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足元と前は同時に見れない


 自分がどこにいるのか分からないってのは、思った以上に心細い気持ちになるもんだな。
 昔は修行としてコルツ山の中腹に放り出されて三日三晩さまよい歩いたこともあった。それでもなんとか自力で山を降りて小屋に戻れたし、少なくとも死ぬ前にはどこかで見守っている師匠が助けてくれると知っていたから怖くはなかった。しかしまったく見知らぬ土地で一人となると、何もできない。途方に暮れるばかりだ。
 俺はどうやらタコ野郎が放った自棄っぱちの一撃で吹き飛ばされたらしく、気がついたら見知らぬ川辺にひっくり返っていた。レテ川に落ちたんだからその下流だとは思う。それにしたって一体どこまで流されたんだろう。
 早くナルシェに向かわないといけないが、町の方角も分からないんじゃあここから川を遡っていくのはさすがに難しそうだ。この近くに町があることを願おう。とにかく人から情報を得ないことには始まらない。
 仮にもし、ここが異世界だったらと考える。どっちへ向かって歩き出してもナルシェどころか知ってる町には辿り着けないとしたら、何をしても決して元いた場所には戻れないと気づいたら俺は、どうするんだろう。ミズキはそういう状況に置かれていたんだな。
 そんなことを考えてちょっと呆然としていたら、川上からミズキが流れてきてビックリした。
 結果的にはラッキーだったな。すぐに現在位置が分かって振り返りもせず歩き出していたら、俺のあとから流れてきたミズキに気づかなかっただろう。

 ミズキは気を失っているようだった。ピクリとも動かず、水面から突き出た岩に体をぶつけながら流れてくる姿は死んでるみたいですごく焦ったが、水から引っ張りあげると確かな脈を感じて安堵の息を吐く。
 抱き上げて見るとあちこち擦り傷だらけだ。大怪我こそないにせよ、兄貴が見たら泣くかもしれない。すぐ治るといいんだがな。それにしても、最後に見た時ミズキはティナと一緒にちゃんと筏に乗っていたはずだ。俺の後で落ちたのか。あのタコにまだ暴れる力が残ってたんだとしたら俺の失態だ。
「っと、とりあえず起こすか」
 どれくらいの時間を流されたかは分からないが、濡れた体が冷えてきている。勝手に脱がせるのも悪いので、とりあえず頬を軽く叩いて呼びかけるとミズキは幸いにもすぐに意識を取り戻した。
 早くに気絶してあまり水を飲まずに済んだのか、少しばかり咳き込んだミズキは涙目で辺りを見回し、俺の顔を確認すると感極まって抱きついてきた。服が張りついて気持ち悪いぞ。
「ま、マッシュ〜!」
「分かった分かった、一旦離れろ」
「冷てぇー、精神的にも物理的にも冷てぇー!」
「服が濡れてるんだから仕方ないだろ」
 ティナがいたら焚き火を起こすのなんて簡単だったのになぁ。どうせならミズキも異世界の魔法が使えたらよかったのに、と思ったけどミズキの世界に魔法はあるんだろうか。
 俺はさっさとシャツを脱いで水気を絞ったが、ミズキはさすがに脱ぐのを躊躇している。そのままだと風邪を引くとはいえ気にせず脱げってのも酷な話だ。
「あっち向いてようか?」
「いや、服の気持ち悪さより心細さの方が勝ってるというか、今マッシュを視界に入れてないとかなり不安になりそうなんでこっち向いててほしいです」
「そうか……」
「あと目の毒なので早くシャツを着てほしいようなもっと見ていたいような複雑な気持ち」
「……」
 思いきり固く絞ったおかげでほとんど乾いている状態のシャツをさっさと着たらミズキは心なしか残念そうな顔をした。こいつ、兄貴と似てるんだよなぁ……。悪い意味で。
 一度脱いでもらって俺が代わりに絞ってやれば彼女の服もすぐ乾くんじゃないかと思ったが言わないことにする。

