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鼓動


 その真っ黒い空間には覚えがあった。モグやカッパが案内役として登場する、あの感じだ。そう理解した瞬間ザッと鳥肌が立った。慌てて自分の体を見下ろすもちゃんと人間の胴体に手足がくっついて安堵する。
 あーよかったー、カッパになってなくて! どうもカッパ状態になることを恐れすぎて体験してもいないのにトラウマとなっている気がしてならない。
 そんな挙動不審な私の耳に、苦笑する声が飛び込んでくる。
「何をやっとるんじゃ、お主」
「え……」
 光の射さない真っ暗闇。なのに目の前にいる相手がきちんと見えているのはどういうわけか。黒い空間を切り取ったかのごとくポツンとそこに立っていたのは、ゾゾで別れてから幻としてしか会えなくなったラムウだった。
「な、なんでここに?」
「私はずっとここにいた。むしろミズキが現れたのだがな」
 それもそうか。大体、思わず言っちゃったけどなんでここにも何もまずここは一体どこなんだ。
 見下ろせば足元もただひたすら黒いだけの闇が広がっている。立っていられるのだから地面はあるのだろうが、一寸先が崖でも気づけないほど深い闇だ。いや、そもそも本当に私は“立っている”のか? そんな錯覚に惑わされているだけじゃないのだろうか。足の裏には地面と接している感触がない。といって宙に浮いているわけでもなく……。
 現実味の薄いこの空間は何なんだ。夢の世界か、でなければまさか。
「まさか霊界ってやつじゃないよね?」
 私の質問に対して、ラムウは曖昧に頷いた。
「人間の観点から言えば同じようなものだが、厳密には違うぞ。ミズキの言葉に合わせるならば、ここは霊界への入り口……その周囲に存在する空間とでも言おうか」

 単刀直入に、私は死んだのかと問えばラムウは首を振った。ならばあなたは生きているのかと問うてもやはり違うと言う。
「我ら幻獣が死すると肉体は魔力の粒子となってこの空間に還る。ちなみに、粒子を結晶化したものが魔石じゃな。我々は精神のみの存在となっても魔石を介して現世に干渉できる。それが人間との違いであろうか」
 やはり、と思う。ラムウは死んだ直後に少し会話ができただけだが、マディンなどはラストダンジョンを脱出する段階になってもまだティナに語りかけることが可能だった。魔石となって肉体は死を迎えていても、少なくともあの段階までマディンの精神は消滅していないということだ。
 三闘神が滅びない限り、幻獣に完全な死は訪れない。私の思考を感じ取ったらしく、ラムウが頷いた。
「我らはそもそも三闘神の力そのもの。肉の体は枷だ。死により肉の器から解き放たれた精神は、ここへ還って本来の力を取り戻す。そして魔石を介して他者にその力を与える」
「それが召喚?」
「左様」
 幻獣というものは、太古の昔に三闘神の力に触れた生物のことを指す。彼らはその時に強大なエネルギーに侵食されて、生命としてのシステムを作り替えられた。一度死んで、違うモノとして生き返ったんだ。意思を持った魔力、精神生命体とでも言うべき存在と成り果てた。
 そして魔大戦の後にゲートを作り出して幻獣界に移り住んでからは、これ以上の争いを生まないように自らの精神を肉の枷に封じ込めた。
 封魔壁を越えた幻獣たちが心に変調をきたして暴走したのは、幻獣界を出たせいでエネルギーを抑えるプログラムがうまく働かなかったのだという。肉体は魔法の暴走を防ぐため精神を制御しようとし、それに対し精神は本能のまま暴れようと肉体に抗う。
 ラムウや西の山に避難して以降のユラたちのように、力を行使しようとせず肉体と精神の両方を抑制させることができなければ、こちらの世界でうまく存在できないらしい。
「幻獣は精神生命体だ。だからこそ肉体を失っても活動できる。ではミズキ、お前はなぜ“ここ”に存在できるのだろう?」
「それは……」
 私という存在も、幻獣と似たような在り方でこの世界に立っているからではないだろうか。

