今だけのモーメント
ラウンジで寛いでいたら、今日の夕食当番であるミズキがバンッと派手にドアを開けて入ってきた。
「ジャガイモが芽吹いてしまいそうなのでカレーライスを作ります」
唐突な宣言に置いてきぼりの皆を無視して彼女は続ける。
「辛口がいい人ー？ はい！」
すぐさま挙手した辛口派はミズキと兄貴、そしてストラゴスの三人。対して挙手しなかった甘口派はティナ、カイエン、セリス、ロックにリルムと優勢だ。特にティナとセリスは大きな発言力を持っている。食事のメニューは基本的にあの二人が決めると言っても過言ではなかった。まあティナの場合、自分の好みってのがまだあまりないのでその時に応じてミズキかセリスに合わせてるだけみたいだが。
ちなみに食えれば何でもいい派の俺とガウとシャドウ、モグ、ウーマロ、ゴゴはその時の状勢を見て穏便におさめられそうな方につくことが多い。今回はカレーだからガウとモグは甘口、シャドウとウーマロ、あとゴゴもミズキの真似をして辛口だ。甘口派が七、辛口派が六。これで俺が甘口を選ぶとその時点で勝負は決する。ミズキには悪いが、一番穏やかに済む方法だな。
「マッシュ！」
しかし、旗色が悪いと見るやミズキは俺の前でなんと土下座した。
「って、なんか俺が居た堪れないからやめてくれ！」
「何でもするから辛口に一票を！」
「分かった、分かったよ！ 俺も辛口を支持する」
そりゃ俺もどっちかっていうと辛い方が好きなんだけどさ。たかが晩飯の味つけくらいで土下座だの何でもするだの、大袈裟だろ。あと兄貴、何でもしてもらえるなら俺も甘口派に鞍替えしようかなって内心が駄々漏れだぜ。
これで同率だ。多数決の鍵を握っているのは素知らぬ顔でカードを眺めている我らが船長。鬼気迫る表情のミズキがテーブルに身を乗り出して問い詰めると、セッツァーはようやく顔を上げた。
「船長はどっち！？」
前回カレーライスを作った時「外で食ってきたからいい」ということで不参加だったセッツァーは、どっち派なのかよく分かっていない。皆、固唾を飲んで事態を見守っている。ミズキの勢いに呑まれているだけとも言う。そしてセッツァーの出した答えは……。
「あァ？ んなもん、間をとって中辛でいいんじゃねえの」
「は？」
おっと、投げやりなセッツァーの態度がミズキの逆鱗に触れたようだな。
彼女は特に辛党というわけじゃないらしいが、カレーライスに関してはかなり細かい理想を持っているそうで「甘いカレーなど言語道断、黙して死すべし」と言っている。尤も、ティナとセリスが作った時はハチミツ入りでもリンゴ入りでも喜んで食べているんだが。
ミズキの好みは食べると唇がピリッとして額に汗が滲む程度の辛さ。辛口とはいっても明確な痛みを感じるほど辛いのは嫌なんだそうだ。そんな風に絶妙な加減のカレーライスを求めてやまない彼女はセッツァーの胸ぐらを掴む勢いで切々と語る。
「中辛ってのはさ、甘党も辛党も満足できる万能選手じゃないんだよ。甘党には辛いし辛党には物足りない、ただの半端者でしかない。もちろん中辛を一番おいしいと思う人もいるしそれは各々の好みだから構わないけど、中辛で満足できるのは“中辛党”だけってことを忘れるな。お分かりか？ そして今は“辛口”か“甘口”かを聞いてんだよ！」
怒りと興奮でぜえはあ言いつつもなんとか息を整えて、ミズキはキッとセッツァーを睨みつける。
「さては船長、甘党だな」
その瞬間セッツァーの肩がビクッとなった。図星なのか。なんか意外だな。酒好きだし、外見の印象からしてもなんとなくセッツァーは辛党だと思い込んでいた。甘いカレーライスがこの上なく似合わない男だよな。
ミズキは目を逸らして誤魔化そうとするセッツァーを上から目線で問い詰める。
「甘口派のくせに『俺が甘口カレーなんてガラじゃねぇぜ』とかカッコつけてて、でも辛口は食べられないから妥協してギリギリ許容範囲の中辛にしとこうって腹だろ、あ？」
それにしてもミズキって、カレーライスが絡むとやけに口が悪くなるよな。ガウやリルムの教育によくないからやめてほしいぜ。
久々に辛いカレーが食べたすぎるあまり必死になっているミズキを、同じく辛口派の兄貴とストラゴスは苦笑して眺めている。心中穏やかでないのは甘口派のカイエンとロックだ。なんせ今セッツァーに向いている矛先がいつ自分に狙いを定めるか知れたもんじゃないからな。
「辛口に入れろよ。普段は辛党でしょうが！」
「うるせえな。カレーライスはまろやかな方が好きなんだよ」
「まろやかって面かよ」
「んなこたぁほっとけ！」