 まあ服は歩いてるうちに乾くだろうというミズキの主張で、とにかく先へ進むことにした。風邪もそうだが擦り傷を放ったらかしなのが気にかかる。バルガスくらいの使い手だったら相手のチャクラを探って小さな傷なんか治してしまえるんだが、生憎と俺にはできない芸当だった。
 仕方ない。どこかの町に着いたらなんとかなるだろう。
「で、そっちは何があったんだ」
「うん。オルトロスは倒したんだけどカウンター食らって私だけ落ちた」
「あのタコ、まだそんな余裕があったのか」
 何本か足をもぎ取ってやったのにと言ったらミズキはなぜか「酷い」と非難がましく俺を見る。川に突き落とすのは酷くないのか? よく分からん。タコの足なんかどうせまた生えてくるじゃないか。
「オルトロスは何度か戦う相手なんだから仲良くしてあげて」
「あいつ、また会うのかよ。余計に仲良くしたくないぜ」
「まあそう言わずにー、憎めない雑魚キャラじゃん」
 その憎めない雑魚キャラのせいで死にかけたって自覚はないらしいな。ほんと、素性を知ったらなおのこと心配になる。
 出会った当初のミズキには、戦いに慣れてないわりには戦況を判断する冷静な目を持っている、という印象があった。レテ川で彼女の話を聞いて、それは戦況分析ではなく彼女の視点が誰とも違った高みにあるからだと分かった。
 その客観性は悪い影響も与えている。ミズキはこの世界での出来事を現実として捉えていない。無防備すぎるんだ。目の前で起きている戦闘もどこか他人事のように思っている。だから恐怖に囚われず戦況が見られる。
 彼女にとってこの世界はあくまでもゲームなのだった。しかし彼女がどう考えていようと、今ミズキの周りにあるものは現実として悪意を持ち、時には攻撃してくることさえあると理解しなければならない。
 川に落とされて溺れ死にそうになっても「憎めない」なんて言ってるようじゃ、俺が警戒心を持てと忠告しても無駄なんだろうけど。

 筏から落ちたのは不測の事態で、ミズキはティナについて行くつもりだったらしい。あっちの物語はボス戦とやらもなく簡単にナルシェへ到着できるんだそうだ。そして俺のルートが一番長くて面倒らしい。そいつはあまり聞きたくなかった情報だな。
「で、俺たちは今どこにいるんだ?」
「えーとね、マッシュが流れ着くのはナルシェ南方の川をずっと東へ下っていったところ。こっから更に南下するとドマ王国」
「そりゃまた……遠いな」
 世界地図を頭に描く。レテ川の中流は険しい地形が続いている。ミズキも一緒に行くなら更に厳しくなるんで、川を遡るのは諦めた方がよさそうだ。遠回りでもドマ近くの漁村へ行って小舟を借りた方がいい。
 東へ向かえと言われるままに足を進めていると、しばらく歩いたところで何やら考え込んでいたミズキが口を開いた。
「マッシュ、お金ある?」
「多少はな」
 財布はベルトにくくりつけてあるから無事だ。因みにミズキは鞄ごと筏に置いてきたんで手ぶらだった。やっぱり危機管理がなってない。“物語”の大筋を知ってるという優位性を除いたミズキ自身は、ちょっと抜けてる普通のやつなのだろう。
「近くに一軒家があって行商人が立ち寄るはず。ポーション多めに買っとこう。この先いろいろあるから」
「了解」
 先を知ってることに関しては用意周到なんだがなぁ。緊張感と危機感が徹底的に欠けているせいでバカみたいなドジを踏み、せっかく手間をかけて準備したものが一瞬で水泡に帰している。
 世界崩壊の危機だとかなんとか以前にもうちょっと自分の身の回りに対して注意深くなった方がいいんじゃないか?

