……?」
「ずっと嘘ばっかりでごめん。でも、私もすぐに帰るよ。この約束は必ず守る」
痛みに顔をしかめつつもミズキはなんとかして立ち上がった。死ぬつもりはない、生き延びる算段はあると彼女は言う。もしそれを嘘だとするなら彼女はここで死んでしまう。だから……信じるのよ。
「ミズキは嘘つきじゃないわ」
どうしてか、どうやってかは分からないけれど、ナルシェで初めて出会う前から今までずっと、私たちを見守ってくれてた。私、あなたのことを知っていた。帝国から来たんじゃなくたって、私の世話係なんかじゃなくたって、ミズキは嘘つきではないわ。
「帰ってきてね。約束よ」
「おっけー任せろ。地衣類並のしぶとさ見せてやるわ」
シヴァを呼び出して周囲の壁を凍りつかせると、魔石が砕け散った。だけどこれで……少なくとも、しばらくの間は大丈夫。ちょっと休めばミズキはきっと、彼女しか知らないやり方で生き延びてくれる。
私たちが去るまでミズキは無理をして立っていようとするから、彼女を休ませるためにも未練がましく振り向いてはいられなかった。行かなければ。
ミズキとシャドウが機能を停止させておいてくれたガーディアンのいる部屋を抜けたところで、壁を壊してバハムートが飛び込んできた。その背からセッツァーが降り立つと同時にまた魔石が砕ける。
「……待ちくたびれて迎えに来ちまったぜ。行きがけの道はもう崩れてる。なんとか外壁まで突っ走れ」
残された時間はもう幾許もない。私の力を使えるのもきっと今だけ。残された最後の力でトランスして皆の前に浮き上がる。必ずここから連れ出してみせるわ。
「ついて来て。私がみんなを導く!」
この塔は魔導研究所によく似た区画が多い。大部分がベクタの瓦礫で構成されているせいかもしれない。幻獣を閉じ込めておく施設、その頑丈さに今ばかりは感謝する。脱出するだけの時間はあるはず。
廊下を抜ける直前、床板が外れてちょうど上を渡っていたエドガーが落ちそうになる。咄嗟に彼の腕を掴むけれど鎧と機械が重くて私では足場まで持ち上げられない。
「カイエン! そ、そこのスイッチを押してくれ!」
言われるがままにカイエンが機械を作動させると、足場が現れなんとかエドガーがそこに着地した。ユニコーンが召喚され、彼を乗せてカイエンたちのもとへと運んでくれる。
「助かったよ、カイエン」
「機械音痴もなんとかなるものでござるな……」
ユニコーンの魔石も砕け、更に先へ進むと今度は巨大な魔獣が私たちの前に立ちはだかっていた。
「あれは……!」
魔大陸で戦ったアルテマウェポンに似ている。きっとミズキが避けるよう言っていたアルテマバスターという魔法生物ね。
「た、戦うでござるか!?」
ミズキが戦わずに無視しろと言うくらいならあれはアルテマウェポンと同等かそれ以上に強力なはず。律儀に戦闘している時間はない。遠回りしてでも違う道を探すしか……。
「今考えていることの逆が正解だ。でもそれは大きなミステイク……、進むぞ!」
意を決してセッツァーが魔獣の横を突っ切った。ファントムとオーディンのコンビネーションでアルテマバスターは静かに消滅する。また二つ、魔石が砕けた。
研究所、魔導工場、それにベクタ城……カイエンの夢の中のように、まるでケフカの記憶を元に作られているみたいだった。彼が本当に壊したかった世界は、彼の心を壊した、帝国という小さな世界だったのかもしれない。
工場エリアを抜けようとした時、エドガーの頭上めがけて鉄骨が倒れてくる。彼を庇うようにマッシュが立ちはだかると、降り注ぐ瓦礫をゴーレムが弾き飛ばした。エドガーが苦く笑う。
「また俺か。苦難にモテても嬉しくはないな」
「心配すんな、兄貴。何が起きても俺が支えてやるよ!」
「ああ……、頼むぞ、マッシュ!」
動かなくなった機械の山をイフリートが壊して道を拓き、まっすぐに突き進んでゆく。崩壊はすぐそこまで迫っていた。また床が抜けて次はモグが落ちそうになる。
「たすけてクポ!」
壊れていないクレーンを見つけたエドガーが、フックを操作して壁にしがみついていたモグを吊り上げる。「ぬいぐるみじゃないクポ!」と怒る彼をカーバンクルがくわえて足場へと運んでくれた。
工場を抜ける厚くて大きな扉は閉ざされたまま歪に変形してしまっている。セリスとマッシュが引っ張るけれどびくともしなかった。
「開かないわ!」
「ウガー!」
雄叫びをあげてウーマロとカトブレパスが突進すると、鉄の扉はひしゃげて遠くへ吹き飛ばされた。
城の出口には更に堅牢な扉が立ち塞がっていた。この仕掛けには見覚えがある。ベクタの……、ガストラ皇帝の部屋に通じる扉と同じだ。操りの輪をつけられていた私にこれを操作した記憶はないけれど、セリスが開け方を知っている。
「ダメ……電源が入らない!」
雷鳴が轟いて部屋中を電気が駆け巡った。ラムウが……私を見つめ、静かに頷いて、そして消えていく。自分の力に戦き、暴走する私を呼び止めてくれた優しい声が、もう二度と聞こえない。
「両方のボタンを同じ手順で押さなくては!」
「ゴゴ! セリスの真似をしろ!」
息が切れる。力を失いそうになる私をセラフィムが支え、共に飛んでくれる。行き止まりにあたるとケット・シーの先導のもとガウが瓦礫を掘り起こして道を作り出した。
「ちかみち、ちかみち! ガウガウ……ちかみち、ちかみち!」
最後尾で見守っていたセリスの足元が床ごと崩れ去ると、咄嗟にロックが彼女の手を掴んだ。
「ロック!」
「離さないぞ! 絶対に……!」
足場からずり落ちかけた二人をフェニックスがその背に乗せて運んでいく。その後を追うように、ゾーナ・シーカーとビスマルクが皆を乗せ、一気に駆け抜ける。
魔石が割れるたびに私も世界との繋がりを失っていく気がした。三闘神に与えられた力……私の中にある魔導が少しずつ消えて……でも、私の中にあるのはそれだけじゃない。
一度、幻獣としての力が尽きかけた時、私の手の中で魔石が光った。
「お父さん……?」
「ティナ……、お別れだ。この世界から幻獣が消える……、だが、人間として大切なものを感じることができたなら……お前はきっと……」
その硬質な音は心まで砕くほどに悲しい響きだった。砕けた魔石から力が注ぎ込まれるのを感じた。まだ……飛べる。お父さんがくれた力で飛んでいける。
マドリーヌのペンダント、そしてミズキの“鍵”が胸元で揺れていた。そうよ。私は消えたりしない。この命をくれたのは三闘神なんかじゃないもの。
私が生まれることを望み、私が生きることを望んでくれた人がいる。だから私は、ここにいる!