 このゲームの世界に私の肉体は存在しない。私はここで生まれなかったのだから当然だ。ミズキの肉体は今あちらの世界で死に……あるいは、ほとんど死んだような状態に陥っているのではないかと思われる。
 ここにあるのはミズキの精神、記憶、あるいは魂と呼ばれるものだけだった。そしてその精神が「我ここに在り」と思考するがゆえに仮初めの肉体を構築・再現している。つまり、現実界に存在する私の肉体は魔石から召喚される幻獣と同じなのだ。実体はあるけれど、生きてはいない。
 精神だけなんてそれじゃまるで幽霊じゃないか。だが察しの悪い私の魂は「でもここで思考して息してるんだからそれは即ち私が“生きてる”ってことじゃない?」と判断してこの世界に存在し続ける。意思の力のみで生きている。魔力ではなく精神力、イマジネーション、もっと大雑把に言うなら“思い込み”の力で肉体を維持している。
 いわば自分の死に気づいていない幽霊のようなもの。……改めて、あの時ナルシェでティナに出会っていなかったら、私はそのまま消滅していたんじゃないかと思えてならない。
 ここに至ってラムウがそれを話してくれるのは如何なる理由なのか。答えは明白だ。
 自分が死んだと理解していないからこそ生きていられる。ということは、肉体の死を魂で理解してしまったら私は消滅するのだ。今ここに思考する私という存在なんてただの錯覚に過ぎないのだと、認識できてしまったら、否応なしに魔法が解ける。
 ……あっちの世界に帰って夢から覚めるように元に戻るとは限らない。
 よくあるだろう、トラックに跳ねられて死んだ拍子に異世界へ、という話。確かトラック転生なんてひとつのジャンルとして確立されるほど巷に満ち溢れていたと思う。単なる妄想かもしれない。しかしそれだけ多くの人が同じことを考えるなら、現実に起こってもおかしくはない気がしてくる。
 なぜ私はゲームの中の世界にいるのか。なぜ私は、ナルシェの炭坑に降り立つ直前の記憶がないのか。ほとんど荷物も持たずに私は向こうで何をしていて、何がきっかけでここに来たのか。
 ……あっちの世界で、私はもう死んでいるんじゃないのかな。そんな風に考えたことが私にもありました。元の世界に戻ったとしても、何事もなく目覚めるとは思えない。少なくとも、魂だけが異世界に飛ばされるような“何か”が私の身に起きたのだ。

「元の世界に戻るイコール成仏になるかもしれない、と」
「それでも戻りたいか?」
「うーん」
 戻った瞬間に肉体の消失を自覚して死に至るというなら一体なんのために戻るのかと疑問を感じてしまう。しかしこのままこっちにいたところで私はちゃんと人間として生きていけるのか? という不安もあった。が、これに関してもラムウが解決してくれた。
「今こっちの世界にいる私って実体のある幽霊っていうか、アンデッドみたいなもんなのかな?」
「どう定義するかはお主次第だが、幽霊だと言うならば……そうじゃな。心音を鳴らし、呼吸し、あたたかな血を持つ生きた幽霊ということになるか」
「……うーん。幽霊っぽくないね」
 所詮は想像から成る仮初めの肉体ならばヒトとしての生を歩めないのではないか? 答えは、否。
 まあ考えてみれば現状からして暑さ寒さに痛みといった感覚も働いており空腹を感じれば食事もするし、もちろん排泄もある。私は生きているのと同じ時間を刻んでいる。時間が経てば当たり前のように年をとり、何事もなければ平均的なヒトの寿命と同時期に死を迎えるだろう。
 あっちの世界で私の体がどうなっているとしても、こっちの精神としては生きているつもりでいるんだ。この、魂が作り出した器は、ヒトの生命活動を再現している。私はこっちの世界でなら“続き”を生きていられる。
「それで、どうする?」
 帰りたいかとラムウが尋ねる。もし本当にあっちの私が死んでいるなら帰る意味などないというのに、まだ迷う。多くのものを見捨てて見殺しにして苦しんで、そうまでして私は……。
「……死にたくない」

