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どこへ落ちて行くのだろうか


 小石が崩れてくる天井を睨みつける。どうやら穴からガードが飛び降りてくるということはなさそうだった。
 ティナと共に走って逃げ、突如として足場が消えた。こんな脆くて危険なところは廃坑にしてしまえ。それにしても、恐怖を感じる暇もなく落ちたのは幸いだったのだろうか。ティナが手を引いてくれるまま無我夢中で走っていた私は自分の身に何が起きたのかもよく分からなかった。
 どうも尻から落ちたらしいことだけは推察できる。なぜって尻が痛いからだ。
 ふと見ればティナは私の横で気を失っていた。咄嗟に私を庇ってくれたのだろう。彼女が下敷きになってくれたから私は尻の痛みだけで済んでいる。
 外傷は見当たらず出血もしていないけれど、意識がないのが不安だった。頭を打ってたらどうしようとか傷の残るような怪我をしていたらマディンとマドリーヌに腹を切っても詫びなければとか、考えたくないことばかりが次々と浮かぶ。

 ティナはもう二度も私を助けてくれた。ゲームの世界に入り込むなんて不可思議な事態に見舞われ、私は孤独感に苛まれながら呆然と立ち尽くしていた。そこへ颯爽と表れて「あなたは誰?」と彼女が尋ねた。私に話しかけ、繋がりを与えてくれた彼女に縋った。私が名乗るとティナは「ミズキ……」と噛み締めるように私を呼んだ。
 彼女が現実に繋ぎ止めてくれたんだ。そして今もまた、味方の顔してついてくる私を何の疑いもなく庇ってくれた。
 無表情なだけに大人びて見えていたけれど、こうして目を閉じているのを見るとティナの顔立ちは幼さが目立った。普段はいつでも戦えるように気を張りつめているのだろうか。その緊張が切れると肌は青白く頬も窶れて、彼女が疲れきっているのがよく分かった。
 まだ18歳の少女だ。生まれてすぐに母親の腕から攫われ、帝国の殺人兵器として自我を封じられて育ち、これからは帝国を倒すために利用されることとなる。動かない表情の内にある心は磨り減っているのかもしれない。取り戻すべき自分自身がどこにあるのかを始めから知らないまま。
 私はいったい何をやってるんだろう。原作だけで充分すぎるほど過酷なのに、この上さらにティナの負担を増やしてどうする。彼女は私を庇う必要などまったくなかったじゃないか。

 どこからかヒヤリと風が吹き込んでくる。今更ながら坑道の外が雪景色だったのを思い出した。自分の服装が部屋着でなくて、夏服でもなくて本当によかったと安堵しつつ、羽織っていたコートを脱いでそっとティナの体を包む。これで少しはマシになるといいのだが。
 っていうかそもそも彼女ちょっと薄着すぎやしませんか? さすがにゲームのように肩や素足が丸出しのビキニアーマー? を着てるわけじゃないけれども帝国の軍服らしきパリッとした服は防寒性に優れているようには見えない。
 ティナの服装は、薄手の上着に簡素なブレストプレートをつけただけで防寒具の類いは一切なしだ。ここの季節がいつ頃だったか記憶にないが少なくとも雪深いナルシェに来ようという人間の着る服でないのは確かだろう。
 それとも操りの輪というものは装着すれば暑さ寒さも感じなくなるのだろうか。でなければ魔導アーマー内は暖房が効いてるとか? どっちにしろ、帝国が装備の手配を怠っているのは間違いないが。
 ふと私自身の服を見直してみる。ダブルフェイスのコートを脱いでやや肌寒いが、ヒートテックと裏起毛のパーカーで凌いでいる。実のところ腹巻きも装着していた。なにやら混乱していて現実世界が何月何日だったか思い出せないが、この格好を見る限り私は真冬の世界からここへやってきたようだ。
 もし夏服だったら悲惨なことになっていただろう。しかし幸いブーツも撥水防寒仕様だし、ナルシェを逃げ出すまでは耐えられると思う。むしろ薄着になれないのでフィガロへの旅路がヤバイ。
 それ以前に問題なのは、この現代的すぎる衣類がロックに不審がられるかもしれないということだ。見たことのない服だと言われたら……そうだな、「これは帝国で支給される防寒着です」とでも答えることにしよう。ティナの世話係という設定だからちょうどいい。

 ティナが気絶してる間にロックがやって来て、私だけ置き去りにされるわけにはいかなかった。時期も時期なのでナルシェの住民が異邦人である私を好意的に受け入れて保護してくれるとは思えない。良くて町から放り出されるか、悪くすれば帝国の人間だとして殺されるだろう。
 そして運良く殺されなくても一人で町の外に出た瞬間モンスターとエンカウントしてゲームオーバー間違いなし。
 生き残るためにはティナたちと一緒に行かなくてはならない。非戦闘員である私がラストダンジョンまで同行させてもらえるのだろうか。でもこのゲームをクリアしなければ元の世界へは帰れないんだ。それだけは分かっている。まるで啓示のように頭の隅にこびりついているんだ。
 なんだか不安になってふとポケットを探ってみる。何も入ってなかった。おかしいな、いつも鍵と財布とスマホを突っ込んでるはずなんだけど。でもそういえば、ここがゲームの世界だと気がついた時にはもう手ぶらだった。いつから荷物を持っていなかったのだろう? こちらの世界で落としたなら悪用されようがないからまだいいけれど、もし“向こう”で落としていたら戻った時に面倒だな。
 意識的に考えないようにしていたのに、一旦そこへ目を向けると郷愁が胸を締めつけた。私は本当に帰れるんだろうかと不安になる。
 それに妙なのだ。私は今日、何をするためにどこへ出かけていたのか、それがどういうきっかけでこの世界へ入り込んでしまったのか……まったく思い出せない。