段々と言い争いが子供染みてきたぜ。しかし確かにセッツァーも、普段は酒のつまみになるような塩辛いものを好む。甘党なわけじゃなく、カレーライスだけが例外ってことだな。ミズキもなんだかんだで皆の好き嫌いは把握しているらしい。それでもなお辛口のカレーライスが食べたいんだ。
お前のそのカレーに懸ける情熱は一体なんなんだ？
もう鍋を二つ使って甘口と辛口の二種類を作ればいいじゃないか、面倒だっていうなら俺も手伝うしさ。……以前そう提案してみたこともあるが、そういう問題ではないのだと激怒された。これは男を懸けた戦いなのだと。……あいつ、女だったよなぁ。たぶん。
「船長が辛口に入れないって言うなら、例の借金を今すぐ返してもらうことにしようかな〜」
「何だと？ 期限まで日があるはずだろ」
手段を選ばなくなってきたミズキにセッツァーの顔色が少し悪くなる。すると彼女は懐から一枚の紙を取り出してセッツァーに突きつけた。
「では書面を確認してみましょう。『乙は甲の定めた期日に従い貸付金を返却する』とあります。じゃ、期日を定めますね。今日ってことで」
「あん時に言ってた内容と違うじゃねぇか！ 三ヶ月は待つってお前、」
「私はそんなことを言っていませんよ？ その言葉を証明できますか？ こちらには借用書がありますので、私の定めた期日にあなたが従うという意思は証明できています。というわけで貸付金70万ギル、きっちり返してくださいね」
「はあっ！？ 俺が借りたのは30……」
「おやおや勘違いなさっておいででは？ こちらに金額が記載されております。きちんと確認のうえ署名も頂きましたよね？」
もしかしてあいつ、元の世界で地上げ屋でもやってたんじゃないかな……。さすがに焦りを通り越して怒りを感じたらしいセッツァーが、ふてぶてしく腕を組んでミズキを睨み返す。
「んな無茶苦茶な金、どうやって取り立てる気だ？」
が、そんなことは聞くべきではなかった。ミズキはいい笑顔で仲間を振り返り、
「ウーマロおいで、“セッツァーをやっつけろ”そしてゴゴはその真似を」
「だああっ、分かった分かった、辛口にすりゃいいんだろ！」
「あー、なんだか急にもう少し返済を先延ばしにしてもいい気分になってきたなー。あ、ウーマロ座ってていいよ」
……圧勝した。
ここまで来てミズキに逆らってまで甘口のカレーライスを食べたいと言う者もいない。甘口派だった七人は次々と意見を覆し始めた。
「リルムも辛口でいいよ。前回は甘口だったんだしー」
「ミズキおこるなら、おれ、からいの、くうぞ！」
「私も。無駄なダメージを受けるよりはミズキに合わせるわ」
「じゃ、俺もそれでいいよ」
「ミズキが辛口を食べたいなら私もそうする」
「モグも辛口でいいクポ！」
「腹具合がよくなかったのでござるが……致し方ない。拙者も辛口で」
いや、カイエンはそもそもカレーライスをやめといた方がいいんじゃないかと思うんだが。
「カレーライス15人前はいりまーすいぇーい！」
これ以上ないってくらい嬉しそうなミズキを見て皆も微笑ましくなってきたようだ。まあ、たかがカレーライスの味ひとつで幸せにも不幸せにもなれるなら、今日くらいミズキの好みに合わせてもバチは当たらないよな。
しかしその“たかがカレーライスの味ひとつ”のために理不尽な脅迫を受けたセッツァーは納得がいかないらしく、不貞腐れて吐き捨てた。
「もう二度とテメェから金なんか借りねぇ」
「それでファルコンを維持できるなら御随意にどーぞ？」
「うぐっ……！」
……実はこの飛空艇って、ミズキのお陰で飛んでたのかなぁ。なんかこの二人がオペラ座のダンチョーとマリアに見えてきたぜ。静かに淑やかに締め上げてくる分、マリアの方がミズキより怖かったけどな。
下手にちょっかい出すのが怖いのか誰も行かなかったんで、キッチンに立つミズキを手伝いに行くことにする。食材がなかなか手に入らないんで具は少ないが、人数分ジャガイモの皮を剥くだけでも結構な重労働だ。
「で、結局は両方とも作るんだな」
ミズキは八人分の甘口カレーと七人分の辛口カレーを二つの鍋にわけて煮込んでいる。ちなみにダンさんは口内炎ができててカレーはつらいそうで、彼用に魚の煮つけも用意されていた。最初から全員に辛口を食わせる気なんかなく、要望通りに作ってやるつもりだったらしい。
「どうせ手間は大して変わんないからね。洗い物が鍋一つ増えちゃうくらいか」
「はあ……。いいけどさ、あの騒ぎは何だったんだよ」
「うーん。息抜き？」