 目を開けると暗い空が視界いっぱいに広がっていた。どうやらオペラ座へ向かう船の甲板で眠っていたようだ。体を起こすと横で丸まっていたインターセプターが身動ぎし、船縁に凭れたままシャドウがこっちを見る。
「……大丈夫か?」
「うむ。とりあえず生きてるよ」
「そんなところで寝るから妙な夢を見るんだ」
 私は魘されてでもいたのだろうか。ラムウと交わした会話はハッキリ覚えているのに現実感が全然なくて、夢でも見てたんだろうと言われたら納得してしまいそうだ。……でも、あっちの世界で私は死んでいるかもしれないという、それは非常に納得のいく話だった。
 同じ荒唐無稽でも「ゲームの中に入っちゃった!」よりは「死後の世界は自分の好きなゲームの中だった!」の方がなんぼかリアリティーがあるものね。……いや、そうでもないかな? どうだろう。
 先程のラムウが本物か、夢か、いずれにせよ私の脳はその可能性を考えていた。だからあんなものを見たのだろう。
 現代日本じゃ『楽になりたい、死にたい、消えてしまいたい』なんてのは若者共通の願いだったわけですよ。もちろん幸せになるために真面目に頑張っている人が大多数だったのは知っているけれども。私はそうではなかった。頑張る気力なんて、幸せになりたいと願うほどの心なんて、もう残ってはいなかった。
 こっちみたいにモンスターもいなくて日常生活に死の危険がなく、何もしなくても流れ作業で生きていけるような世の中では心ばかりが繊細になって。何のために生きていくのかと考えると苦しかった。幸せになることに対して価値を感じられなかった。家庭を持ち、この疑問を次代に継いでいくのが耐えられなかった。終わりにしたかった。
 どうやって、かは分からない。だが、どうして、なら分かる気がした。私は死を選んだのだろう。それはとても信憑性のある推測だ。ゲームの世界から現実に帰ろうとしていたつもりが、そもそも私は現実からこっちへ逃げてきたのだな。
 好きだったはずのレオ将軍やシド博士に腹が立ったのは、私が彼らをキャラクターではなく一個の“人間”として見始めていたからだ。この世界はいずれ脱するべき“ゲームの中”ではなく私にとっての“現実”に変わりつつあった。そしてこちらの現実でなら、私は……。
「変な話だ。向こうじゃさっさと死にたいだけだったのに、いつでもうっかり死ねそうなこっちの世界では、なんとかして生きていたいと思ってる」

 不穏な言葉にシャドウが微かな反応を見せる。私は立ち上がり、彼の隣に立って水平線を眺めた。陸地が見える。もうじきマランダを通りすぎてオペラ座に着く頃か。甲板で寝転がってたせいで身体中が痛いな。……とても生きているって感じがするよ。
 ティナはどうしてるかな。もうモブリズに行っただろうか。セリスは今も眠っているはず。私が行って、起こすことはできるだろうか。彼女たちも、ここにいるシャドウも、心に暗いものを抱えている。あの二人はそれでも生きていたいと願ったが、シャドウは違った。ゲームの中では。
「もう終わりにしたいんだろうなっていう気持ちは、分かるよ。……でも……」
 罪悪感に打ち克って生き続けろとか、生きてりゃいいことある、いつか幸せになれるなんて私には言えないみたいだ。でも、それでも。私は今ここにいることを後悔していない。生きててよかったとも思わないけれど、少なくともまだ生きることを苦しむだけの心が残っている。
「シナリオを全うするつもりなら私はたぶんバレンの滝で死んでたと思う」
 マッシュと一緒に行けば奇跡でも起きない限り滝から落ちて死んでいたはずだし、残って別行動をとっても一人で生きていく力はなかった。シナリオとまったく関わりのないところで、私はシャドウに命を救われていたんだよな。
「私が生きてここにいるのはシャドウがいてくれたお陰なんだ。だから私はあなたに生きてほしい。好きなゲームのキャラクターだからじゃなく、死ぬことが決まってるからじゃなく、ただ目の前のあなたに、生きてほしいと思ってるよ」




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