 坑道は不気味なほどに静かだった。迷路のように曲がりくねって入り組んでいるからほんの数メートル先も壁に阻まれ窺い知れない。ガード連中はどこまで近づいてきているのだろう。
 私たちの位置は知られているし、地理を把握しているであろう彼らは崩落現場を迂回しつつ今までよりも効率よく最短距離で追いかけてきているはずだ。
 やがて、声が聞こえ始めた。静けさが怒声に掻き消されてゆく。魔導の少女を探し出して捕らえよと叫ぶ声が壁に反響してあちらこちらから聞こえてくる。何百人もの追っ手がいると錯覚しそうだ。実際には数人に過ぎないと分かっていても恐怖を煽られる。
 不安を押し込めるようにティナの手を握った。まだ反応はない。彼女はロックと合流して出口付近に着くまで気絶したままだ。だからこの手を離して、はぐれてしまったら、私の名を呼んでくれる人はいなくなる。
 じっと息を潜めて待つことしかできない身には一秒が数時間にも感じられた。
 だから、音も気配もなくいきなり天井から落ちてきたその影に、驚きすぎて声も出なかった。

 うっかり名前を呼ばなかった自分を誉めたい。彼はティナのように簡単には誤魔化されてくれないだろう。私は怪しいところのない一般人、間違っても異世界から迷い込んできた不審人物なんかではなく私が彼を知っているはずはないのだ。うん。よし。
「あの、」
「ちょっと待った、いろいろと聞きたいけど後回しだ。そこを動くな、何もするなよ」
「はいぃ」
 ちょっぴり涙目でこくこく頷いた私に訝しげな一瞥をくれ、ロックはバンダナを揺らして迷路の奥へ駆けて行った。あれ、モーグリはいないのか?
 そういえばさっきの落盤って、まさかモーグリたちの踊りのせいじゃないだろうな。日頃から踊りまくってるから地盤がゆるゆるになってるのでは。それともナルシェのやつらが無節操に掘りまくったせいで坑道全体が脆くなっているのか。
 トロッコのレールも敷かれていないこの辺りは岩を支える木枠も見当たらなくて、坑道というよりは天然の洞窟みたいな雰囲気だ。いつでもどこでも今この瞬間にもまたどこかの壁や天井や床が崩れ落ちる可能性が高いということ。とっても怖い。

 ロックが姿を消してすぐにガードとおぼしき男の声が闇の中に響いた。戦闘が始まったのだ。慌ただしい沢山の足音とシルバリオの爪が岩を引っ掻く音。罵声。悲鳴。打撃音。
 ここからは迷路に遮られて見えないが、薄暗い通路の奥に一度だけ白い影がよぎって心臓が凍りそうになった。たぶんあれはモーグリであってオバケじゃないはずだ。大丈夫、ダイジョウブ、平常心。
 いざという時に何ができるわけでもないけれどせめてティナを抱きしめて通路を見張り続ける。ロックとモーグリがしっかり道を塞いでくれているようでガードは一度も姿を表さなかった。そして何よりも、血の匂いが漂ってこないことにホッとしていた。
 リターナーの一員としてロックは中立国であるナルシェの人たちを殺したくはないだろうし、ガードの方でも帝国兵を追い払いさえすれば事足りるのだからこの場は被害が大きくなる前に退却を選ぶだろう。そう願いたい。この場で誰も死ぬ必要はない。
 ロックが戻ってくる前に、くるんでいたコートにティナの袖を通させてしっかりと着せ直し、気絶したままの彼女をおんぶする。思ったほど重くはない。ただ背中に当たる金属のプレートが冷たくて痛いのが難点だな。

 程なくしてロックが戻ってくる。彼は私がティナをおんぶしているのを目にして盛大に眉を寄せた。
「どっちが“魔導の力を持つ少女”だ?」
「え? あ、ああ。彼女です。ティナ・ブランフォード……崩落の時に私を庇ったせいで気を失っちゃって」
「君も帝国兵か」
「私はミズキ。彼女と一緒に帝国から来たけど、兵士ではないしそちらに敵意はありません」
 ティナを背負って両手は塞がっているし、敵意がないのは信じてくれるだろう。見ようによっては重要人物である彼女を人質にしてるとも思われかねないけれど、まともに話をするまでは仕方ない。ここで見捨てられては困るのだ。
 ロックは渋々といった顔で頷き、通路を指差した。
「話は炭坑を出てから、だな。ついて来られるか?」
「全力疾走ってわけにはいかないけど、なんとか走ります」
 決めておいた“設定”を頭の中で再確認する。戦闘能力皆無の私が生き延びる術は限られていた。彼らの、主人公だからこその優しさに取り入って助けてもらうしかない。
 不健康としか言い様のない軽さのティナをしっかりと背負い直して、先導してくれるロックのあとを追いかけ走り出した。




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