この雑多な仲間たちが揃って行動できるのは今だけなのだから、なるべく賑やかに楽しんで過ごしたいじゃないかとミズキは言う。賑やかは賑やかだけど、少なくともセッツァーは楽しんで過ごせてないと思うぞ、さっきの騒動。
でもまあ、そうだなぁ。兄貴はともかくとして他のやつらはケフカを倒したあとどこで何をして生きていくのかよく分からないし、もしかしたらもう二度と会えないやつだっているかもしれない。そう考えると確かに、晩飯に何を食いたいか、なんてくだらない騒ぎも大切な時間に思えてくる。
ケフカがやってることは絶対に許せないし、許してはいけないと思ってるが、あいつが暴れなきゃ今この時を皆と過ごすこともなかったわけだ。そして俺は、この日々を楽しく感じてもいる。……なんか、変だよな。でも悪くない気分だ。
カレーを煮込む間、なんとなくラウンジに戻らずミズキと話していた。
「そういや、本当に30万もセッツァーに貸してるのか？」
さすがに倍以上に膨らませて取り立てることはないだろうけど、30万だって相当な大金だ。いくらファルコンの維持費が嵩むといってもそのすべてをミズキが負担しているというのは信じ難い。だが、ミズキは事も無げに頷いた。
「飛空艇の管理には金がかかるのさ」
「いや、そりゃそうだろうけど。よくそんなに持ってたなと思って」
すんなり貸せるってことはミズキがそれ以上の金を持ってるってわけだろう。世界の崩壊前からこつこつ準備して貯めていたらしいのはなんとなく知ってるが、セッツァーと再会してファルコン号を手に入れるまでは金を節約しながら旅してたんで妙な感じがする。と思ったら、ミズキはけろっとした顔でとんでもない事実を告げた。
「とりあえずジドールの銀行に870万ギルあるよ？」
「……へっ？」
「ファルコンの維持費とラスダン突入の準備費用を抜いても1000万ギル残るようにしたいですね」
「な、なんでそんな、大金、なんのために……」
「余るだろうけど、終わったら皆で適当に分ければいいよ。ドマなんか特に、これだけじゃ復興費用には到底足りないだろうし」
一桁くらい間違っているんじゃないかと思った。いや、たとえ一桁違っていたところで驚きの大金なんだが。オペラ座に脚本を流して稼いでいるようだし、ジドールの貴族経由でもいろいろやってミズキは金を貯め込んでいたらしい。それも戦いが“終わった後”のことを考えてだ。……なんか……。
「ずっと一緒にいられるのは今だけかもしれないけど、エンディング後も繋がっていられたらいいなと、思ってるよ」
なんか、敵わないな、いろんな意味で。
ミズキがこっちの世界に残る決心を固めたのは最近のことだろう。少なくとも魔大陸に突入する頃は……迷ってはいたかもしれないが、まだ帰ろうという気持ちもあったはずだ。そのくせ自分が使えるわけでもない金をこっちの世界のために貯めていたんだな。
何があって帰らないことに決めたのかは知らないけど、……よかったと、思ってしまう。ケフカを倒したあともこの暮らしは消えてなくなるわけじゃないんだ。
きっとカイエンはドマに帰るだろうし、ガウも一人で獣ヶ原に行かせたくはないし、俺はドマの復興を手伝うつもりでいたけれど、そのための資金をミズキが貯めてたなんてまったく気づかなかった。自分はいなくなる予定だったくせに、そんなことを考えてたなんて。そんなにも当たり前に、俺たちみんなの未来を考えてたなんて。
なにやら妙に恥ずかしくなって目を逸らし、話も逸らす。
「ところでお前って、なんでそんなにカレーライス好きなんだ？」
あからさまな話題の転換にも気づかないのか、わざと気づかないふりをしているのか、ミズキはうーんと考え込んだ。
「やっぱ、ふるさとの味ってやつなのかな。さすがに市販品と同じではないけど向こうを思い出させる味だよ。なんせここはハヤシライスもあるくらいだからね、侮れん」
よく分からないがカレーライスはミズキの世界にもあって、しかもハヤシライスまであるらしい。こっちは向こうの世界をもとに作られているんだから当たり前なのかもしれないが、完全に隔てられた異世界ではないということが嬉しかった。とくに、ミズキがこっちに残ると分かってからは。
「……ねえマッシュ、ハヤシライスのハヤシって何か分かる？」
「えっ、いや、知らないな。考えたこともなかった」
「ハヤシさんではないだろうけど……。まあ、日本でも諸説あるしなー」
カレーライスに拘るのは、あっちの世界のことを覚えておくため。……もう、戻らないためだったのかもなと、不意に思った。
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