「お父さん……、私は大丈夫。帰るべき場所を見つけたの」
逃げるリルムたちを追うように、背後から床が崩れ落ちる。塔はもうほとんど形を保てていないようだった。ミドカルズオルムがその巨体を橋にして耐えてくれる。
「あきらめちゃダメ! 走っておじいちゃん!」
「すまんのぉ……リルムや、わしを置いて先に……」
「弱音ばっかり言ってたら似顔絵かくぞ!」
「あわわ! それだけは勘弁ゾイ!」
力尽きて消えていくミドカルズオルムの体から滑り落ちた二人を、ヴァリガルマンダが拾い上げて飛ぶ。
「……でもね。ホントの似顔絵を、おじいちゃんにかいてあげたいの」
「リルム……、よせい、こんな時に……霞んで前が見えんゾイ」
フェンリルに導かれるようにインターセプターが駆けてきた。……シャドウがいない。そのことに気づいて止まりかけた私の背をラクシュミが優しく押した。立ち止まってはいられない。でも大丈夫……仲間を、信じていれば必ず帰ってくる。
瓦礫を避け、走り続ける力も尽きそうになった皆をキリンが癒してくれる。最後の足掻きに群がってきたモンスターはセイレーンが眠らせた。アレクサンダーが眼前の壁を打ち破る。
「最後の魔石が!」
悲鳴のようなエドガーの声を背後に聞いた時、ファルコンが見えた。外に出たんだ。もう、飛行するのも難しくなっていた。それでも目の前に見えている船まで皆を飛ばす力くらいなら……。お願い、お父さん。もう少しだけ力を貸して!
皆をファルコンの甲板にテレポさせると、視界が歪んで見えた。体を支えることができずそばにあった岩に手をついてしまう。まだダメ……、私も帰らなければいけないのに。
「ティナ! 早くこっちへ……、あなたの力はもう……!」
セリスの声を遮って瓦礫がファルコンの上に崩れてくる。セッツァーが舵を切り、咄嗟に塔から距離をとった飛空艇が私を迎えに戻ってきた。辺りに轟音が響き渡る。早く、早く船を離れさせないと、崩落に巻き込まれてしまう。
――まだ……がんばれるでしょう?
私が帰るまで、あの子たちも頑張っているの。私が諦めたらミズキの帰ってくる場所だってなくなってしまうのよ。約束を守るために……、もう一度、飛び上がる。
立ち塞がる瓦礫を、雲を吹き飛ばし、ファルコンの前に道を切り開く……!
「あ……、」
空を切り裂くように飛び続け、遥か遠くで最後の瓦礫が崩れ去った時、私の身体から魔導の力が抜け落ちた。
生まれた時からずっと渦巻いていたものがどこにも見つからない。
始めは力を持っていることが恐ろしかった。でもその力で大切な人を守れると知ってからは喜びに変わった。破壊のためだけじゃない、仲間を守るための力、いつも私を包んでくれたあたたかな光が、消えた。
世界が逆さまに見えた。いつの間にか空が青い……だんだん遠ざかっていく。もうあそこには行けないんだわ。風とひとつになって体いっぱいに魔法を感じることは二度とない。
でも、私は大丈夫。力をなくしたって、生きていく理由がある。私の帰るべき場所が待っている。最後に飛んだのが青い空でよかった……。
「ティナ!」
白い鳥が飛び込んできたみたいだった。猛スピードで追いついてきたファルコンが私を拾い上げて、気づけばセッツァーの腕に抱き留められていた。
「セッツァー……」
「言ったろう? 世界最速の船だって」
「ええ……、ありがとう!」
よろめきながら甲板に立つ。ケフカが世界に打ち立てた破壊の楔は影も形もなくなっていた。塔のあった場所には煙が舞い上がっている。ファルコンはその場を離れ、世界を駆け巡った。大地に緑が芽生え始めている。海に小波が立ち、太陽があたたかな光を注ぐ。魔法のない、新しい世界……。
モブリズではディーンたちがこちらに向かって何かを叫びながら手を振っていた。もう、人と同じ音しか聞こえない……けれど、私はここで生きていく。この眩い空のもとで、ミズキが帰ってくるのを待っているわ。
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