 さて、この辺りは大きな町も近くになくひたすら平原地帯が続いているが、なんだかやたらとモンスターが多い。すぐ南で戦争中だから逃げてきたのかもしれないとミズキが言う。一理ある。同じところに流れ着いて本当によかった。離ればなれになっていたら、戦闘能力のない彼女は死んでただろう。
 ミズキ一人を背中に庇って戦うくらいなら俺だけでも問題ない。囲まれそうになってもミズキを抱えて逃げられる。だが、ずっとそうできる保証はないんだよな。俺の行く先は予め決まっているが彼女は違う。ミズキは物語の登場人物ではないから、またどこかではぐれてしまう可能性がある。
「もし一人になった時のために、戦うなり逃げるなりの手段を用意した方がいいんじゃないか?」
「うーん。私もそう思って煙玉でも持ち歩こうかと考えてたんだけど、川に落ちたせいで持つ意味ない気がしちゃったんだよね」
「あー……」
 確かに、全身ずぶ濡れになったしな。煙玉って乾かしたらまた使えるんだろうか? 川に落ちるなんて機会はそうそうないはずだから煙玉の有用性に変わりはないが、ただの通り雨や湿気でも使い物にならなくなっちまうとしたら厄介だ。ドマの辺りは雨が多いとも聞いた。
 それによくよく考えると、あれは煙幕を張ってる間に逃げ切れるくらいの運動神経があるやつでなければ無用の長物じゃないだろうか。ミズキがモンスターに煙玉を投げたって、わたわた逃げてる間に効果が切れて追いつかれるだけのような気がする。濡れるとかいう問題じゃなく意味がないな。
 ミズキに武器を持たせるのは論外というのはロックの意見だった。素人が護身用にと剣を持っても自分が怪我をするだけ、それは俺も同感だ。では一人の時は一目散に逃げるか。それもミズキは足が遅いし煙玉みたいな目眩ましではすぐ敵に捕まってしまう。あと自分に向けられる殺意に慣れてないから恐怖を感じるとその場で硬直するのも問題だ。
「……」
「はぐれないでよね、マッシュ」
「そりゃ俺の台詞だよ」
 本当に、ミズキの安全を考えるなら俺が気をつけて見ておくしかなさそうだな。

 歩きながらようやくミズキの服が乾いてきた頃、さっき彼女が言っていた一軒家が見えてくる。だが行商人はいないようだ。ミズキが特に何も言わないところを見ると後からやって来るのかもしれない。
 洒落た外観の家だが、近づいてみると庭の草は伸び放題で荒れているし窓ガラスも汚れて玄関には蜘蛛の巣が張っていた。コルツの小屋もたまに帰らないとこんな風になっちまうだろうかと寂しく思っていたら、突然ドアが開いておかしな老人が飛び出してきた。
「時計の修理屋か? 待っておったぞ!」
「えっ? いや、俺は……」
 何を言ってるのかと首を傾げる間もなく腕を掴まれて家の中に引きずり込まれる。ミズキは知らん顔で庭を眺めていた。助けろよ!
「ほれ、そこの壁にかかっておるじゃろ。もう何年も動いとらん。一年か、五年か……もう十年になるかの」
 外と同じく家の中も人が住んでいるとは思えない有り様だ。この爺さん、どうやって暮らしてるんだ。
 壁には確かに老人の言う通り時計があったが、十数年分にもなりそうなほど埃が積もっている。
「悪いが、俺は時計の修理屋じゃない」
「おお、芝刈り機の修理屋じゃな。あんたのサービスが悪いから庭の芝が15メートルも伸びちまったぞい」
「いや、だから……」
 何なんだこの爺さんは。助けを求めてミズキを振り返ったら、庭の片隅に放り出されていた芝刈り機のスイッチを入れて草を刈っていた。どこが壊れてるんだよ、しっかり動いてるぞ。……じゃなくて、なんで律儀に草刈ってるんだあいつは。

 老人は外にいるミズキに気づくこともなく大袈裟に体を震わせながら俺の背中を押してきた。
「コラ修理屋、早くストーブを直してくれ! 寒くて堪らんわ!」
「だから俺は修理屋じゃないってば!」
「はて、そんならベッドを売りに来たのか? ちょうどよかった、あれはギシギシうるさくてかなわんぞい」
 まったく話が通じやしない。気の触れた老人に構ってる暇はないんだが、こんなところに一人暮らしで暖房器具も壊れてるのはあまりに気の毒かとも思う。仕方なくストーブに近寄って見るだけは見てやろうと蓋に手を触れたら、普通に火が灯っていた。
「あっちィ! 何だよもう! 子供の悪戯じゃあるまいし……」
 俺がそう呟いた途端に爺さんは急に血相を変えて怒鳴りつけてきた。
「子供? わしには子供などおらん! 変なことを言わんでくれ。いい加減にせんと貴様も獣ケ原に放り出すぞ! さあ、出て行け!」
「えっ、ちょ、ちょっと」
 出て行けって、引きずり込んだのはあんただろうがと反論する暇もなく連れ込まれたのと同じように強引に追い出されてしまった。納得いかねぇ。どうかしてるぞ、あの親父。
 ミズキがきっちり草を刈り終えた頃に待っていた行商人がやってきた。もう早くこっから離れたい。俺が買い物してる間に彼女は物置小屋から取ってきたボロ雑巾で適当に窓を拭いて蜘蛛の巣を払い、ドアをノックすると返事も聞かずに「ちわーす、修理屋でーす」なんて言って家の中に入っていった。爺さんも今しがたの出来事など忘れ去ったかのような歓迎ぶりでミズキを迎え入れている。
 ……なんか、もういいや。何する気か知らないけどあっちは彼女に任せておこう。

 ミズキから「回復薬は三人分でちょっと多めに、ただしまた荷物を落とすかもしれない場所があるのでちょうど余らない程度」という難しい注文がついていた。悩んだ挙げ句、考えるのが面倒になってポーションを20個だけ買っておく。どれくらい使うかなんてその時にならなきゃ分からん。
 ここら辺には本当に小さな村もないようで行商人のところには俺の他にも客が来ていた。大きな犬を連れた黒装束の怪しげな男だったが、買っていたのが犬の餌だったのでなんとなく悪いやつじゃないと思う。
 ミズキがまだ家から出てこないので、買い物を終えて井戸で水を汲んでいた男に話しかけてみることにした。
「旅の者か? ここから一番近い港はどの辺だろう」
「森を抜けたところに帝国が陣を張ってるんで村はどこも無人だ。どうやらドマ城を狙っているようだな」
「ドマ城か……。俺たちは急いでナルシェに行かなきゃならないんだが」
 帝国の陣地を突っ切っていくことになったら厄介だな。なんとか迂回してドマ城へ行きたいが、肝心の城が戦場となっているなら船を借りるのも難しくなる。
「船を探すならドマを抜けて更に南へ行くしか道はない。俺が案内してやってもいいんだがな」
「ほんとか、そいつは助かるよ」
「精々注意しろ。俺はいつでも死神に追われている」
「ふーん? よく分からんが、死神がついてりゃ厄介事も避けてくれるだろう。俺はマッシュ、もう一人はミズキだ。よろしく」
「……シャドウだ」
 さりげない所作にも隙がなく、腕が立つのはよく分かる。あまり真っ当な身分じゃなさそうだがそんなことはどうでもいいだろう。戦力が増える方がずっとありがたい。ミズキが「回復薬は三人分」と言ったのはこいつの分かもしれない。
 で、そのミズキはいつまで爺さんの相手をしてるのかと思ったが、数分後に「修理代もらったー」と笑顔で出て来たのを見たら何も言えなくなった。戦えないわりに生活力はあるみたいだな。




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